海鳥が呼んでいる 3

 サンライズ2日目。
 et.PIRICA(エト・ピリカ)の出演時間の30分前に、俺はイエローガーデンに程近い出店の前にいた。そこがフジモンさんとの待ち合わせした場所だった。
 姉の千穂も一緒に来ていたが、ツイッター上で姉とフジモンさんはフォロー関係にないので、わざわざ紹介しないことにした。なので姉はステージから少し離れた芝生の上で、いま演奏中のアーティストの音楽を聞いている。

 待ち合わせ時間は夜9時半。ステージや出店の明かり以外に照明はあまりなく、お互い服装と持ち物を目印にするよう、打ち合わせをしていた。俺はアカウント名が《うさみみ》だから、ウサギ柄の手ぬぐいを首から下げている。あとet.PIRICAの公式グッズのTシャツ。エトピリカという名前の海鳥のシルエットが描かれた、白地のシャツだ。

 エトピリカ(Etupirka)はアイヌ語で、クチバシ(エト)が美しい(ピリカ)という意味らしい。全体的に黒い鳥だけど、クチバシと足が鮮やかなオレンジ色をしている。またクチバシの後ろから目の周りにかけて白く、最大の特徴は目の後ろに長く伸びた、たてがみのような飾り羽がついていることだ。

 手ぬぐいとTシャツ。たったそれだけの目印だけど、今のところ服装が被っている人はいない。フジモンさんは、自身の特徴を何も言わなかった。
《こっちから見つけるから、大丈夫》と言ってたけど。本当に大丈夫なんだろうか。
 なんとなく不安で、俺は何度もツイッターのタイムラインを確認するけど、サンライズの会場内はとにかく電波が悪い。全然繋がらない。これだけ多くの人が密集して、みんな同じ物を使っているから回線がパンク寸前なのだろう。

 ピリカの出演時刻が目前に迫っても、フジモンさんは現れない。どうしてだろう。もう一度ツイッターを起動すると、運良く繋がった。自分宛のリプライが無いか確認してみると、37分前にフジモンさんからのリプライがあった。

《フジモン @うさみみ
 うさみみって、男だったんだな》

 たった、それだけ。どういうことだ?
 ざわざわと、上半身の毛が逆立つ。フジモンさんは、俺が男だって今まで知らなかったのだろうか。それよりも、フジモンさんは俺を見つけていたようだ。待ち合わせ時間よりも前に。
 なのに、俺に声をかけてきてくれなかった。どういうことなのだろう。
 頭に血が上って、軽い頭痛がする。
 さっき姉と屋台で食べたスペアリブが、急に胸につかえるような感覚。
 頭の心臓がズキズキする。
 スマホを持つ手が、痺れるほど冷えてきていた。

《どういうことですか、フジモンさん》

 そう返信したいのに、俺の指が全く動かない。
 突如、拍手と歓声が上がる。
 イエローガーデンのステージに、et.PIRICAが登場した。



『et.PIRICA/地平線』



**



 埋もれてしまう 流されゆく
 自分の望まない 日常は過ぎてゆく

 深みに嵌(はま)ってる 底へ底へ沈んでいく
 沈殿する精神(こころ) そこはまだ果てしなく

 深海魚が求めるような ほんの少しの空気
 生きる為じゃなくてもいいから あと少し力がほしい

 がんじがらめになった 自分のこの白い手が
 伸ばせるところに

 しがらみなどいらない
 あなたのその口唇(くちびる)が
 誰かに伝わる 言葉と出会えたなら

 地平線から昇る光 闇の底を照らしてゆく
 あなたが呼ぶ声にならば 答えられる だから

 がんじがらめになった 自分のこの白い手が
 掴めるところに

 しがらみなどいらない
 あなたのその身体(からだ)が
 明日に繋がる 自分に出会えたなら




**




 俺の姉より1つ年上のet.PIRICAが、ステージの上で歌っている。
 本名は衛藤里花(えとう りか)。出身地は札幌市。身長は160cmで、体重は非公開だけど、見た目からたぶん50kgもない。民謡をやっていた祖母の影響で歌を習い始めて、小学4年生の時に全国小学生歌謡コンクールでグランプリ受賞。その後は自分で作詞作曲もして、18歳の時に本名に似た海鳥の名前をもじって、インディーズ・デビューした。地元を中心に、道内の地方都市のイベントでライブ活動をしていて、5年目の今が一番メジャーデビューに近いところにいる。

 彼女のことはこんなにも知っているのに、フジモンさんのことを、俺はほとんど知らなかった。

「こんばんは、et.PIRICAです。今夜は、憧れだったサンライズのステージで歌うことが出来て、本当に嬉しいです。ありがとうございます」

 3曲歌い終わったところで、ピリカがMCを始めた。
 俺は屋台から離れ、芝生の上にいる姉の隣に座った。

「おかえり」
「ただいま」

 姉はそう声をかけただけで、それ以上何も聞いてこなかった。俺が待ちぼうけをくらったところを見ていて、気をきかせてくれたのかもしれない。
「おかえり」と言われて、「ただいま」と返す。
 それだけで、行き場をなく底へ沈んでいた俺の気持ちが、少し浮上した。
 でもまたすぐに考え込んで、沈んでしまう。
 フジモンさんも、どこかで彼女を見ているのだろうか?

 4曲目が始まっても、et.PIRICAの歌は俺の中に響いてこない。あれだけ好きだったのに。
『エトピリカ?何それ?』と大学の友達に言われても、彼女がどんな人物か、おススメの曲は何か、いつまでも喜んで話し続けた。お酒を飲みながら彼女の歌を聞いている、この会場の多くの観客と俺は同じだ。
 なのに俺はステージの最前列で曲の乗ることもなく、芝生の上で、俺は本物のet.PIRICAをぼんやり見上げていた。
 こんなはずじゃなかったのに。

「……立てる?」
「うん……」

 姉の千穂が差し出した手に、俺は掴まって立ち上がった。
 イエローガーデンのステージに、もう彼女の姿はなかった。まるで天使のような清らかな容姿で、深く美しい声で歌っていたのに。CDを流しながらレポートをしている時よりも、聞いていなかった。ステージでは、次のアーティストの為に楽器の準備や、音響のテストが行われていた。

 俺たちは、ライトステージ横のレジャー席に戻ることにした。イエローガーデンはサンライズでも最奥のステージで、そこへ繋がっている細い一本道は明かりがほとんどない。俺ははぐれないように、姉の手を繋いだまま歩いた。

 姉と手を繋いで歩くのは、いつ以来だろう。

 小学校の低学年のときは、まだ繋いでいたと思う。いつだったか、下校している時に同じクラスのヤツにからかわれたんだ。シスコン! と。
 その時はなんでからかわれたのか理解できなかったけど、家に帰ってお母さんにシスコンの意味を教えてもらってからは、一度も繋いでいない。特に仲が悪くもなく、良すぎることもなく。俺は姉にも、ほどほどに良い弟をしてきた。姉も、俺にとってほどほどに良い姉をしてきた。俺が恥ずかしいと思ってるときはそっと離れ、近くにいて欲しい時はさりげなく寄ってきてくれる。さっきの「おかえり」も、黙って手を繋いで歩いてくれるのも、姉の優しさだ。

「もう大丈夫」

 レフトフィールドが近くなり、明かりや人が多くなって、俺は姉から手を離した。ありがとう、と言おうかと思ったけど。姉弟間でその言葉を本気で使うのは、なんか気恥ずかしい。

「なんか食べない? おごるよ」
「やったー、フレンチドッグ食べたいな」
「砂糖まぶしてあるヤツ?」
「モチのロン!」

 それから出店を歩き回って、フレンチドッグを売ってる店を探した。昨日利用したコンビニでそれを見つけたが、ケチャップとマスタードしか無かった。でも、俺はそれを2つ買って、1つを姉に渡した。

「お祭り会場で食べるフレンチドッグって、異常に美味しいよね」
「わかるわかる」
「砂糖がないのが残念」
「フレンチドッグに砂糖をまぶすのは、全国区になるべきだよね」
「ほんとほんと。ジャリジャリしたい」
「したいしたい」

 下らない話をして、笑いながら俺たちは白くないフレンチドッグを食べる。
 そしてレジャー席に戻ると、防寒着を着込んでアルミシートを被り、星空の下で仮眠した。

 サンライズ2日目は、真夜中になっても音楽が止まることはない。
 各ステージとも、明け方の4時から5時くらいまでギターやドラムの音が鳴らし、朝を知らせる鶏の声よりも早く歌声を響かせる。

 4時間後。
 目を覚ますと、空にはまだ多くの星が見えているが、その色は黒から藍色に変化し始めていた。
 姉はまだ隣で寝ていて、起こさないように起き上がると、水を飲んで身体を軽く伸ばす。湿気の強い空気を胸に吸い込んだ。
 日常生活で、朝日が昇るところを見る機会はあまりない。今朝の日の出は、夢のような二日間の終わりを知らせる図といえるだろう。それでも、最高の朝日を迎えることを俺も姉も、この会場にいる人たち全員が望んでいる。

 あと1時間ほどで、ライトステージの向こうにある地平線から、朝日が昇る。

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