土方さんの犬のような生活が始まってから、早一週間が経過した。
取引に応じたのは、やはりそんなに間違いではなかったと思う。
おかげで僕はたくさんある客間のうち、最もボロいらしいけど充分豪華な一室を与えられ、ふかふかのベッドと、1日三回の暖かくて極上の食事にありついている。
怪我が治り、疲労が回復するまではずっと寝ていて構わないと言われ、怪我の治療もきちんとしてもらった。
不気味なほど、不自由は何一つない。
僕のことを未だに仲間だと思っているか怪しいレジスタンスの肩を持つより、例え一時であってもこの金持ちに肩入れした方が、得られる利益ははるかに大きいだろう。
侵入者、あまつさえ泥棒である僕にどうしてここまでしてくれるのかはさっぱり分からないけれど、与えてくれる施しは全て受けておくつもりだ。
僕には、施しなんていらないなどという高貴な考えはない。
ただ、どんな手を使ってでもその日を生き延びるだけだ。
おかげで失血死寸前だった身体も、今では起き上がれるまでに回復した。
そろそろ屋敷の中の探検でもしに行こうか。
そう思ってベッドから起き上がった途端、ドアが開いて山崎君が入ってきた。
「…どこへ行こうとしていたんですか」
「げ……」
「はぁ……まったく、あんたには頭を悩ませられてばかりだ」
僕は、この山崎君が大嫌いだ。
この部屋を与えられてからは毎日山崎君が傷の手当てをしに来ているけど、手つきが荒いのなんのって。
嫌々僕の手当てをさせられているのが丸分かりだ。
その気になればにこやかな態度も取れるんだろうに、ワザと剣呑な対応をするのがすごくムカつく。
そりゃあ僕がそんな文句を言える立場にないことも、山崎君の考えが正しいことも十分承知している。
けど、僕だって生身の人間だ。
向こうが僕のことを嫌いなら、僕だって山崎君が嫌い。
ぷいとそっぽを向くと、閉じかけの傷に思いっきり消毒液をかけられた。
「いっったぁぁぁい!ひー!染みるー!」
「あんたは礼儀というものを知らなすぎる。自分が本来ならば銃殺されるべき立場にあることを忘れたんですか?今こうして治療をしてもらい、更には部屋と食事まで与えられていることがどんなに有り難いか、少しは考えたらどうですか!」
あー。うるさいったらありゃしない。
「はいはい。御当主様々のお陰ですー」
「っあんたって人は!……バカにするのもいい加減にしてくださいっ!」
山崎君は、息が詰まるほどキツく包帯を締め上げてきた。
ほんと、か弱い病人相手に鬼畜なんだから。
「まったく、土方さんの御命令がなければ、今すぐあんたを追い出してるところだ」
「そうは言われてもさ。僕は取引したんだから、ここにいる権利があるんだよ」
正論を言ってあげると、山崎君はぐっと唇を噛みしめて、鋭い目つきで睨んできた。
怖いなぁもう。やんなっちゃうよ。
「はぁ……本当に一刻でも早くあんたを殺してしまいたい」
そんな捨て台詞を吐いて、山崎君は部屋を出て行く。
僕はこの上なく上質なベッドに身を沈めて、その後ろ姿を見送った。
「…………ひどいなぁ」
僕がしてきたことは、間違いなわけ?
そりゃ、殺人なんかできればしたくないけどさ。
僕が所属していた組織は、むやみやたらにテロなんか起こさないし、増してや民間人を巻き込むような自爆テロの類は起こしたことがない。
ちゃんと良識をわきまえて、やるべきことをやっていた。
その点、土方さんの方がよっぽど極悪非道だと思うんだよね。
市民から税金を搾り取って、気に入らない権力者がいれば勝手に闘争を起こして、市民の犠牲を出して。
そんな奴の手下に、あんなことを言われる筋合いはない。
誰もが、正義は僕たちの方にあるというはずだ。
でも、世の中は理不尽だからさ。
どこぞの国で、錦の御旗を持った方が勝ち組みたいな馬鹿な争いが繰り広げられたっていう話を聞いたことがあるけど、僕たちだって同じようなものだと思う。
要するに、お金と権力のある方が勝ち。
それ以外は、所詮虫けらでしかないんだ。
やっぱり、例え仕方がなかったとしても、土方さんの手駒になんかなるべきじゃなかったかなぁなんて、まだ何もさせられていないのに後悔していると、再び無遠慮に部屋のドアが開いた。
「…なぁに、今度は斎藤君のお出まし?」
「………御当主様がお呼びだ」
「僕まだ病人だから歩けない」
「この間は瀕死で森を走り抜けて来ただろう。幸い、ここには枝も切り株もないぞ」
「うわぁ、どこまで意地悪なんだろうね、斎藤君は」
「あんたに我が儘を言う資格など、本来ならないはずだ。黙って立て。そして歩け」
「まったく、斎藤君も山崎君も似すぎだよ。そんなんだから、土方さんに従ってられるんだよ」
「無駄口はきくな」
「はぁ…ほんとムカつくよ」
僕は仕方なくベッドから降りて、立ち上がった。
斎藤君に促されるまま部屋を出て、裸足で廊下を歩いていく。
「ねぇ、僕も靴履きたいんだけど」
エナメルの高級そうな靴をカツカツ鳴らして歩く斎藤君を見ながら言うと、ものの見事に無視された。
「ねぇ、何で?何でダメなの?裸足じゃ汚いよ」
「あんたに靴を履く資格などない」
「何それ、どんな資格なの」
「此方はあんたが逃げ出すリスクを考えて行動しているのだ。黙ってさっさと歩け」
これにはカチンときた。
何が黙ってさっさと歩けだよ。
「あのね、斎藤君。御優秀でいらっしゃる斎藤君の頭をもってしても分からないことがあるみたいだから教えてあげるけどね、僕の名前はあんたじゃないの。山崎君も君も、黙って聞いてればあんたあんたって連呼して。ふざけないでよ。分かる?僕の名前。総司だよ?お・き・た・そ・う・じ」
「ほぅ、あんたのような人間にも名前があったのか、沖田総司」
「くっ………」
全く相手にしてくれない斎藤君に、苛立ちは募る一方だ。
僕ばかりが必死で、ほんとバカみたい。
「ほら着いたぞ、沖田総司。くれぐれも、土方さんに失礼のないように」
「はいはい。慇懃無礼を心掛けるよ、斎藤一」
僕は思いっきり舌を出してから、示されたドアを開けて中に入った。
多分ここは、最初に連れてこられた、土方さんの執務室だ。
斎藤一はどうやら入ってこないらしく、せいせいしながらドアを閉める。
「総司、おはよう」
振り返る間もなく声をかけられて、僕は吃驚して固まった。
そういえば土方さんは、最初から僕のことを名前で呼ぶ。
なに、これも何かの策略の一つなわけ?
「お、はようございます……」
動揺したまま、なに呑気に挨拶なんか交わしてるんだろうと自嘲する。
「調子はよくなったか」
振り返ると、土方さんはこの間と同じように仕事机について、書類をパラパラと捲っていた。
「あんまり良くないです。山崎君が僕のこと虐めるから」
「そうか……まぁ、当然だろうな」
そう言って、土方さんは面白そうに笑っている。
完全に弄ばれている。
ムカつくけど、別に契約違反をされてる訳じゃないから文句も言えない。
「それで………お前に聞きてぇことがある」
「……何ですか改まって」
「立ち話もなんだから、座ってくれ」
仕方なく僕は、初めてここに来たときに座った椅子に、再び腰を下ろした。
「…だいぶマシな面になったな。ここに来た時なんか、血と泥だらけで目も当てられなかった」
「それだいぶ失礼ですよ」
「褒めてるつもりなんだが……」
「そりゃどうも。ありがとうございます」
大きな机の向こうに座る土方さんは、今日はパソコンは弄っていない。
ということはつまり、斎藤君や山崎君に秘密の御下命をなさることもないだろうから、安心してやり合える。
それでも落ち着くことなんかできずに、辺りをキョロキョロ見回していたら、不意に土方さんが口を開いた。
「お前、どうして仲間を見捨てて逃げてきたんだ」
土方さんの質問に、思わず動揺した。
なに、そんなろくでもないことが聞きたいわけ?
「……そんなの、決まってるじゃないですか。この間のテロで銃撃戦に巻き込まれて、死にそうになったからですけど」
事も無げにそう返すと、土方さんがふんと鼻を鳴らす。
「筋金入りのレジスタンスが敵前逃亡、ね……」
「わ、悪いですか?僕にだって死にたくない気持ちくらいあるんです」
「別に悪くはねぇが、おかしくねぇか?」
「何が、ですか?」
「ここに、今までお前が殺した政治家たちのリストがある」
「…っ……」
いつの間にそんなものを、と睨みつける。
「これによると、お前は軽く二十人以上は殺してる。ここまで殺しておいて捕まらねぇ奴なんざ、絶対組織には重宝されてたはずだ」
「…………」
「なのに、何でいきなりこんな何でもないようなところで逃げ出すんだ。これもお前の作戦のうちか?それとも、組織に何かされたのか?」
完全に読まれてる。とそう思った。
さすがにこの人には、ただ命が惜しくて逃げ出した、なんて通用しなかったか。
さて、どうしたものかと考えあぐねる。
ここで正直に理由を言うべきか。
それとももっともらしい理由をでっち上げて、取りあえずこの場を切り抜けるか。
考えながら椅子から立ち上がって、土方さんの前を行ったり来たりする。
その時不意に、大きな窓の向こうで、何かがキラリと光るのが目に留まった。
僕はハッと立ち止まって、土方さんを盗み見る。
土方さんは窓の外には一切興味がないようで、手元の書類と僕を交互に見ながら、僕の次の行動を待っているようだ。
あれは、土方さんの手下?
それとも、………
「土方さん…」
「何だ」
「向こうの木の上に赤外線付きライフルを持った男がいますけど、あれは土方さんの部下ですか?」
「何だと?」
土方さんが、鋭い目でこちらを見る。
いやいや、僕は何も悪いことはしてないんだけど。
「……その様子だと、部下じゃないみたいですね。ご自慢の生体センサーはどうしたんですか?反応しなかったんですか?」
「いや、そんなはずは………」
その時僕は、土方さんの頭に赤い光が当たっているのを見た。
「…危ないっ!!!!」
咄嗟に土方さんに体当たりした直後、パリーンとガラスの砕け散る音がした。
土方さんが座っていた重々しい椅子が派手に倒れ、僕は土方さん諸共、床の上に叩きつけられる。
「痛ぇ…っ…」
土方さんが呻いているのもそのままに、床の上をゴロゴロと転がって素早く身体を起こすと、壁に突き刺さった薬莢を手に取った。
(…………これは、僕の仲間のじゃない)
見たことがないから、きっと過激派の連中の仕業だろう。
わざわざ乗り込んでくるなんて、捨て身の覚悟だったのだろうか。
でも、あいつらは馬鹿だ。
権力者を一人殺したところで、市民の現状が変わるわけではないのに。
ライバルが一人減ったと、他の権力者を喜ばせるのが関の山だろう。
「……お前、あれが見えたのか」
ようやく起き上がって窓の外を見ながら、たった今殺されかけたというのに、だいぶケロッとした顔で土方さんが言う。
「まぁ、僕目はいいんで」
木まではだいぶ距離があったし、土方さんはすごく驚いてるみたいだけど、あんな隠れ方じゃ、僕にとっては隠れている内には入らない。
「……何で助けた」
「え……」
聞かれて初めて自覚した。
何で、あれほど憎かったはずの土方さんを助けてしまったんだろう。
今まで倒すため、覇権を奪取するために戦ってきたはずなのに。
自分でも答えの分からない質問を、僕ははぐらかすことしかできなかった。
「……それより、ここの窓は防弾になってないんですか?天下の土方家が、随分と不用心ですね。それから、僕を捕まえたセンサーはどうしたんです。コソ泥は捕まえるくせに、肝心な時には作動しないんですか?」
「何で、そんなに怒ってるんだ」
「知りませんよそんなの。ただ、貴方も一権力者なら、もっと自覚を持ったらどうですか?貴方を殺したい奴はたくさんいるんだから――――ここにも一人、お忘れなく」
僕の言葉に、土方さんは息を飲んだ。
取引一つで信用するなんて馬鹿じゃないの。
世の中欺瞞と裏切りで満ちているってのに。
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