いつか同じコートの上で

 手塚部長が、高校卒業と同時にプロへの転身を宣言した。
 その壮行会が卒業式の1週間前の土曜日に開催され、中学から高校まで一緒にテニスをしてきた部員達や先生方が多数集まっていた。

「それでは、手塚国光くんの前途を祝して、乾杯!」
「乾杯!」

 特に恩師と言える、竜崎スミレ先生の音頭に合わせ、みんながジュースや烏龍茶の入った紙コップを掲げた。
 校内の多目的ホールに並べられた長机には、バイキング形式でお菓子や揚げ物の入った大皿が置いてある。ほとんどが後援会のお母さんたちの手作りで、お寿司だけは河村先輩と先輩のお父さんが握ったものだ。
 桃城や菊丸先輩は早速その大皿から唐揚げを取り、自分の小皿へ積み上げていた。不二先輩は河村先輩からお寿司と大量のわさびを貰い、大石先輩がみんなにお茶を配っている。越前はジュースを飲みながらおさげ頭の女子に話しかけられていて、乾先輩はドリンクコーナーで何やら怪しい動きをしていた。
 壮行会の雰囲気はとても和やかで、みんな笑いながら手塚部長に話しかけ、部長も真剣な顔で応対している。
 でも俺は、食べ物を口に入れる事も、笑う事も出来なかった。

「海堂、海堂」
「何ッスか、大石先輩?」
「手塚が呼んでるよ」

 大石先輩が指した方を見ると、ホールの対角線上にいる手塚部長と目が合った。
 壮行会が終わり、先生方と後援会のお母さん達が会場の後片付けをしている。その邪魔にならないように壁際を回って、俺は手塚部長の元へ行った。

「何ッスか、部長?」
「海堂、時間はあるか?」
「はい、大丈夫ッス」
「では行くぞ」

 手塚部長は花束などが入った大きな紙袋を持ち、歩き始めた。俺はその後ろをついて行く。
 廊下を渡り、階段を上り、着いたのは3年1組の教室だった。
 手塚部長は自分の机に紙袋を置くと、机の中から紙を取り出して、俺に手渡した。

「これは、フロリダのアカデミーの…」
「俺と越前が留学した、プロ選手育成スクールだ」
「なんで俺に?」
「プロになるためだ」

 プロという言葉に、俺の胸は締め付けられて、苦しくなった。

「プロなんて、俺は…」
「プロになりたくはないのか?」
「そりゃ、なれるもんならなりたいッスけど…俺は無理ッス」
「なぜだ?」
「俺は手塚部長にも越前にも、中学から今まで1回も勝った事がねぇ…俺より強い天才プレイヤーはもっとたくさんいるし、チャンスがあるなら先ずはそいつらからプロになるべきッスよ」
「プロになるために1番必要なものはなんだ?才能か?運か?」

 そう問い質された俺は、高鳴る心臓に息苦しさを覚えながら、アカデミーのパンフレットに目を落とした。
 プロになるために必要なものは。
 才能はもちろんいるだろう。運もいる。
 でも、それは1番じゃない。
 それを羨ましく、妬ましいと思ってきた俺は、ひたすら練習を続けてきた。
 そして中学では全国2連覇、高校もインターハイ初出場を果たした青学硬式テニス部の正レギュラーとして、勝利に貢献しチームを支えてきた。その実感は、この手にある。

「…努力」
「そうだ。努力を惜しまない者こそ、才能を開花させる。そして運が味方する」
「でも俺は、手塚部長みたいに…」
「前へ進め、海堂」
「プロなんかになれるわけが…」
「卑屈になるな、冷静に判断しろ。日々の努力を怠らないお前は、長所を伸ばし、短所を克服してきた。不可能な事も可能にしてきた経験が、力があるだろう。だから諦めなければ、お前もプロになれるはずだ」
「無理だ…俺は、部長とは違う!」
「何が違うんだ!」

 力強い言葉と共に、俺の両肩を手塚部長の手で掴まれた。

「俺はお前と同じ高校生だ!テニスプレイヤーだ!わかるな?俺はお前と同じ人間だ」
「違う…違う!」
「海堂、前を向け。お前は俺と同じだ。だから俺に出来る事は、お前にも出来る。俺と同じ一歩を、お前は踏み出せる。絶対に!」

 ずっと俯いていた顔を上げると、目と鼻の先に手塚部長の顔がある。
 教室の窓から差し込む夕陽が眩しくて、そんな理由付けをして、俺は目を閉じた。
 眩しい。
 苦しい。
 悔しい。
 こんなに近いのに、どうしてこんなに遠いのか。

 スクールでテニスを始めて、中学受験をして青春学園の硬式テニス部に入部したのは、手塚部長がいたからだ。
 ジュニアの大会で、初めてこの人のテニスを見た時に、胸が震えた。力強く、しかし繊細で精密なプレイ。圧倒的な強さで勝利を掴みながらも、驕った態度が微塵も無い。
 部活動で一緒にいる機会が増えてから、それは更に顕著だった。勝利に対する貪欲さ。自分自身に対する厳しさは、誰よりも強かった。
 俺とは違う、しかし俺の理想。
 そのずっと憧れていた手塚部長が、今度こそ本当に、手の届かない場所へ行ってしまう。
 プロになり、世界へ行ってしまう。
 もう二度と同じコートに立つ事が叶わなくなるのか。一度も勝つことなく、追いかける事さえ出来なくなるのか。
 そんなのは、嫌だ。
 絶対に嫌だ。
 俺が目標としているのは、打ち克ちたいのは、この人なのだ。
 だから手塚部長がプロになる事は嬉しいけど、自分との距離が更に開く事が苦しい。
 いくら追いかけても、追いつかない事が悔しい。

「部長…いっ…行か…な…ッ!」

 ボロボロと、閉じている目から涙が溢れ出す。両手の袖で拭っても、次々とこぼれ落ちる。
 こんなみっともない姿を見せて恥ずかしいと思えば思うほど、涙はもっと堪えきれなくなった。

「海堂」

 名前を呼ばれると同時に、身体が前へ引っ張られる。自分のとは違う、シャンプーの匂い。温もり。背中を支えられる、安心感。
 俺を抱きしめた手塚部長は、それ以上は何も言わず、ただ優しく俺の頭を撫でてくれた。
 だから俺は目の前の胸に縋り、声をあげて泣いた。


***


「もういいのか?」
「大丈夫ッス…すみませんでした」

 ひとしきり泣いた後、俺は手塚部長から離れポケットからバンダナを取り出し顔を拭いた。

「すみません。部長のジャージ、汚してしまって…」

 バンダナを畳み直し、綺麗な面でジャージを拭く。左肩から胸にかけて、俺の涙でしっとりと濡れていた。

「海堂」
「はい」
「お前は、プロになる資質がある」

 そう断言する手塚部長の顔を、俺は見上げた。真っ直ぐと見つめるその目に負けじと、俺はグッと力を入れる。
 たくさん泣いてスッキリした頭は、先程とは違い状況を冷静に分析する事が出来た。
 手塚部長は俺に、努力して自分を追いかけてくるように言っている。
 それだけの力が俺にある可能性を、認めている。
 ずっと掠りもしないと思っていた天上からの蜘蛛の糸を、俺はいつの間にか掴み取っていたのだ。

「プロになれ、海堂」
「…はい」

 小さく頷くと、濡れた胸元を拭いている手から、バンダナが取られた。

「じゃあ、これを預かっておく」
「え?」
「必ず、取り来い。俺はニューヨークで待っている」

 俺のバンダナを持ち上げて、手塚部長が柔らかく微笑む。
 再び自分の顔や胸が熱くなるのを感じながら、俺は今度こそ力強く頷いた。




【end】

【20/100】合わせ鏡より。
U-17の新旧部長対決が大好きです。
対決してなくても大好きです。
もともと手塚を信仰する海堂が好きなのですが、もうあの対決は決定的でしたよね…生きてて良かった私!ありがとうございます先生様!!


余談。
プロを諦めていた海堂を、手塚に発破かけて貰うように直訴したのは、桃城と乾。
二人から相談を受けたのは大石と菊丸が、どこでどう二人で話し合わせるかお膳立て。
不二と、引退しているタカさんは、事の成り行きを静かに見守ってました。
なので、海堂がプロになるためアメリカ留学を決意した瞬間、廊下ではヨッシャー!とみんなで大喜びしていました。
越前は関与してないけど、何かわからないまま桃城に連れて来られてて、その場で簡潔に話を聞いて、なんでみんな喜んでるのか納得。
そして空気を読まずに教室へ入って行き、泣き顔の海堂に怒鳴られて、手塚に苦笑いされましたとさ。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -