【角川小説オールジャンルコンテスト2013 応募作品】


海鳥が呼んでいる 1



「ウサギちゃん、ウサギちゃん」

 入荷してきたノートにラベラーで値札を付けていると、2階のレンタルコーナーで働いている緑川さんに声をかけられた。

「お疲れ様です、緑川さん。ぼくはウサギじゃなくて、宇佐見ですよ」
「いいじゃない。宇佐見よりウサギの方が可愛いって」

 口元に手を当て、うふふっと笑う緑川さん。目がパッチリとした、色白で美人のアラフォー。3年前、俺がこの店にバイトで入った時、新人教育をしてくれた大先輩だ。
 緑川さんはレジカウンター内に入って来て俺の隣に立つと、カウンターの外に聞こえないように小声で話した。

「ウサギちゃんがリクエストしていた、インディーズの『et.PIRICA(エト・ピリカ)』のCD、入荷してきたよっ」
「マジすか!?」

 予想外の報告に、思わず声が大きくなった。週刊誌で立ち読みをしていたサラリーマンが顔を少し上げて、こちらを睨んでくる。
 すみません、とその客に軽く頭を下げると、隣で緑川さんが両手を口に当て、くすくすと笑っていた。

「ウサギちゃん、レンタルになるのかなり待ってたもんね? バイト終わったら借りてく?」
「はい、借りていきます」
「じゃあ、名前付けてよけておくね」
「はい、ありがとうございます!」
「いいのよ。じゃあ、頑張ってね?」
「お疲れさまでしたー」

 緑川さんはカウンターを出て、こちらに軽く手を振ってから階段を上がっていく。レジで一人になった俺は、頭の中のミュージックプレイヤーを起動した。



**



『et.PIRICA/三日月』



**


 あの曲の歌詞に出てくるような『三日月』が、東の空から昇っていた。

「お疲れ様です〜」
「お疲れ様でした〜」

 夕方から閉店までの夜シフトだった、俺と同じ大学生バイトたちが次々と、自転車に跨がって帰宅していく。
 俺も自転車に跨がっていたけど、三日月を見上げていたため、最後の1台になってしまっていた。
 借りてきたet.PIRICAのCDを早く聴きたい。
 でもあの歌の世界とリンクした『消えそうな月』も見ていたい。
 そうだ、と思って、俺はスマホを取り出した。
 細長い下弦の月を写真に撮り、すぐにツイッターを起動させてタイムラインに上げる。
 写真に添える言葉は『消えそうな月』
 数分もしない内に、その写真にリプライが付いた。

《フジモン @うさみみ
 ピリカの三日月みたいな月だな》

「そう、そう! そうなんだよー!」

 俺と同じくピリカの追っかけをしているフジモンさんが、俺が伝えたかった気持ちにいち早く応えてくれた。

「さすがフジモンさん! わかってるー!」

 スマホに向かって称賛していると、2階の事務所の電気が消えた。閉店処理を終えた店長が出てきそうだったので、俺は慌ててスマホをジーンズのポケットに入れて、自転車を走らせた。

♪ 東の空から 消えそうな月
  私を見てる 消えそうな 私を見てる

 三日月を見ながら『三日月』を口ずさんで、家路を急ぐ。
 今すぐピリカのCDが聴きたいし、フジモンさんがタイムラインにいる内に返事がしたい。

 夜の空気はじっとりと熱い。北海道でも、内陸は内地に負けないほど日中は気温が上がる。
 しかし熱帯夜になる日は、シーズンに10日もあるかないか。それが今週に集中していて、今夜も気温が下がらず蒸し暑い。自転車を走らせ風にあたっているのに、それ以上に汗が吹き出し、額から背中からダラダラと流れていた。

 20分ほど走って、家に到着。自転車に鍵をかけ、玄関を塞ぐように置かれた父親の車の横を通り、風除室の引き戸を開けた。外と変わらない、むわっとした空気が沈滞しているが、そこから玄関のドアを開けて中へ入ると、温度も湿度もだいぶマシになった。

「ただいま〜」と小さな声で呟いてから、玄関からまっすぐ階段を上がって、自分の部屋に行く。薄暗い部屋のカーテンを閉めて、電気を点けた。壁にかけた大きなアナログ時計を見ると、もうすぐ長針と短針が真上で重なりそうだった。扇風機を回して、その前に座り込みタオルで汗を拭きながら、俺はスマホを取り出した。

 タイムラインを少し遡ると、フジモンさんが3分前と8分前ににnowplaingのタグで発言していた。まだ起きていそうだ。スマホに指を素早く叩いて、リプの返事を打って送信する。

《うさみみ @フジモン
 リプありがとうございました〜(*^^*) 自分もフジモンさんと同じ気持ちで、三日月を見ていたんですよ!》

 とりあえずそれだけを送る。きっとまた返信が来るから、その間にメールの確認をした。
 大学の友達から飲み会の誘いと、地元の友達から遊びの誘い。どっちも今週末で、お盆と重なった日程だ。
悪いな〜と思いつつ、どちらにも断りのメールを送る。今週末じゃなかったら、行けたんだけど。
それからまた、フジモンさんのリプを見る。

《今週末はもう三日月じゃなくなってるけど、ピリカに「三日月」を歌って欲しいな》
《ほんとですよ!o(>▽<)o ピリカが今年の【サンライズ】に出演決定しただけでもビックリで、もうそれだけで胸いっぱいでしたが……でも生「三日月」聴きたいー!》

 ニヤニヤと込み上げる笑いを堪えながら、リプを返した。
 今年のサンライズに、et.PIRICAの出演が決定したのは、アーティスト発表第2弾の時点だった。北海道出身のアーティスト枠があり、メジャーデビューしていないバンドも応募すれば、そこに出演する機会を得られるのだ。
 サンライズ2日半の開催期間中の観客動員数は、約6万人。その全員が聞くわけではないにしろ、通常のライブでは『ありえない数』の人たちに演奏を耳にしてもらえるのは、インディーズのバンドにとっては大きなチャンスだ。実際に、それをきっかけにインディーズからメジャー進出をして、大手通信企業のCMに抜擢され大ブレイクしたバンドもあったりして。
 古参のファンとしても、サンライズ出演は嬉しい。でも反面、微妙な気持ちも湧き上がる。

《みんなの前にピリカが出るの、大丈夫かな》

 フジモンさんの呟きに、俺も唸る。
 ピリカが路上やライブハウスではなく、大舞台であの美しいメロディーを奏でることは、にわかファンと同時に、そうではない人も増えるだろう。有名になるということは、全ての人に愛されることとイコールではない。今までにない歓声と同時に発生する、露骨な誹謗中傷。それがいずれ彼女を追い詰めて、音楽活動を止めてしまうのではないかという懸念。

《どうなるかわからないけど…自分たちは、今までに通りピリカを応援していくしかないと思いますよp(^^)q》

 一生懸命に考えて出た答えがそれで、ありきたりでしょうもないなーと思ったけど、これが俺の精一杯だ。

《その通りだな》

 フジモンさんの賛同を得られて、俺は改めて自分の言葉を反芻した。
 今までに通り、彼女を応援する。
 それからフジモンさんも来場するそうなので、当日の待ち合わせ場所と時間を決めて、その日は寝た。



  →海鳥が呼んでいる 2



 
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