小説 | ナノ


  キャンパスと絵の具2


 俺がここに来て一カ月経っていない頃だろうか。
 シンドリアに留学中だった皇女と皇子が煌帝国に帰ってきた。歓迎の式典の行われる様を遠い所から俺は見ていた。音楽が鳴り響き、夜も明かりがつけられ出店が並び、市街の人間も含め沢山の人が出入りしている。まるで祭りだ。どこか懐かしいと思ったけれど、俺の記憶の中には懐かしい情景など浮かばなかった。思い出せない。
 気にはしなかった。気にしても俺にはどうしようもないし、よしんば思い出せたとしてもそれが美しく思えるかもわからない。ただ、懐かしい、と思った感情の中に悪い気分はなかった。それだけで満足だった。
 いつまで続くともわからない祭りを眺めていて悪い気はしなかったけれど、日が沈んでから随分時間が経っていた。こっそり登っていた見張り台から降りて、だだひろい通路を歩く。部屋にもうすぐ着くという所で、前を遮られて俺は足を止めた。

「白龍」

 夜更けに人を訪ねるにしては白龍が手にしている槍が随分と物騒だ。正直言って嫌な予感しかしない。

「こんな所にいてどうしたんだ? あの祭り、お前が主役だろ?」
「あのにぎわいの中で一人減ったところで気付くものはいませんよ。それに、式典自体はもう終わっています」
「そっか。んじゃ、問題ないんだな」

 こっちが愛想笑い浮かべているっていうのに白龍は真面目な顔のまんまで笑いもしない。おかげで居心地が悪くて仕方がない。その様子からもここで俺を待っていた理由がロクでもないことなんだろうなぁと他人事のように思った。

「アリババ殿」
「なんだ」
「人目を忍んでお尋ねしたのには訳があります。俺達にはあなたをここから連れ出す用意があります」

 ほらな。やっぱり。

「俺達?」
「紅玉姉上が手伝ってくれます。帰りましょう。あなたの居るべき場所へ。アラジン殿もモルジアナ殿も待っています」
「それはまずいんじゃねーの。ほら、今の俺の立場って煌帝国に食客として招かれていることになっているんだぜ。勝手に連れ出したりしたら、白龍達の立場がまずいだろ」

 言っていることは本当だ。けれども、言葉で気遣う様な振りをしながら俺は白龍の提案を断っている。

「無茶を言っているのは承知しています。ですが、どうしてもアリババ殿には来てもらいます」
「なんか、力尽くでも……って言いだしそうだな。やな予感してたんだよなぁ」
「あなたが堕転している以上、素直に俺の提案を呑んでくれるとは思っていませんから」

 ゆっくりと白龍が手にしていた槍を構える。ザガンが宿った金属器。相手にすれば面倒くさいことこの上ない。
 戦って負けるのが怖いとかじゃない。

「なぁ。どのみち戦うとしても、だ。一つ質問に答えてくれないか。それって本当に俺の居るべき場所なのか?」

 懐の剣にはまだ手をかけない。聞きたいことがあるから。それと、どうしても伝えておくことがある。どうにも、目の前の白龍はまだ思い違いをしているようだったから。

「白龍。俺はお前が――いや、お前達が知ってるアリババとはもう違うんだ。堕転して、こっちに来てからは記憶がいじられている。さっき言ったアラジンとモルジアナ、だっけか? そいつらのことを俺は顔すら思い出せない。そんな俺の居場所なんてもうアル・サーメンにしかねえんだよ」
「そんなことありません! アラジン殿にはあなたを元に戻す方法があります!」
「やっぱりな」

 元に戻す。やっぱりそりゃそうなんだろうな。

「それだよ。それ。結局『俺』の帰る場所なんてどこにもねーじゃん。お前らが会いたがっているのは俺じゃなくて、堕転する前のアリババ、だろ? 俺じゃない」

 脳裏にイスナーンの言葉がよみがえった。あいつらのいう治療が終わった頃に言われた言葉だ。



『アリババ王。よく聞け』

 ようやく完全な黒い王が、などと周りの連中が囁く中で、あいつが言った言葉だ。

『堕転する前の記憶を忘れてしまったお前を運命は許さない。必ず元に戻そうとする。わかるか? 堕転前とかけ離れた今となれば、元に戻ろうものならお前の意識も感情も記憶も全て消される。それは紛れもないお前の死になるだろう』

 嫌な笑顔で最後は告げた。

『――運命は必ず、お前を殺しに来る』



 あんたの言った通りだよ、イスナーン。

「正しいとか、正しくないとか、そうじゃないんだ。俺か、俺じゃなくなるか。ややこしいだろ? わかり辛いと思いし、わかってもらえるつもりもない。でも、俺をお前らが元に戻そうってするなら、俺は抵抗する」

 白龍が構えた槍の切っ先に見えるのは、迷いだ。お前を面倒なことに巻き込んで本当に悪いと思っているよ。
 ほとんど記憶を忘れているといっても、白龍が片腕を犠牲にして俺を庇ったことは忘れていない。俺のことなんか放っておいて、アル・サーメンの一部としての俺を敵対する組織の一部として殺しに来ればいいのに。そっちの方が余計な良心の呵責を感じずに済む。
 改めて、白龍を前に見据えて俺は言葉を投げた。



「なぁ。お前達の所が、本当に俺の居るべき場所なのか?」

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