小説 | ナノ


    かごをあむひと


 煌帝国に戻ってからと言うものの、心が安まる日はなかった。
 ここでの俺は、煌帝国第四皇子、もしくはどこの勢力にも属さない目障りな反抗因子でしかない。力になってくれるとふんでいた姉上は、反抗部族の制圧の一件からどこか俺と距離を置くようになった。
 腹のさぐり合いもまだ続き、ろくに人と話をしたことがないような気さえする。シンドリアにいた頃とは何もかもが違っていたが、こちらこそが現実なのだと過去の甘い夢に蓋をした。
 そんな時だった。なぜか上機嫌な神官殿から鳥の話を聞いたのは。最初は冗談かと思ったが、彼もまたシンドリアの庇護から抜け出た身だ。マギである神官殿がそう望んだのなら、よほどの実力者でない限り無理だろう。それこそ、シンドバッド殿のような。

――なぜ神官殿はそのような話を俺にするのか?

 疑問に思ったのは一瞬だった。
 数日はそのことを気に止めていただけだったのに、次第に彼がここにいると思うと浮き足が立ったように落ち着かなくなった。
 後日。神官殿を捕まえて、彼の居場所を尋ねた。その時の神官殿は確かに口に弧を描いていた。



 久しぶりに会ったアリババ殿はあまり似合っているとも言えない煌帝国の衣装に身を包んでいた。唐突に現れた俺に驚いているようだったが、俺が白龍だとはっきりわかると顔を喜びにほころばせた。

「よ、よお。久しぶり、だな。白龍」
「……お久しぶりです。どうして、ここに?」

 問うまでもなくここに彼がいる理由を俺は知っている。足枷に繋がっている鎖、首筋から見える赤い痕――。鏡もないのだから、彼は自分がどんな醜態をさらしているのかも分からないのだろう。

――ああ、そうゆうことか。

 知らず知らず唾を飲み込んでいた。神官殿が上機嫌に話す理由も、ここから来ているのだとすぐにわかった。

――あいつ、いい声で鳴くんだ。お前も……、聞いてみたいだろ?

 ここでどのように彼が扱われていたのか、すぐにわかった。鳥とはよく言ったものだと思う。
 当然、アリババ殿にとっては望んだ状況じゃないのだろう。鎖を袴で隠すように、苦笑している様子がそれを伺わせる。

「それが、ジュダルに連れてこられてよ……。頼む! お前にも立場とかあるんだろうけれど、俺をここから逃がしてくれ!!」

 表情は真剣そのもので、それだけ彼が本気で願っていることが伝わってきた。
 不意に彼のまっすぐな視線に、打たれた気がした。胸が高鳴った。
 その時、何が足りないのかがわかった気がした。煌帝国に戻ってから俺に何が足りないのか。精神的な鍛錬でもない。力にになる眷属でもない。

 俺だけを――。煌帝国の王位継承権を有している皇子ではなく、ただの俺を見てくれるひとがいない。まっすぐ俺を見てくれるひとがいない。それは、とても悲しいことだった。寂しいことだった。
 その当たり前に、アリババ殿の視線に気づいてしまった。アリババ殿にさえ会わなければ自覚もしなかったことかもしれない。俺だとわかった時の、俺に向けられた笑顔を見て、最近俺の周りにはこんな表情を浮かべる人は誰もいなかったのだと気づいてしまった。姉上でさえもどこか怯えを含んだ眼差しを向けてくる。一般の臣下にいたってはもっと露骨だ。礼をしている間顔が見えないことに安心しきって、自分の体が震えていることにも気づいていない者が多いのだから。

「突然こんなこと言われて困るのはわかってんだけどよ――」

 こんな場所に閉じ込められても、どのような行為を強いられてきたとしても、今のアリババ殿の瞳に陰りはなかった。俺に向ける視線はどこまでもまっすぐだった。

――この人が欲しい。

 憧れや嫉妬を含めた複雑な感情を俺はこの人に抱き続けてきた。その彼を手に入れて、自分のものにして、傍に置くことができたらどれだけ満たされるだろう。彼を抱くことができたら、どれだけ俺は満たされるのだろうか。歪んでしまったこの国での――、俺の孤独は癒されるだろうか。
 神官殿に俺が彼に対して抱き続けてきた感情がなんだったのかを見透かされているようで不快だった。何故、神官殿が俺に彼の話をしたのか――。この先の行動を見透かしてのことだろうか――。
 神官殿の思惑通りに事が進むとなるのは、俺としても好ましくない。

「アリババ殿、あなたの望みはわかりました」
「じゃあ!」

 救いを求めるように伸ばされた手を掴んだ。



「ですが……、すみません」

 欲望というものはどこまでも自分に忠実だった。

――今度こそ、アリババ殿には恨まれるかもしれないな。

 彼の望みを裏切るという背徳を背負うことになっても、どうしても俺には彼が必要だと思ってしまった。彼を逃がしたくないと、ここに留めておきたいと思ってしまった。
 空いた手を彼の頬に添え、俺は吸い込まれるように彼と唇を重ねていた。

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