小説 | ナノ


    かごをこわすひと2


 じゃらり、じゃらり。
 暗闇の中で耳障りな音が聞こえる。私の嫌いな、鎖の音だ。

――また夢を見ているのかしら。奴隷だった頃の夢を。

 最近は見なくなった奴隷の頃のつらい思い出を、また、見ているのだろうか。
 暗闇の中で佇みながら、私は視線を落とした。けれども私の足にかつてはめられていた枷はない。枷に繋がっていた鎖もない。
 私は首をかしげた。それなら、この音はどこから響いているのだろう?

 音の鳴る方に私は目をこらした。何も見えない、暗闇からその音は聞こえてくる。
 音の鳴る方に私は歩いていった。暗闇からその音の元が見えてくる。

 最初は鎖。奴隷の足枷に繋がれていたものと同じ、太い鎖。
 鎖をたどり、次に見えてきたのが白い足とそこにはめられた枷だった。鎖はその枷に繋がっていた。

「っ!?」

 そこまで行けば、暗闇の中で、鎖に繋がれているのが誰かわかった。いまわしい鎖に捕らわれているのが、誰なのか。

 悲鳴のような声で、その人の名前を呼ぶのと、私が夢から覚めたのは同時だった。





 明日だ。明日にはユナンさんと約束した日になる。それなのに、モルジアナの気分は晴れなかった。
 
――嫌な、夢だったわ。

 明日ユナンさんがもたらしてくれる情報がどんな情報なのか、私はまだ知らない。けれども、この日の夢見が悪かったせいか、嫌な予感が胸に押し寄せていた。よりにもよって奴隷だった頃の自分と、アリババさんを重ねて見てしまうなんて私は何を考えているんだろう。そんなこと、あって良いはずがないのに。あって欲しくないのに。
  この日は村の人が密林に果実を取りに行くと聞いたので、その手伝いで同行することになった。

「ちょっと待て。その実はまだ青いぞ」
「あ……」

 言われて手が止まった。もぎろうと手を伸ばした実は確かにまだ青かった。手を引いて声をかけてくれた人に頭を下げた。危うく貴重な森の恵みを一つ無駄にするところだった。

「す、すいません……」
「どうしたんだ、モルジアナ。さっきから上の空じゃないか」

 相手も困ったように頭をかいている。青い実は熟すまでとらないという村の取り決めだった。それは以前初めて森にはいったときに注意として教えられている。何度か森の散策に一緒に行ったことはあるけれど、こんな失敗をしたのは今回が初めてだった。

「謝ることはないんだが、もし具合が悪いなら休んでいていいんだぞ」
「いえ、大丈夫です」

 体調は、悪くない。睡眠だって足りている。
  それなのに、意識は散漫としていた。でもだからといって、村へ戻って何もすることがないと不安に押しつぶされそうだった。昨晩の夢を思い出してしまいそうだった。
  もう間違いはしないから、一緒に働かせて欲しい。そう懇願しようと私が口を開いたところで、一緒に同行していた女性が前に出てきた。

「それじゃモルジアナは、私と一緒に先に村に戻ってくれないかしら。みんなの料理の用意を手伝ってほしいの」

 にっこりとその女性が笑う。彼女は私を家に泊めてくれている家の奥さんだった。血縁関係はわからないけれど、村に私が来た時から何かと世話を焼いてもらっている。何でも祖母が若かった頃の肖像画に私が似ているとかで、私は彼女のことを叔母さまと呼ばせてもらっていた。
  何か思うところがあるのだろう。微笑みつつじっと私の目を見ている。

「……わかりました」

 私は頷いて、荷物を受け取った。 





「何か、悩み事があるんじゃないの?」

 歩きながら彼女は聞いてきた。ここ数日、私が浮かない顔をしていることを彼女はずっと心配してくれていた。住まいを貸していただけているだけでも十分すぎるくらい恩があるのに、さらに心配までかけていて私は申し訳なく思った。

「話すだけでも、楽になることもあるのよ」

 その言葉に、果実が入ったカゴを抱えなおした。確かにここ数日の不安を私は誰にも話すことはしていなかった。ユナンさんが言った七日間が終われば結果が出るのだと、言い聞かせて不安を押しとどめて、不安を紛らわせるように村の仕事を手伝って過ごす七日間――正確には六日間しかたっていないのだけれど――とても長く感じていた。
  村の人々には全く関係のないことだから、話す必要もないと私は思っていた。話しても、彼らが困るだけだと。

 でも、彼女が言ったように自分の内に抱え込んでいるだけでこんなにも苦しい。

「話しても、いいでしょうか……」
「ええ。聞かせてちょうだい」

 ぽつりぽつり、と歩きながら私は話し出した。

 この数日間、私の恩人の安否がわからなくなっていること。
  無事だとはわかっているけれど、その人は身を守る武器を手にできていないこと。
  その人のことがずっと不安で、昨晩嫌な夢を見たこと。
  すぐにでもその人に会いたいと思ったこと。
  側に行けないことがすごく苦しいこと。
  大丈夫だと思いたいのに不安が拭えなくて、ずっと手も足も重いこと。
  不安を紛らわすように仕事を手伝ったこと。
  明日、に、この七日間で調べてもらっていたことがわかるということ。

 一つを話してしまえば、ずっとため込んだことを話すまで時間はかからなかった。
  話してしまえば気持ちもはっきりとしてきた。とてもシンプルで、単純な気持ち。その気持ちがきっと私の不安をもっと大きくしてきた。

――アリババさんに会いたい。

 その気持ちが七日間でずっと膨れ上がってきていた。アリババさんから頂いた首飾りに手が自然とふれていた。

 胸に抱えていた不安を語り終える頃には村の、彼女の家の前に着いていた。
  話を聞いてくれていた彼女が、手にしたカゴを置いて振り返った。私もならってカゴを置くと、入り口の所で彼女が柔らかな笑みを浮かべて待っていた。

「そう。モルジアナにはもう大切な人がいるのね」
「大切な……人?」

 アリババさんは私にとって大切な人だ。恩人と、言っているから彼女もそのことはわかっていると思う。しかし、彼女が含む言葉は、ただ恩人という意味だけで言っているように聞こえなかった。
  オウム返しに問えば、彼女はゆっくりと頷いた。

「生涯ずっと一緒にいたいって思える人よ」

 その言葉が至る意味を想像して、かっと顔に熱が上った。

「わ、私とアリババさんはそんなんじゃっ!」
「アリババさんって言うのね。モルジアナの大切な人は」

 くすくすと笑われて、私は押し黙ってしまった。
  顔が熱くなっているのが分かる。きっと今の私は茹でダコみたいに顔が真っ赤だ。





 先に家に入ってしまった彼女に追いついて、なんとか絞り出した言葉はどうにも言い訳じみていた。

「あ、あの……。以前にもお話したと思うのですが、奴隷だった私を解放してくれたのがそのアリババさんなんです。だから、その……ずっと一緒にいたいとか、そんなこと……」

 最後の方は尻すぼみに消えていった。彼女が言わんとしていることを想像して、熱が冷めない。不意に想像してしまった。隣にアリババさんがいることを。隣で、笑って私を見ているところを。そして、その笑顔の彼の隣で私も同じように笑っていることを。

――思い上がりにも甚だしい。

 思わず首を横に振って、私は考えを振り払った。
  一緒にいたいって思うのは本当だけれど、それこそここで言っているように、一生ずっととかそこまで考えてはいなかった。彼にもらった恩を返せればそれで――。

――本当に?

 そこまで考えて私はまた考えを止めた。恩を返したその先なんて考えたこともなかったから。
  最初の目標にしてきた故郷を訪れることは出来た。恩を返せたらその後は、と、アリババとアラジンに恩を返した後の先にあったはずの故郷は今私は訪れてしまっている。またここに戻ってくるのもいいと思う。けれど――それは何か違う気がした。

「誰かとずっと一緒にいたいって思うことは、最初は恥ずかしいかもしれないけどとても素敵なことなのよ」

 諭すように、堂々巡りの思考に陥りそうだった私は拾い上げられた。思わず顔を上げて、最後の言葉をゆっくりと繰り返して呟いた。

「素敵な、こと?」
「そう。とっても素敵なことよ。だって、それだけ誰かを好きになれるんだもの」

――好き。

 その言葉だけがすとんと胸に落ちてきた。
  前に、私にその言葉を贈ってくれた人がいる。その時はその気持ちも意味もわからなかった。今の、私がアリババさんに抱いている気持ちもそうなのだろうか。
  わからない。けれども、手に力が戻ってきた気がした。

「あなたの恩人がどんな意図で故郷に帰れって言ったのか、私にはわからないわ。でも、今のあなたを見ていると少しだけわかるの。きっとあなたをもう一度旅立たせる為なんじゃないかしら」

 料理をしている手をとめて、叔母さまが笑う。

「行ってきなさい、モルジアナ。ここはあなたの魂の故郷。いつでも帰ってきて良い家。けれど、あなたをここに縛る場所じゃないのよ。大切な人がいるなら、全力で守らなくちゃ。ファナリスは、そうゆう種族よ」

 背中を励ますように強く叩かれた。
  ちょっと痛かったけれど、背筋が伸びるのを感じた。
  手にも足にも力が戻ってきたような気がする。心のどこかでずっと引っかかっていた何かが取れて、散漫だった意識がクリアになっていく。

――そうか、私は。

「となると、今夜は晩餐会ね。明日、出発するんでしょう?」

 料理を張りきらなくちゃ! と笑う彼女はどこまでも眩しかった。
  ゴルタスがどんな意図であの言葉を残したのかはわからない。彼の故郷に帰りたかった無念を私に託しただけなのかもしれない。もしそうだとしても、ここに導いてくれた彼に感謝したい。
  ここに来れて良かったと心から私は思える。

「はい!」

――アリババさんが好きなんだわ。

 ここで気付いた気持ちと、強い意志を持って。
 私は旅立つ。





 この日の晩は、村中の人が集まる宴になった。私一人の為にここまでしてもらって申し訳なく思ったけれど、今は笑顔でその好意を受け止めていた。

「ファナリスの誇りがあなたの胸にあるなら、どんなに離れていても私たちはいつも一緒だわ」

 叔母さまが杯を交わして言葉を贈る。

「行ってらっしゃい、モルジアナ」
「行ってきます」

 きっと彼女が後押ししてくれなかったら、私はここまで吹っ切れた気持ちでここにいなかったのかもしれない。

「皆さん、本当にお世話になりました! 私、皆さんのこと絶対忘れません!!」

 大きな声でここにいるファナリスに感謝を伝えた。私の言葉に、四方から言葉が返ってきた。

「行ってこい、モルジアナ」
「元気でな」
「いつでも帰って来いよ!」

 誰もが笑顔で杯を高く掲げる。その光景に私は胸が熱くなった。

――ここは本当に温かい。居心地が良くて、同胞もたくさんいる。とても素敵な場所。

 でも、ここにはアリババさんがいない。
  アラジンがいない。

 視線を村の外の平原に向けた。星空が沈みゆく地平線の先には、大峡谷が広がっているのだろう。

 二人ともあの大峡谷の先で今も戦っている。
  今回のことでわかった。私が傍にいないときにあの人に何かがあったら――、それが取り返しのつかないことだったら――。きっと私は生きていけない。二度と笑顔になることなんてできない。

 離れてみて自分がすでにかけがえのない宝物を手にしていたのだと、気付いた。近くにいたままなら気付けなかったかもしれない。

 彼らと一緒に肩を並べて笑い合うことができるなら、それだけで私は良かった。





「待っていたよ。モルジアナ」
「よろしくお願いします」

 ユナンさんはあの日居た場所で私を待っていた。手には、大きな巻き物を持っている。
  木陰で広げられた巻き物は、地図だった。それもとても大きな。以前シンドリアで見せてもらった世界地図だった。

「君が探したい人は――というか、君の主の金属器はここにある」

 そう言ってユナンさんは世界地図の一点を示した。その場所があまりにも予想と離れすぎていて、私は呆然とその一点をみていた。レーム帝国より遥かに東へ進んだ所。東の大陸の中央に近いその場所は。

「煌……帝国?」

 脳裏に浮かんだのは白龍さんをはじめとするシンドリアを訪れていた煌帝国の面々。確かに、ユナンさんは煌帝国の皇帝が崩御し、争いが起こると言っていた。でも、アリババさんは――。

「おか、しいですよ。彼はレーム帝国で修行しているはずなんです。修行が終わったらシンドリアで落ち合おうって――」

 言葉を紡ぎながら手が震えた。この一週間感じていた嫌な予感が的中したことを示している。少なくとも一年間はレームで修行すると言っていたアリババさんが煌帝国に今いるのはどう考えても不自然だった。私たちが旅立ってからまだ半年くらいしか経っていない。
  仮に、アリババさんがアクティアの一件から白龍さんを追いかけたとしても、それだと余計に金属器を手放すのは不自然になる。どちらにしろ、アリババさんに何かがあったのは明白だった。

「でも、少なくとも金属器があるのはここだよ」

 ユナンさんの指は動かなかった。
  詰めていた息をゆっくりと吐き出して、ユナンさんを真っ直ぐ見据えた。私は、もう覚悟を決めてきたから。

「……君は、戻りたいのかい。モルジアナ」
「はい」
「またここに来るのはとても難しいよ。それでもいいの?」
「別れはもう済ませてきました」

 地図をたたんでユナンさんが立ちあがった。

「行く前に一つだけ聞いて良いかな。こんなにも君が会いたい人ってどんな人なんだい?」
「アリババさんは――」

 苦しんでいる誰かを助けるためなら必死になれる人。
  いつも誰かのために傷だらけになっている人。
  きっと、今だってそう。

 一人で傷だらけになって人の為にばかり涙を流して、絶望に陥りそうな人達を救っていく。私も彼に救われた。返しきれないほどの恩を受けた。
  でも、それだけじゃない。

 私はアリババさんの力になりたい。
  一緒に前に進みたい。
  彼を支えたい。
  傍にいたい。

「アリババさんは、とても優しくて、前向きで、いつも暖かい気持ちにさせてくれる人なんです。それなのに、とても泣き虫で――。だから、私が傍に居て支えてあげたいんです」
「モルジアナは本当にその人のことが好きなんだね」

「……はい!」

 今はもうその気持ちに頷くことを躊躇わなかった。

「それじゃあ行こうか。君が望む場所へ」

 ユナンさんが差し出した手に、私は手を重ねた。



 一刻も早くアリババさんの元へ駆けつけたい。
  それが今の私の――一番の望みだった。

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