小説 | ナノ


  ゆめとうつつと4


 いっそのこと理性を全て捨ててしまって、彼女の体を貪れたなら、と考えがよぎる。けれども、私にそれはできなかった。彼女がジュダルに仕組まれた何かによって、理性を失い淫らに私を求めていても、胸の奥の罪悪感を拭えはしなかった。
 きっと彼女は苦しんでいる。身体の熱に、気が狂いそうになりながら――。

――信じて、いいんですか?

 あなたが私を選んでくれたって。

「愛してます。アリババさん」

 聞こえているか分からないけれど、あえて言葉にした。ただの獣のような混じり合いにだけはしたくなかった。
 重ねた手のひらは燃えるように熱かった。指先を絡めて、額に口づけを落とす。

「……は…ぁ……。モル、ジアナ……」
「アリババさん……?」
「好き……俺も……。好き、だから……」

 暗い部屋を照らすのは、窓から差し込む月明かりだけだった。腕の中の彼女の情欲に淀んだ瞳に私が映っていた。頬を上気させて息苦しそうにアリババさんが微笑んでいる。

「――――ごめんね」

 最後に消えそうな声で彼女は呟いた。その言葉に息を呑んだ。彼女は笑みを浮かべているのに、それでも泣き出しそうに瞳は歪められて潤んでいて。伸ばされた手が私の背に回される。その手の熱さは、きっと彼女が抗えない苦しみと同じくらい熱いのだろう。

「い、ま……だけ。お願い……」

 口づけを落とした。柔らかく艶やかな唇に。舌を絡めて、息を絞り取るように口内を貪った。

 いっときの夢だ。
 求められている。
 望まれている。
 なんて。

「好きです。アリババさん――」

 愛しているよりも、ずっと自分の気持ちに近い言葉を口にして。胸の内に浮かんだ幾つもの迷いに蓋をする。

「だから――ごめんなさい」

 身を埋めて、彼女が上げる嬌声に目を瞑った。





 目が覚めてしまえば夢は終わる。終わった後に残っているのは、紛れもない現実で。どんな理由があろうと私達が行為を行ったという事実は変わらない。高揚した気分はどこにもなかった。代わりにあったのは重苦しいほどの罪悪感。それと同時に感じている、これからどうなってしまうのかという不安。それに、私にはアリババさんを抱いたよりも犯した感覚の方が強い。彼女の意志など、あって無い様なものだったのだから。
 アリババさんの身を清めた後、私は自室に戻り身を整えた。ため息は何回ついたことか。もう謝って済むような問題じゃない。アリババさんにどんな顔をして会えばいいのか。何度目かわからないため息をついた時、コンコンと扉が音を立てた。

「……モルジアナ、いいか?」

 つめた息を吐き出す。向き合う瞬間はすぐそこに来ていた。

「どうぞ」

 音を立てて扉が開いた。
 絨毯に座ったアリババさんが顔を上げる。同じように座って、私はアリババさんの言葉を待った。

「モルジアナ。話さなきゃいけないことがあるんだ」
「……はい。私もアリババさんに言わないといけないことがあります」
「そっか」

 私もこのままではいけないと思っている。昨晩のこともちゃんと話さないといけない。伝えたかった言葉も全部…。全部含めて話し合って――その先に何があるかなんてわからないけれど、もう無かったことにして今まで通りに過ごすなんてもうできないのだろう。

「先に、話していいか?」

 頷くと、アリババさんは一度視線を落としてから顔を上げた。

「一昨日のアレなんだけど……。ジュダルが……お前にかけた魔法が原因だったんだ。ジュダルがお前を操って俺を襲わせたって、あいつが言っていた」
「……え?」
――魔法……って、なんですか。

 予想していなかった言葉に一瞬思考が止まった。自分でもどうしてあんなことをしてしまったのか、わからなかった。根本的な理由には心当たりがあったけれど、どうして――と。その理由が魔法? そんなもののせいで私はアリババさんを傷つけたんですか。
 私が固まっている間もアリババさんは言葉を続けた。

「記憶がないのだってそのせいだと思う。だから、モルジアナは自分を責める必要はない」

 辛そうにアリババさんが視線を落とす。黙り込んだアリババさんを前に咄嗟に言葉が出なかった。

――記憶がない? 違う、私は夢だって錯覚していただけで、あの行為自体を私は覚えている。
「なんですか、それ」

 やっと吐き出せた言葉はただアリババさんの肩を震わせるだけだった。

「昨日のことも……。今度は俺がヘマした。あいつに捕まって薬飲まされて、それで俺が――モルジアナを誘った。本当に、悪いことをしたと思っている」

 そう言って頭を下げようとしている姿に胸の奥が嫌な音を立てている。

「待って下さい。――どうしてアリババさんが謝るのですか」
「だって、昨日のことは……俺のせい、だろ」
「違います。煌帝国の神官のせいでしょう? それに、あなたが一番の被害者じゃないですか」

 そうだ、それは間違いない。心なしか疲れているように見えるのは気のせいじゃない。二日間、アリババさんはその身を傷つけられていたのだから。私は女性ではないから、アリババさんが今どれだけ辛い体調なのかはわからない。少なくとも一昨日はしばらく歩けないくらいだった。今だって目が覚めて私の部屋を訪れたけれど、無理をしているのは顔色を見ればわかる。

「それ、は……そうなのかもしれない。でも、ごめん」

 どうして私はこんなにイライラしているのだろう。昨日の朝のアリババさんの方がいくらか元気だったのに、今の彼女は今にも手折れてしまいそうなほど気弱だ。

「あなたは私に自分を責めるなと言いましたね。それなのにアリババさんは自分を責めてる。おかしいじゃないですか。こんなの公平な考え方じゃない。それに、どうしてまだアリババさんは謝るんですか」
「だって、モルジアナは俺のこと、そんな風に思ってないだろ」

 鈍い。とは思っていた。私自身もアリババさんに対して気持ちを表現することを抑えていたから、気付かないのも仕方がないのだろうけど。
 ふと、気付いた。
 私達の今の関係は酷くいびつだ。魔法と、二度目は薬で、互いの意志が関係なく体の関係をもってしまった。そこに、相手に対する愛情はなかった。とアリババさんは思っているのだろう。

――それじゃあ、どうしてあの時。

 私に好きなんて言ったんですか。
 顔を上げた。目の前で顔を俯けて心の痛みに苦しんでいるのは、私が誰よりも敬愛している人だ。

――あなたの心の内がわからない。でも一つ、あなたは勘違いをしている。それだけはハッキリわかりました。
「アリババさん。私はこうゆう場合、自分がどうしたらいいのかわかりません。経験もありません。でも、一つだけ、ハッキリしました」

 どうするのが一番良い方法かなんて私にはわからない。けれども、やりたいこと、伝えたいことは理解した。アリババさんを、助けに行った時と同じように、胸の奥のモヤモヤが晴れていく。ゆっくりとアリババさんが顔を上げる。その琥珀色の瞳を正面に見据えた。

「私達は互いにどう思っているのかをまだ話してません。だから、前に進めないんです」

 僅かだった。僅かだったけれど、アリババさんの瞳が見開かれる。握り締められているアリババさんの手に、自分の手を重ねて、逃げないように正面からその琥珀の瞳に向き直った

「私は、アリババさんのことが好きです。愛しています」

 伝えることを恐れていた。同時に、伝えたかった気持ちだった。ずっと胸の奥にしまって押し殺していた、感情。
 そんなことを言われると予想していなかったのか、アリババさんは固まって、私を凝視している。

「いつからかはハッキリしませんが、ずっとあなたのことが好きでした。奴隷から解放された時から感じていた敬愛が次第に変わってしまった。でも、私とアリババさんとでは身分が違う。元奴隷の私があなたを幸せにできるジンもなかった。だから、この気持ちを口にするつもりはありませんでした。私はあなたの眷属として、あなたを守れるならそれだけで幸せでした」

 重ねた手に自然と力が入る。

「間違った関係だとしても、あなたが私を求めてくれた時は嬉しかった。あなたを傷つけた時は身が裂かれるように苦しかった」

 思い返した身勝手な感情。知られたら軽蔑されるかもしれないと思っていた。でも、今は正直にアリババさんに自分をさらけ出したい。その上で、拒まれるのなら諦めだってすぐにつく。私のことを好きだって言ったアリババさんの言葉も、薬によるものだって、わかるのだから。

「私のことでアリババさんが悩み苦しんでいる姿は見たくありません。それが私の気持ちを誤解しての苦しみならなおさらです」

 卑怯なのかもしれない。言葉を並べながら、私はどこかアリババさんに期待している。もしかしたら、彼女が私の気持ちに答えてくれるかもしれないと。

「お願いです。あなたの気持ちをお聞かせ下さい」

 沈黙が落ちた。黙って私の話を聞いていたアリババさんは目を瞬かせている。返答を待つ時間は僅かだったと思う。永遠に続いてしまいそうなくらい、長いと錯覚したけれど。
 琥珀色の瞳が揺れて、視線が落ちた。

「――どうしたらいいか、わかんないんだ」

 彼女の口から、か細いように声が漏れてくる。重ねた手から、アリババさんが震えているのが伝わってくる。

「嬉しいのか、苦しいのか。申し訳ないって思っているのか、気持ちがごちゃごちゃで。今だってモルジアナの気持ちを聞いて、俺……」

 一度言葉をきってアリババさんは顔を上げた。

「でも、好きだ。モルジアナのことが好きなんだ。一緒にいたい。なのに、胸がすごく苦しくて、どうしたらいいかわかんないんだ」

 アリババさんの両目からはぽろぽろと涙がこぼれていた。笑おうとしているのに、落ちてくる涙。その涙が、とても綺麗に見えて、私はしばらくアリババさんの顔を見つめていた。アリババさんも戸惑っているようで、自分の涙に触れて、他人事のようにその涙を見つめていた。

「あれ? 俺、なんで……」

 手を伸ばしてしまったのは反射的だった。涙を流し戸惑っているアリババさんを、腕の中に引き寄せ抱きしめた。

「モルジアナ……?」
「嫌なら突き飛ばして下さい」
「……嫌じゃない」

 腕の中で彼女が小さく呟く。
 なんて、なんて愛おしいのだろう。この数日間で、今が間違いなく幸せな瞬間だった。

「一度、なかったことにしませんか。それで、もし許されるなら最初から全部やり直しませんか」

 どれだけ時間がかかるかはわからない。ずっと傍にいたのに互いの気持ちを伝えることが今になってからの私達だ。
 背中にゆっくりと回されて、小さく頷いたアリババさんに胸の奥が温かくなっていくのを感じていた。



 いつかこの日のことを、私達は思い返すのだろうか。
 短い時間だったけれど、悪夢に翻弄されるような日々だった。けれども、ここが私とアリババさんの、新しい一歩を踏み出した日なのは間違いない。

 感謝はしないだろう。ただ、こうゆう事件が無ければ私は前に進めなかったのではないか、とも思ってしまう。私の中にあったアリババさんに対する押し殺した想いは、押し殺したまま日の目を見なかったかもしれない。

 これから私達は旅を続けていく。私とアリババさんの関係もまた変わっていくのかもしれない。
 後で振り返って、この数日間の出来事を思い返して――。

 そしたら、またこの数日間を、違う目で私は見るのかもしれない。

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