私に出来る事
机の上に置いてあったのは、小さな置物だった。
それは、オレが退院する時に名前にあげた、チューリップの形をしたものだ。
真っ白だったそれが、今は丁寧に赤く着色されている。
ふと、収穫祭の日のことを思い出す。あの時彼女のテーブルの上に置いてあった絵の具、筆。
もしかして、名前はこれに色を着けていたのだろうか。
置物の底には、何やら文字が刻まれているらしかった。
"数えきれないほどの幸せをありがとう"
「・・・っ!」
視界がゆらりと歪む。
我慢していた涙が、ついに溢れだした。
名前、名前、名前!
どんなに呼んでも、どんなに叫んでも返事が返ってくる事はない。そんな当たり前のことにも一々心はぐらついて、その度に中から涙がこぼれ落ちてきた。
あの綺麗な声も
サラサラの髪も
優しさに満ち溢れた笑顔も
今、こんなにも渇望している。
その渇きが潤されることはないんだ。
『エド!』
「!」
急に、笑顔の名前が脳裏に光った。
懐かしさに、オレは目を見開いたまま雫を一粒落とす。一瞬の幸せに体がふわりとしたなにかで包まれた。
気づけば、涙を拭うのもそこそこに気付けばオレは走り出していた。早く、早く名前の元へ。
伝えたいんだ。もし君に届かないとしても。
リゼンブールにある小高い丘の上。まだ冷たい風がひゅうと吹いて来て、植わっている一本の木の葉をざわつかせる。
母さんの墓から少し離れた所に、名前の墓が作られていた。
しまった、花、買い忘れちまった。名前は花が大好きだったから。
ごめんな、と呟いてから、オレは墓の前にしゃがみこんだ。
「名前、オレの方こそありがとう。」
幸せだった。本当に。
短くて、儚くて、夢みたいな毎日だったけど、その幸せは今でもオレの中で輝いている。
「やっと来たわね。」
「・・・ウィンリィ」
「これ、名前から。」
振り向くとウィンリィが立っていた。彼女はゆっくりと笑うと、オレに手を差し出す。
その上に乗っていたのは手紙だった。
小さい字が紙の上に並んでいる。この字は、
「名前も喜んでるよ。」
「・・・サンキュ。」
ウィンリィはにっこり笑ってから、じゃあね名前!と言って去ってしまった。
オレは手紙に視線を戻す。
エドへ
エド、元気になれたかな?
あなたには支えてくれる人達がたくさんいるってことを忘れないでね。
あと、自分が人を元気づけられる、特別な力を持ってるんだってことも。
私はあなたに出逢って世界が変わった。あなたが変えてくれたの。
本当だったらとっくに朽ちていたこの命を
繋ぎとめてくれたのはあなたです。
私はもう、あなたが辛い時傍にいることは出来ないけれど、
空からずっとあなたを見ています。
エド、私と生きることを望んでくれてありがとう。
ずっとずっと、あなたが幸せでいられますように。
ずっとずっとずーっと、あなたが笑顔でいられますように。
これでもう、私に出来る事は本当に無くなってしまいました。
でも私は、ずっとエドの幸せを祈っています。
最後に、
私はあなたのことがだいすきです。
これまでも、これからも!
名前
「この期に及んで、まだ人の心配してんのかお前は・・・。」
また視界が滲むのが分かった。
名前はそういう奴だった。自分のことは二の次で、誰に対しても涙を流す。
そんな名前が好きだった。
涙が土に落ちて、地面に染みを作って行く。
空を見上げる。今は昼で星は見えない。しかし、きっと数時間も経てば満点の星がこの空を埋め尽くすだろう。その中に君はいるだろうか。
いくら声が掠れて小さくたって、オレは気づいてみせる。
いくら目が見えなくたって、オレがお前だけを見つけてみせる。
―――――きっと、後悔するよ。
名前の泣き顔が脳裏に蘇って来た。
「してねえよ。後悔なんか。」
名前、ありがとう。
だから、いつかまたお前に会う事が出来たなら、とびっきりの歌と笑顔で迎えて欲しいんだ。
「お前と出逢えて、ほんと良かった。」
頬を撫でる風は暖かくて、彼女の手にとても似ていた。
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