小説 | ナノ


  悪夢の話2


――嘘。体が……。

 急に重くなったと思った瞬間、モルジアナは衝撃を感じて後ろに吹き飛ばされていた。起きあがる間もなくその背が地面に押しつけられる。
  モルジアナが、マゴイが尽きたのだと気づくまで時間はいらなかった。

「モルジアナ!」

 名前を呼ばれて反射的に顔を上げれば、別のところで敵と戦っているアリババがモルジアナの目に入った。彼は交えていた相手の剣をはじくと、大きく後ろに下がって距離をとった。即座に懐に空いている片手を入れ、その手を一線させた。彼が投げたナイフがはじかれ地面に落ちるのと、モルジアナの首の横にナイフが突き立てられるのは同時だった。

「そこまでですね。彼女の命が欲しかったら動かないことです」
「くっ……」
「アリババさん! 私のことは気にし、んぐっ」

 余計なことは言うなといわんばかりに下顎を持ちあげられた。モルジアナが舌を噛まずにすんだのは不幸中の幸いだろう。

「まずはその物騒な武器を手放してもらいましょうか」
「武器を捨てれば、彼女は解放するのか?」 
「それはあなた次第です。けれども、その前に要求を飲まなければどうなるかはわかるでしょう?」

――やめてっ!

 悲鳴をあげることができていたなら、モルジアナは叫んでいただろう。

 こんなはずじゃなかった。
  ただ二人で買い出しに行くことになって――運が悪かったのだ。彼らーーアルサーメンとばったり出くわしてしまったなどと。
  フードで顔が隠されているため、はっきりと確信できた訳ではないが、気づかぬふりをして立ち去ろうも尾行されている気配は感じていた。
  それからは街の人々を巻き込まないように、人通りの少ない路地へと逃げ込んだ。慣れない街で逃れることを必死に考えたが、向こうが追いつく方が早かった。

 
「ちっ」

 舌打ちと共にアリババは宝剣を手放した。乾いた土に金属が転がる音が響く。

「俺はどうなってもいい。その代わり、モルジアナは見逃せ」
「あなたが我々の要求をのんでくれるなら考えましょう」

 アリババが横に視線を走らせれば、モルジアナと視線がかちあった。言葉に出さずとも、彼女の見開いた目から自分の行動が望まれていないことだけは、アリババにもわかっていた。けれども、選択肢は他にはない。アリババにはモルジアナの首に添えられた刃がいやというほど見えていたのだから。

「……要求は飲む。だから確約しろ」
「疑い深い人ですね。わかりました」

 目の前の男が何事かを呟けば、さして時間もたたずモルジアナは睡魔に襲われた。魔法によるものだろう。目蓋が閉じていくのに必死で抵抗しても、視界は暗く閉ざされていく。

 彼らにとってモルジアナの命など気にもならないものだろう。生きていようが、死んでいようが関係無い。彼らが命を狙っているアリババやアラジンに比べたらさしたる価値もないのだ。交渉材料として使えなければ、殺すことにためらいもしないだろう。
  それがアリババにはわかっていた。首を横に少しでも振れば、迷いもなくふりおろされる刃。見捨ててほしいと仮にモルジアナが願ったとしても、アリババにはモルジアナを見捨てることなんてできなかった。



「……逃げるんだ、モルジアナ。一刻も早く、アラジンをつれてこの街から――」

 モルジアナの意識が完全に落ちる直前、近づいてきたアリババが彼女の耳にささやいた。その言葉を最後にモルジアナの意識は、暗闇へと落ちていった。



「祭り……ですか」
「そ。ちょうど隣の国で明日やるみたいでさ。船でちょうど一時間くらいの場所だし、アラジンと三人で一緒に行かねえかって話になって」

 買い出しついでにちょっと寄るだけ。と名目を付け加えたようにアリババは言ったが、はたから見ればどうみても目的は第一声に含まれている。
  現在、アリババ、アラジン、モルジアナはシンドリアで三人それぞれ修行の日々を送っていて、それはそれでかけがえのない時間である。けれども、日中顔を合わせる機会が少なくなって、話をする機会はその日に会えるかどうかという偶然にかなり左右される。それぞれの修行の様子とか、何か困ったことはないかとか、アリババが気になっても聞く為の時間が割けないというのが実情である。
  そんな時にたまたま耳にはさんだ祭りの話は、アリババにちょうどいい機会だと思わせた。それに祭りと言えば、修行の息抜きにはもってこいだ。

「師匠達が明日は会議らしくって修業は休みらしいし、モルジアナがよかったらどうかなって」
「……私も、行っていいのでしょうか」

 戸惑い気味にモルジアナが言えば、当たり前だとアリババは強く頷いた。

「もちろんだって! アラジンも喜ぶしな!」
「では、是非」
「よーし! それじゃ明日は朝一で出発だけれど、大丈夫か」
「はい」

 市場が始まるのは早朝と相場が決まっている。祭りに行くのは買い出しの後だ。長旅にも使えそうな道具がないかも気になるし、商いに興味があるアリババとしても新しい品が入っているのかも気になる。

――できれば知りたいこともあるしな……。

 モルジアナが行くと言った瞬間から、早朝の船の時間はいつだったっけ、あとで調べないとなーとアリババの思考は移っていった。
  だから、アリババは気付かなかった。アリババに満面の笑みを向けられて、モルジアナの胸が高鳴り頬が僅かに赤く染まったのを。



「すごい人だねぇ」

 祭りということもあり、近くで開かれている市場も道を人が埋め尽くして溢れかえっていた。
  一度でも迷子になれば、合流することは難しいだろう。シンドリアの近くにあるこの街は交易点の一つとして、バルバッドほどではないが栄えていて街の規模としてもかなり大きい。人の流れがどうなっているかはわからないが、流されてとんでもない所に辿りつきそうでもある。

「それじゃはぐれた時の待ち合わせ場所を決めとくか。この船着き場でどうだ」

 船着き場もかなりの人が行き来しているが、それでもこれから入る街の道に比べれば随分ましである。
  なるべくはぐれずに移動したいが、この人込みでは押し流されてはぐれない保証は無い。

「そうだね。ここでいいと思うよ」
「はぐれたらここに来ればいいんですね」

 アリババの提案に二人は頷いた。
  モルジアナが振り返れば、帆船が所狭しと船着き場に並んでいた。晴天の太陽が頭上ではさんさんと輝き、たたまれた帆が潮風に煽られ、わずかにはためいている。

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