貴島事変 #1
受験をする高校は都内がいい。
田舎からボストンバッグ1つで出てきた私を、母の知り合いの知り合いで、都内の旅行会社に勤めている貴島(きじま)さんが、新幹線のホームまで迎えに来てくれていた。
「紺色のセーラー服に、えんじ色のリボン。オカッパで赤い縁の眼鏡ということは、君が橋本遥(はるか)ちゃんかな?」
「はい」
私の特徴をあらかじめ母が伝えていたので、貴島さんはすぐに私を見つけてくれた。
貴島さんは、40歳手前の男性。ダークグレイのスーツに同じ色のネクタイ。上縁が黒い眼鏡をかけていて、短い髪を斜め後ろに逆立てているせいで、額が少し広く見える。それ以外は、特に特徴が見つからない。
「東京の駅は入り組んでるから、はぐれないようについて来てね」
そう言われても、少し距離が空くと貴島さんはすぐに雑踏の中に紛れ込んでしまいそうで。
彼にとっては普段の歩く速度なのだろうが、スイスイと人混みを避けながらサカサカ進んでいく貴島さんを追いかけるのは、私には余り容易なことではなかった。
小走りで、人にぶつかりながら、エスカレーターや階段を上って、いつの間にか駅直結のホテルのフロントロビーに着いた時には、軽く息が上がっていた。
「まず、チェックインを済ませて、部屋に荷物を置いておいで。今日は受験校の下見をしてから、東京観光をしに行こうか」
「はい」
私はボストンバッグを担ぎ直して、ホテルのフロントへ向かう。
と、同時に。
貴島さんのスマホが鳴った。
「もしもし。ああ、君か。うん。今は仕事で女の子と動いてる。いや、違うよ。知り合いの知り合いの、まだ中学生のガキだよ」
実は、私はすごく耳が良い。
貴島さんはロビーのソファに座って、私はフロントでチェックインの手続きをしているけど。
彼の電話の内容は、全て筒抜けだった。
「そうだな。今夜会おう、いつもの場所で。この戦いが終わったら、そうする約束だったもんな。ああ、じゃあまた今夜」
私は部屋のカードキーを受け取り、一度貴島さんの元へ行った。
「チェックインしました」
「ああ。それじゃあ、僕はそこのカフェで珈琲でも飲んで待ってるから、荷物を置いたら準備して、戻ってきてくれるかい?」
「はい」
貴島さんは私に背を向けて、通りに面したホテル内のカフェ。私はエレベーターホールに向かい、矢印が上を向いたボタンを押した。
***
貴島さんが予約してくれた部屋はシングルベッドで、広さも景色も大した良くなかった。受験生格安パックらしいから、まあ期待はして無かったけどね。
ボストンバッグはベッドの上に置いて、チャックを開ける。
お出かけ用のトートバッグを取り出し、そこへ受験校のパンフレットや財布やスマホなどを入れていく。
東京を観光は何度かしたことがあるけど、いつも親と車で来ていたし、場所もお台場と決まっていたので、電車で移動するのは初めてだった。
受験は明日だけど、参考書とノートとペンケースも一応持参。
腕時計を確認すると、午後2時57分。新幹線が駅に着いたのが2時10分頃だったから、東京に着いてあっという間に1時間が経過しようとしていた。
貴島さんはもう珈琲を飲み終わって、スマホでも弄っているんだろうか。
そう思いながら部屋を出て、エレベーターホールへ向かう。
ちょうど、下から上がってきたエレベーターがこの階に止まり、女性が2人降りてきた。
「ねぇ。ほんと怖いわよ」
「いきなり人が死ぬなんてね」
少し青ざめた感じだけど、噂話が好きそうな2人だ。
「やっぱりホテル変える?」
「ね。人が死んだホテルに泊まるなんて」
私が乗ったエレベーターのドアが閉まった。
***
嫌な予感が、しなかったわけではないけど。
実際にエレベーターが1階に着いて、ロビーにいる人がざわついていて、特にカフェの前に人だかりが出来ているまで、自分は全く『無関係な人間』だし、そうでありたいと願っていた。
でもそうはならなかった。
「貴島さん!?」
カフェの真ん中の席の、床に俯せで倒れていたのは貴島さんだった。
そのすぐ側に、白のセーターにワインレッドのスラックス姿の男性がしゃがみこんでいて、私が声をあげるとすぐに、こちらを向いた。
「君は、この人の知り合いですか?」
「はい、あ、でも今日、さっき初めて会ったばかりですけど」
「ちょっと近くまで来てください」
男性に呼ばれるがまま、私はやじ馬の人垣から前へ出た。
私を手招きする男性は、年齢は20歳前後。あごのあたりまであるふわふわした茶色の髪を真ん中で分けて、サイドは耳にかけている。下がり眉で、口の端が上がった柔和な顔立ちをしているけど、見た目よりも低く響く声と全く笑っていない目元は、キレイな人だけど少し近付きにくい印象があった。
「近くで見て、確認してもらってもいいですか?」
私は床に膝をついて、横に向いている彼の顔を覗き込む。額が広く、上縁が黒い眼鏡。あとはダークグレイのスーツしか特徴の無い貴島さんは、口から一筋の血を流し、目を閉じて寝ていた。
「貴島さん、だと思います」
「思います?確信はしない?」
「いえ、貴島さんです。でも、私もさっき会ったばかりで、この人がカフェにいなかったら、貴島さんだとは思わないし」
「君の名前は?」
「橋本、遥です」
「遥くん。私は因幡(いなば)探偵事務所の所長をしている、因幡ロップというものです」
「探偵さん?」
「ええ」
白いセーターの胸ポケットから、因幡さんは名刺を取り出し私に手渡した。白兎がシンボルマークらしい。
ああ、この展開ってもしかして。
殺人事件が起こった時に、警察を先に呼ばなかったら起こるパターン?
それとも、警察が来ても否応なしにこの人が介入してきてしまってた?
どちらにしろ、フラグは完全に立ってしまった。
「私は、倒れた彼を最初に発見し、死亡を確認して警察に連絡した、第一発見者です。そして遥くん、君はこの貴島さんの関係者の一人ということになりますね。お互い、今日は長い一日になりそうです。頑張りましょう」
握手として差し出された因幡さんの手を、私は力無く握り返す。
今日はホテルから出られそうになかった。
私、明日、受験なんですけど!!
【つづく】
>元ネタは、私が今朝見た夢と、それに対する七歩さんのコメントより。
犯人を見つける前に目を覚ましてしまいましたが、コッチはつづくかも?
2014/1/30 UP