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5月13日の朝。
修理の終わった薫が、アイエスから帰って来た。
ぼんやりとした薫は父さんに腕を引かれ、海堂家の玄関をくぐった。
「お帰りなさい兄さん!」
誰よりも薫を心配していた葉末が、真っ先に薫に抱き着いていった。
しかし薫はその葉末の行動に対して、一切の反応を示さなかった。
違和感に気付いた葉末は薫からそろそろと離れて、俺の隣に立っている母さんの後ろに隠れた。
「薫兄さん…ですよね?」
葉末の問いに、薫は何も答えられなかった。
俺は慰めるように、葉末の小さい頭を撫でた。
「高熱でうなされたせいで、薫は記憶喪失になってしまったんだ。ウチで過ごした昨日までの事を…今の薫は何一つ覚えていない」
父さん涙ぐんだ声では葉末と母さんにそう説明をした。
葉末は突然、火が点いたように泣き出した。
母さんは膝をついて、葉末を抱き締めた。
目と鼻を赤くした父さんが俺に、薫を自室に連れていくように指示した。
俺は困惑している薫の腕を引いて、肩を寄せ合う家族の輪から離れていった。
「よお、薫。俺は何だか聞いてるか?」
薫を部屋に連れて来た俺は、無表情の薫に質問をした。
「最新型家事専用モデルT-M0723の『武』と、マスターに聞いております」
簡潔で事務的な受け答え。まるで俺がこの家に来た当初のように。
初期設定に戻された薫は、俺が初めて会ったの、人を射ぬくような目のやり方も、左肩を少し下げ片足に体重をかける立ち方も、ちょっとぶっきらぼうな話し方も、口の端だけをニッと上げる笑い方も、何も出来なくなっていた。
A.I.がついているといっても、薫がこの家に来た7年前の環境と今の環境は全く違うので、同じ薫に戻るとも限らない。
『7年間生きた記憶を忘れたくない』と言った前の薫の事を思い出し、俺は鼻の奥がジーンと痛くなって、視界がぼやけた。
ちくしょう。俺はなんて涙脆いモデルなんだろう?情けねーよな、情けねーよ。
「あの…」
薫がおずおずといった感じに口を開いた。
「なぜマスターやマスターのご家族や貴方は、私を見て涙を流すのですか?」
解らないことは質問をするという、A.I.の機能が働いた薫。
俺は鼻を啜って、笑顔を作って見せた。
「お前がこの家に来てくれて、みんなすっげえ喜んでんだよ。だから、これからよろしくな薫!」
俺が右手を差し出すと、薫もつられるように右手を差し出した。
掌に伝わる、変わらない薫の手の弾力と、そして小さな歯車の感触。
俺は薫から歯車を受け取って、手を引いた。
「よろしく、T-M0723」
口の端をちょこっと上げて、薫は微笑んだ。
俺は鼻水を垂らしながら、へへっと笑い返した。
【end】〔 〕 【再録】この話から、モデルシリーズが始まりました。
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