繰り返される暗闇の夢
煌帝国第四皇子として先程シンドリアに到着した練白龍に対し、俺は好印象を抱いていた。
――あいつは良い奴じゃないか。
そう思う。そう感じた。
それなのに胸がすっきりしない。もやもやとした不安の塊が彼を見た時から胸の内にある。
彼が誠実で真っ直ぐな人間だということは、彼と紅玉がシンドリアに着いた時のひと騒動の中でも良く分かった。それなのに、俺は何を不安に思うことがあるっていうんだ。
――煌帝国の皇子だからって俺があいつに何かをされたって訳じゃないだろ。
彼を憎むとか、恨むとか。そんな気持ちを抱いて、俺は港に行っちゃいなかった。そのはずだった。
心の内にわきあがるもやを振り払うように、俺は首を振った。
戦火に包まれている街並み。
どこもかしこも、武器を手にした人々であふれかえっている。
――これは……。
これは夢だ。あの内乱の時の、混乱に陥ったバルバッド。
王制を廃して、共和制への移行を行い、誰もが犠牲にならず済むと思ったのに。
俺がカシムを止めきれず、多くの国民が互いに傷つけあうのを俺は止められなかった。
その時のバルバッドの光景だ。
――もう……終わったんだ。
場面が変わる。
真っ黒い炭のように、崩れ落ちて死んでいったカシムが目の前にいる。結局俺はあいつを殺すことでしか止められなかった。
それでも内乱はようやく終わって、これから国民全員で国を立て直していくはずだった。これから、だったんだ。共和政に移る為の準備をして、国庫を開いて国民に物資が行き渡るよう手配して――。
そこに、煌帝国の軍勢が現れた。
それ以降、俺は何も知らない。何の情報も入ってこない。
唯一知ったのは、シンドバッドさんから、煌帝国よりバルバッドの自治は認められている。ということだけ。
――憎いだろう。
自分の声には聞こえない誰かの声が響いてくる。その声にかぶりを振った。嫌だ。認めたくない。
「違う!」
その声を振り払うように叫べば、次に目の前に広がったのは別の光景だった。
俺が全く知らない短い緑の草に覆われた平原。その大地の上で、異民族と思しき人々が煌帝国の兵士に追い立てられている。年寄りや男は切り捨てられ、女子供は捕らえられ手足に枷をはめられ荷台に詰め込まれていく。
放たれた炎に、飛び交う怒号と悲鳴。やけに生々しい光景は全く見たことのないはずなのに、変な現実感があった。それなのに、止めたくて駆け出したくても、手も足も動かない。
――憎くはないか。
こんな光景、俺は知らない。ただの想像だ。夢の中だけの出来事のはずだ。
なのに、胸に湧きたつ焦燥感はなんだ? 知らない声の囁きに首を振る。違う。俺は憎んでなんかいない。
炎で視界が真っ赤に染まっていく。炎で何も見えなくなったと思うと、次の瞬間には何も見えなくなった。
暗闇の中から響いてくるのは靴の音。
「もう……何も見なくていい」
顔を上げ、声の主の姿が見えたと思った。が、その声が言葉を発した瞬間、俺の視界はまた暗闇に閉ざされた。今度は自分の手足すら見えない。
――どうなってるんだ!?
「ここから先は覚える必要もない」
ただ、近づいてくる足音はそのままだし気配も感じる。信じられないが、その声が言った通り俺は視覚だけを奪われたのだろうか。例えようのない恐怖を感じて俺は一歩後ずさった。
「……誰だ」
「君は私と一度だけあったことがある。覚えていないかな?」
「……姿が見えたらわかるかもな」
「それは残念だ」
まだ近づいてくる気配に、俺はまた一歩後ずさった。姿が見えないのに声だけで相手がわかるかよ! それも一度しか会ったことののない相手を。
「苦しかっただろう。自らの醜い心の内をまざまざと見せつけられて。これからは、醜いお前に罰を与える時間だ」
「罰だって?」
不意に肩が強く押されて、体がバランスを崩す。受け身も取れず後ろに落ちるような感覚に、心が悲鳴を上げた。
「そうだな。ここからは聞かなくていい」
その言葉が聞こえたのを最後に、俺の耳は何も拾わなくなった。
やめろ! はなせ! そう自分がちゃんと声を出せているのかもわからない。
体は地面に押さえつけられている。見も知らぬ、多分男だとは思う相手が、これから何を俺にしようとしているのか、俺にはわからない。
――これは俺の夢なんだろ!
だったら覚めてくれよ。覚めろよ!
こんな苦しくて、怖いだけの夢なら覚めてくれよ!
今私の目の前には、ソロモンの傲慢が選んだ王の器がいる。
暗闇の中に仰向けに倒れている青年は、小麦色の髪をしていることもあり、暗闇の中で白く浮き上がって見えた。
この王の器が目を覚ましている間、内側に入り込んだものの私はあまり彼に影響を与えられない。が、彼が眠っている間は違う。
彼が心の奥に押し込めている後悔や怨嗟の声――それらを彼のルフから呼び起して悪夢を作り出すことは容易かった。最初は彼自身の白いルフの抵抗が強く夢を操るのもうまくはいかなかったが、この一ヶ月間幾度と繰り返せば、その抵抗も弱まってきた。
今日、煌帝国の皇子が彼の目の前に姿を現してくれたのも良い影響を与えてくれた。元々私が毎晩影響を与え続けていたせいか、彼の中の不安は手に取るようにわかった。ふくれあがった不安のおかげで、彼の中の白いルフの抵抗がいつもより少ない。今では、彼の夢はほとんど私の支配下にある。
私が見せたいものしか、彼は見れず。
私が聞かせたいものしか、彼は聞こえない。
おそらく触角や痛覚を消すことも容易いが、それでは私が愉しめない。これから彼は見えず聞こえずのまま、現実に近い感覚で痛みと恐怖を与えられるのだから。
「さぁ、愉しもうか。ソロモンの傲慢に選ばれし王よ」
もはや何も聞こえていないのに、私は哂わずにはいられなかった。
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