小説2 | ナノ


  七転び八起き


 俺、アリババ・サルージャは只今深刻な問題に直面している。補助ブレーキを踏みながら、その隣でさっきまで顔面蒼白にしていた生徒をみやる。今は、その顔面をハンドルに向かって突っ伏している。

「い、いやそれくらいでそこまで落ち込むことないだろ、白龍……」

 おそるおそる俺は声をかけた。今まで何人か生徒を受け持ってきたけれど、失敗をしてここまで落ち込む生徒はいなかったと記憶している。

――なんか問題抱えているのかぁ? この前と今日とどこか心ここにあらずって感じだし。

 練白龍。この夏休みを利用して車免許を取ろうと意気込んでやってきた大学生だ。学科試験及び授業の成績は優秀。それで、勇んで始まった実習の二回目なんだったんだが……。

「いいんですよ、どうせ俺が免許取るなんて無理なんです」

 地を這うような低い声に思わず頬がひきつった。

――面倒臭い奴だなぁ……。

 何もたかが車の教育実習の失敗でなんでそこまで落ち込むんだよ。この前だってまぁ、そりゃちょっとは失敗したけど、やり直してちゃんとできたから合格にしたじゃんか。
 最初は誰だって失敗する。最初のつまずきは仕方がないから気にしなければいいのになぁ。不意に手元のクリップボードに目を落とした。そこには実習生の成績を記録する紙がクリップで留められているのだけれど、その裏には只今うちの教習所でやっているキャンペーンの広告が貼り付けられている。7月から始めて8月15日までに車の免許を取ることができれば、某テーマパークのペアチケットがもれなくプレゼントっ★ってやつだ。
 俺は意を決して、クリップボードを裏返して、未だにハンドルに顔面突っ伏したままの白龍によく見えるようにして向けた。

「目標がないからやる気が出ないんじゃないか? あ、そうだ。無事今度の実技試験パスしたらここ行こうぜ」

 と広告に写っているテーマパークの写真を指しながら言って、はっ! と俺は固まった。

――てか、何が悲しくて男二人で遊園地……。

 何言ってんだよ、俺!? これじゃやる気出すどころか、むしろさらに減っちまうだろうがっ!?
 白龍の元気を出させるつもりで、逆に奪うなんて本末転倒だ。慌てて弁明しようとしたのは言うまでもない。ぱたぱたと左右に手を振った。

「あ、何が悲しくて男二人で遊園地……だよな。まぁ、行くとしたら他の友達も誘ってだな……」
「二人でいいです」
「へ?」

 白龍はいつの間にかハンドルから顔を上げていた。その顔は何かの決意に満ちたように迷いがなく視線はまっすぐだった。

「アリババ殿が俺と二人で行ってくれると言うなら実技だろうが筆記だろうがパスしてみせますよ」
「う、うん……」
――よくわかんないけどやる気が出たならいいか。

 その後の白龍の調子もよく、最初のミスを後の行程では見事に挽回し、俺も合格スタンプを押して、実習の紙を白龍に笑顔で手渡すことができた。その時に『頑張りますから』と白龍があまりにもやる気に満ちていたから、俺も思わず『楽しみにしてるな』って笑顔になってしまった。
 やっぱり教え子がやる気になるのって嬉しいよな。





「って話があったんだよ、カシム〜。まぁ、落ち込んでるのなんとかなったしやる気も出たみたいだからいいんだけどな」

 仕事が終わって、カシムの部屋に邪魔をしたアリババは今日の仕事で起きた一部始終を話し終えた。缶ビールをあおって、机に缶を置いて同意を求めてカシムにそのへらへらとした笑顔を向ける。

「な? 白龍って面白い奴だろ」

 一方カシムの方は缶ビールを片手に固まっていた。

「アリババ、お前……」
「ん、なんだ?」
「いや、何でもねえよ……」

 すっかり上機嫌のアリババの顔を見て、言うかどうか迷っていた言葉をのどの奥にカシムは飲み込んだ。

――どう考えてもそいつマジだろっ!? 俺はどうなっても知らねえからなっ!

 幼い頃からの親友の行く先を心から心配しながら、同じ指導員としてもカシムはため息をついた。




 貼り出されたと聞いて、ちょっとした緊張と共に見に行くなんて何年ぶりだろう。自分のことでもないのにこんなに緊張しているなんて、と自分でも不思議だと思っている。
 実技試験の合格者名簿――といっても学生番号しか掲示されてないけど――を見上げて、目当ての番号が見つかったことに俺はほっと息を吐いた。

「あー。良かった!」

 思わず小声で呟いた。一応、近くにいる他の生徒に聞かれないように、小さな声で。

「アリババ殿も何か受験されていたんですか?」

 後ろからの声に思わず振り返った。そこに立っていたのは案の定白龍だった。そもそも指導員に話しかけてくる生徒なんてそんなに多くない。

「さぁ? どうだろうなぁ?」

 ちなみに指導員が受験すること自体は珍しくない。ここの教習所は大型車両の免許も取り扱っているため、普通車の指導員が別の車の免許を取る勉強をしていることがある。
 もっとも、今回のアリババの場合は違ったが。

「よぅ、白龍」
「おはようございます」

 朝一番の学科の授業はもうすぐ始まる。それはそれとて、アリババはくいっと合格者名簿を指さした。

「白龍、お前は?」
「問題なく。アリババ殿が発破をかけてくれたお陰ですよ」

 すでに目を通していたのか、白龍はすぐに笑顔で答えた。つい先日、実習の失敗で落ち込んで免許取るなんて無理なんですと落ち込んでいたとは思えないくらい余裕ある様子で白龍は頷いた。
 ちょっとだけ俺は不安だった。普段指導していても、試験の時は別の試験管が白龍を担当している。だから、俺は結果を知らなかったんだ。一生徒の結果なんてわざわざ調べたりしたら、普段不正しているんじゃとあらぬことを疑われそうだった。だから、俺は覚えていた白龍の学生番号を見に結果発表の前に来たんだ。

――受かってて良かったな。

 カシムにはあまり肩入れしすぎるなよ、と言われそうだけれど、こんなにも自分の受け持った生徒が喜んでいるのを見るのはやっぱり嬉しい。思わず子供にするみたいに頭を撫でたくなっちゃうくらいだ。やると怒りそうだからやらないけど。

「んじゃ合格記念にパーっと遊びにいくか! なぁ、白龍。お前いつ空いてるんだ?」

 大分前の約束になっちゃったけれど、白龍は見事にうちの教習所のキャンペーンをクリアしたんだ。一瞬、俺の言葉に固まった白龍が次の瞬間には何故か鞄を握りしめたまま震え出した。





「って聞いたらさぁ!『本当に一緒に行ってくれるとは思ってませんでした……』って感極まるつーの? なんかすっごく嬉しそうでよ。そこまで喜ばれるとこっちも嬉しいよな!」

 いつものようにカシムの部屋に邪魔をして、酒のつまみを口に放り込みながらアリババは今日あった出来事をカシムに話していた。ちなみにアリババが白龍の話をするのは一度や二度じゃない。アリババ自身が自分でも気づいていないほど白龍のことを気に入っているのか、白龍と実習した時の晩はかなりの頻度でカシムはアリババから白龍の話を聞いている。
 その回数を数えるのがカシムにとって面倒になるくらいだった。

「なぁアリババ。それで…行くのか?」
「ん?ああ、来週の日曜行ってくる。俺、その日休みだし」

 遊園地なんて久しぶりだなぁっ! と子供のように声を上げてテンションあげているアリババをカシムは思わず半眼で見ていた。

「そう、か…。いや、お前も楽しそうで良かったわ」

 手元のたばこに火をつけて、煙を深く吸う。頭を抱えたくなるような時は、やっぱりたばこに限るとカシムは頭上に視線を投げた。

「なになにカシムく〜ん。そんなに遊園地羨ましい? 一緒に行きたい??」
「はぁっ!?」

 予想斜め上の唐突な発言だった。反射的にカシムから素っ頓狂な声があがった。蚊帳の外と話を若干馬耳東風気味に聞いていたカシムにとって、アリババの発言はまさに青天の霹靂だった。

――なんで俺が野郎のデートに付き合わなきゃなんねぇんだよっ!?

 しかし、カシムの動揺なんか知らないアリババはへらへらと笑っている。悪意のない善意からの提案だけにたちが悪い。カシムの背を冷や汗が流れた。

「いや、それは……。あ、俺その日、休日出勤だったんだ。いやー行けなくて残念だなぁー」

 かなりの棒読みだったが、アリババはその棒読みに気づいた様子もなく――浮かれているのか酒に酔っているからか――そっかーと残念そうに肩を落とした。

――頼むから俺を誘うんじゃねえよっ!
 カシムが姿も見たことのない白龍だったが、そのタイミングで会うというだけで険悪な関係になることをカシムは容易に想像できた。

「そっかそれじゃ仕方がないかー。カシムに白龍紹介したかったのに」
「ま、またの機会に、な?」
「おう! 良い奴だからきっとカシムも気に入ると思うぜ」

――いつか紹介されるのか……。

 カシムがまたため息をついたことにアリババは気づかず上機嫌に酒をあおっていた。
 カシムの心配事が尽きることはまだ当分なさそうだった。

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