小説 | ナノ


  かごのとり3


 体がダルくもなく、頭にもやがかかったような気分でもない。

――そんなこと、ここに来て初めてだな。

 目が覚めて、天蓋を見上げながら思ったのは、そんなことだった。

 泣き崩れて自暴自棄になっていたのは、昨日のことだ。その日の晩、ジュダルはこの部屋を訪れたものの、「抱かない」と本人が言った通りいつものように俺を犯さなかった。涙を止められない俺をあやして、本当に何もせずに帰っていった。理由はわからないけど、いつもとは違うジュダルの優しさに少しだけ安心したのも事実だった。
  ここに来てから思い出したくない出来事ばかりだが、昨日の自分の状態はとりわけ酷かった。白龍に抱かれたのがショックだったってのもあるけど、元々精神的に参っていたんだと思う。それでも泣くだけ泣けば多少気分がマシにはなった。少なくとも今の俺は、冷静に考えることはできている、はず……。

――このままで良い訳がないしな。修行でレームに行ったのに、途中で煌帝国にさらわれて、なんてままじゃな。

 今までのことを思い返すとまた落ち込みそうになる。でも、と気分を奮い立たせた。形振り構わず足掻くことは無意味じゃないはずだ。どちらにしろ糸口は行動しないと見つけられない。ベッドから降りれば、当然のように足の鎖が音を鳴らした。その音が現実を思い出させる。

――鎖は相変わらず、か。

 あやすくらいなら、さっさとこの鎖を断ち切ってくれたらいいのによ。胸中でジュダルにぼやきながら、近くの机に向かう。が、すぐにその足を止めた。

「マジ、かよ……」

 そこには何もなかった。目が覚めたらいつも置かれているご飯もなにも机の上にはのっかっちゃいない。

――ちょ、ちょっと待てよ!? まさか、抱かれないと飯が出てこないとかそーゆーシステムじゃないよな、ここ!

 給仕を運んでくる人間に俺は会ったことはない。にもかかわらず、ご飯がいつも用意されているのは、俺が気を失って目が覚めない時を狙って、置かれていっているってことだろう。ただ寝ているだけじゃ、俺が目が覚めるかもしれないから、飯が抜かれたのか……?
 ここに来てからの唯一とも言える楽しみがなくなったことに、がっくりと肩が落ちた。昨日とは別の意味で気分が陰鬱になる。
 食べれないとわかると途端にお腹が減ってくる。かといって、自分が一瞬想像した通りのシステムだったらかなり嫌だ。
 不意に近づいてくる足音に顔を上げた。ついでに漂ってくる美味しそうなにおいに、期待にお腹が鳴る。

――もしかして給仕の人か?

 外との接触が断たれているため、どんな些細な接触でもこれはまたとないチャンスだ。侍女が運んでくるなら、食事を運ばれたときに紅玉に言付けを頼めるかもしれない。

――『助けてくれ』っていきなり言付けするは無理だろうから、『会いたい』ぐらいなら――。

 紅玉にこの状況を見られるのはすごく嫌だけど、わずかだろうが何だろうがすがれるものはすがる。シンドリアで話したときに、彼女が周囲の人を大切にする優しい人間だと言うことはわかっている。ここから外に俺を出すのは難しくても、鎖くらいは外してくれるかもしれない。頼みに、と思っていた白龍が頼れなかった以上、紅玉を頼るしかない――。
  そう思った一方、紅玉をこの件に巻き込むのはすごく心苦しいとも思った。できれば巻き込みたくない。でも、他に方法を思いつかなかった。

――……白龍は、頼れない、よな……。

 ため息が自然と漏れた。ジュダルと何かしらの取引をしている白龍を現段階では信じられない。彼が恐ろしいと、未だに身体が震える。 
  と、その足音が部屋の前で立ち止まったのがわかった。コンコンと、扉が叩かれる。

「入っていいですか?」

 扉越しに聞こえた声に、思わず固まった。だって、そいつが飯を持ってくるとは思ってもいなかったから。

「……白……龍?」

 絞り出した声はただその名を呼ぶだけに止まった。それ以上言葉は続かず、それ以上の言葉を待っていた扉の先では人が動く気配がした。

「入りますよ」

 断りをいれて、扉がゆっくり開かれた。





「どうしたんです? 食べないんですか?」

 湯気が立ち上るほかほかの食事を机の上に並べられて、唾をごくりと飲んだ。食べたいけど何食わぬ顔で白龍に促されると、どうしようもなく腹が立つ。

――食べてえよ、畜生! でも、こっちはどんな顔でお前と話したらいいかずっと悩んでんだよ!

 俺の当惑を無視するように、白龍はシンドリアで会った時のままの白龍のように振る舞っている。一昨日のことを問いつめるにしても、こうして振る舞われるとどう対処すればいいのか、俺にはわからなくなっていた。お腹が空いているというのも一つの要因だ。

「毒味をご所望でしたら俺がやりますけど」
「いや、いい! 食べるから!」

 食べようとしない俺にしびれをきらしたのか、そう言って一膳しかない箸に手を伸ばす白龍を慌てて制した。俺は毒とかそうゆうことを疑っていたわけじゃないけど、食べようとしないのは白龍にそう映ったらしい。
  箸をとって、並べられている魚の煮物を口に運ぶ。その様子を食事しようとしない白龍に見られているのはちょっと気恥ずかしかった。それでも一口食べれば、二口、三口とすぐに俺は口に運んだ。
  温かいご飯自体を最近食べていなかったせいか、魚、米と食べて、汁物を飲んだだけで身体の内側がポカポカと暖まっていく。

――うまい。

 別に他の料理がまずかったとかじゃなくて、本当にこの料理がただ美味しかった。しかも、どこかで食べたことのある味の気がする。

「……お前が作ったのか?」

 思い出したのはザガン攻略時に船で白龍に振る舞われた料理だった。あの後も何回か料理を振る舞ってくれたことがある。その時の味にとてもよく似ていた。

「ええ、そうです。お口に合いましたでしょうか?」
「うん。すっげーうまい」

――って、違うだろっ! そうじゃねーだろ、俺!!

 素直に感想を言った後、自己嫌悪に陥って白龍から顔を背けた。白龍が何か話すだろうかと、様子を伺っていたはずなのにいつの間にか食べるのに夢中で、どうゆう状況なのかを一瞬確かに忘れていた。

「それは良かった」

 返ってきた白龍の言葉に、何もなければよかったのに、と俺は思った。
  部屋に俺を繋ぐ足かせも、一昨日の出来事も、何もなければ、白龍の料理もその言葉も素直に受け取れるのに。
  沈みそうになる気持ちを押しとどめるように、箸を動かしてご飯を食べる。話すにしても、考えるにしても、食べた後にすればいい。と俺は開き直った。

「食事が終わったら、外、歩きませんか?」

 唐突に紡がれた言葉に、俺は見事にものを喉に詰まらせた。慌てて水を探せば、そばにあったコップを白龍に差し出されて慌てて飲んだ。

「んぐっ! ぷっはあ! い、いい今、外って、言ったよな!?」

 息苦しさも忘れて思わず席を立っていた。前のめりに、白龍をじっと見れば、あいつはニコリと笑っていった。

「はい。言いました」
「でも、俺は……」

 足は鎖で繋がれている。続ける言葉をさえぎって、白龍は言った。『わかっています』と。



 食事が終わった後、食器を片づけて、白龍は懐に隠し持っていた小刀で、俺の鎖を断ち切った。魔力操作をしていたのだろう。小さな小刀だったけれど、その刃は欠けることなく鋼鉄の鎖を断ち切り、地面へと落とした。

「あ……」

 俺を部屋に繋げていたものが消えた。
  それだけなのに、嬉しくて仕方がなくて、気付いたら白龍の手を強く握っていた。

「あり、がとう。ありがとう、白龍!」

 俺はその時本当に嬉しくって、何も気付いていなかった。
  鎖は断たれたのに、足かせは残されたことに。
  ただ足が自由になったのだと、何も違和感を感じていなかった。






  俺が閉じ込められていた場所は、古い修練場の一つらしい。部屋から眺めることのできていた広場では、修練に励む武人達が互いの武器で打ち合っていたという。施設の説明を白龍はしてくれた。
  俺がいたのはその広場に併設された宿舎の一室だった。広場と宿舎、その二つを囲むように高い塀で四角く囲まれている場所だった。

「姉上に、会ってほしいんです」

 一通り回った後、白龍はぽつりと切り出した。

「えっと……白瑛さん、だっけ?」

――良かった。無事なんだな。

 気がかりだったのは、彼女が無事かどうかだった。カシムがマリアムを失って戻れない道を突き進んだように、白龍が姉である白瑛を失えば戻れない道を突き進んでしまう。そんな恐ろしい予感があった俺は、彼女の無事を素直に喜んだ。間に合ったのだと。

「俺が会っていいのか?」
「ええ。きっと姉も喜びます」

 そう言って白龍はこっちだと、先を歩いていく。道は角を曲がったり、細い路地を移動したりといった感じで、バルバッドでスラムでも歩いているような気分だった。すれ違う人もいないから、人通りの少ない道を歩いているんだろう。
  周りの建物は一見どれも似たような感じで、特徴や位置を把握しないと迷子になってしまいそうだった。





「大丈夫ですか、アリババ殿?」
「……、あ、ああ」
――なん、だ、これ?

 身体が熱い。それに目眩がする。
 白龍に連れられた場所で俺は彼の姉の白瑛さんと話をしていた。その途中での、突然のめまいだった。

「申し訳ありません、姉上。長旅のせいかアリババ殿は疲れているみたいです。彼を休めたいのですが」
「ま、てよ、白龍……。俺はまだ」

 話さないといけないことがある。と言いたかった。立ちくらみに襲われて言葉が途切れる。
 バルバッドを戦争に巻き込むつもりはない。けれども、煌帝国の統治下に置かれるつもりもない。自立と、不可侵略。バルバッドとバルバッドの国民のあるべき姿を俺は白瑛さんに伝えたかった。
  こんなところで会話が終わったら、彼女はバルバッドに対して何も知らないままになってしまう。悲劇があって悲しんでいる俺がいて、ってそれまでだ。でも俺は彼女を恨んじゃいない。せめてそれだけでも伝えたかった。

「白龍、アリババ殿を休ませてあげてください。大丈夫です。私との話はまた機会がありますから」

 白瑛さんは今までの話を受け止めてか、悲しげに笑った。

――違う! そんな顔をさせたいんじゃない!

「わかりました。行きましょう、アリババ殿」

 言うなり白龍は俺を抱えあげた。俗に言うお姫様だっこで。

「!?」

 白瑛さんが顔色を変えたのが見えて、その理由がすぐわかった。抱き上げた時に足かせが見えたんだ。羞恥に顔が熱くなる。足を隠すように動かして、抗議するように白龍を睨めば、あいつは顔色が変わった姉を冷静に冷たい表情で眺めていた。

――まさか。わざと?

 そんなはずはないと思いたいのに。非難の声を上げたくても、急に身体が熱くだるくなって目眩もして口を開くのも億劫だ。急に気分が悪くなるなんて、どうしたんだ、俺……。
  それでもここからこのまま去ることは避けたかった。重くなった手で白龍の服の裾を掴めば、驚いたように俺を見た。首を左右に振って、言葉をひねりだした。

「ちが、う……。ま、だ……はなし、は」

 何が違うと俺が言いたいのか、白龍はわかっているはずだ。

「まずは休みましょう、アリババ殿。疲れているんですよ」

 向けられた笑顔は作り笑顔だとすぐにわかった。そこに感情は何も込められていない。笑っていない白龍の目に、背筋が寒くなった。

「姉上。それでは失礼します」

 言葉を失っている自分の姉に煌帝国式の礼をして、白龍は歩みを止めることなく部屋から出ていった。



 白龍が俺を連れていったのは元々俺が連れてこられた部屋だった。
 ベッドに横たえられて、その間に白龍は奥の棚で何かを出している。
 少し経って、白龍が調合した何かの薬を目の前に差し出された。それを飲むと、体を巡っていた火照りとめまいが少し落ち着いてきた。それでも体を動かすには至らない。

――体調を崩したのか?

 朝起きたときはそんな体調ではなかった。少し歩いたにしてもそこまで疲れるほどの量じゃない。考えたくなかったけれど、確認せずにはいられなかった。

「おまえ、俺に何かしたのか……?」

 薬の器を片づけている白龍に言葉を投げかけた。かちゃりと、陶器を置く音が静かな部屋に響いた。

「ここまで『効く』とは思っていませんでした。やはり、体力が低下していたから、ですかね」

 陶器を置いて、白龍がこちらを振り返る。その表情は無表情で、とても冷めていた。

――なんで、どうして……っ。

 嫌な予感を感じたのは、白瑛さんの前での白龍の行動だ。俺が体調を崩してもそれほど驚いた様子もなく、俺が去りたくないと意思を示しても全く取り合おうとしなかった。まるで、俺が体調を崩すことが起こるのがわかりきっていたように、白龍は冷静だった。
 シーツを掴む手に力が入った。

「一服盛らせていただきました。姉上に余計なことを言われたら困りますから」
「余計なこと、だって?」

 何が余計なことなんだ、と俺は詰め寄りたかった。でも、できたのは体を起こして白龍を睨みつけることだけだった。その俺の視線を、白龍は冷めた表情で見ていた。

「あなたには、バルバッドから煌帝国に対する恨み悲しみは消えないって、姉上に思わせて欲しかったんです。姉上は、理想を求めるばかりで現実を知らない。あなたが友人を失った悲しみや怒りを知れば、現実もわかると思って」
「白龍! 俺は誰も恨まないって言っているだろ!」

 俺が何度か白龍に言った言葉。その言葉をまだ繰り返さないといけないのか?
 それに、どうして白龍が自分の姉にそんなことをするのかがわからない。こいつは姉をとても大切に思っているんだろ。姉を守ろうとしているんだろ。だったら、どうしてわざわざ傷つけるマネをするんだ?

「俺のことも、ですか?」

 投げかけられた言葉に、思考が止まった。これも、以前の問答と似ていた。でも、白龍が指そうとしていることは以前とは全く違った。

「あなたが俺に助けを望んだのに、裏切って無理矢理組みしいた。今もあなたを苦しめている。それでも俺を恨んでないと?」

 今日一日俺が目を反らしてきたことを、白龍は突きつけてきた。

「……やっぱりお前がやったんだな」
「夢だとでも思っていましたか」
「っ! 思いたかったよ! お前が俺を抱いた、なんて信じたくなかった!」

 何もかもが現実だ。またこの部屋に戻ってきていることも、ベッドの上で体が思うように動かないのも。足はもう自由に動けるのに、すぐそこに立っている白龍に詰め寄ることもできないことも。

「……お前はどうしてあんなことをしたんだ?」

 知りたかった。どうして白龍が俺を抱いたのか。どうして俺を助けてくれなかったのか。――できれば聞きたくなかったことだ。聞けば流すことも、後戻りもできなくなる。それが怖くて俺は今日切り出せなかったのかもしれない。
 でも、後戻りはもうできない。

「ジュダルがやっていることは、分かっている。俺を痛めつけて無力感を味あわせて、運命でも恨ませるつもりなんだろ。俺はそうなるつもりはない。でも、白龍、お前はどうしてあんなことをしたんだ? お前もジュダルと同じことを考えているのか?」
「……」
「答えろよ! 白龍!!」



「……その前に、俺も一つ聞いていいですか?」



「アリババ殿は、知っているんですか? アクティアの港町でモルジアナ殿とアラジン殿に俺が最後に伝えた言葉を」

――アクティア? 

 唐突に出された話に思わず俺は戸惑った。というのも、俺は別れる直前に大聖母の件で喧嘩腰に白龍と言葉を交わしただけで、旅立つ前の別れをちゃんとした訳じゃない。追いかけることはモルジアナに留められて、代わりにアラジンが白龍を追いかけることになった。

――モルジアナと何を話したのか? アラジンと何を話したのか? だって?

 あの時、戻ってきた二人とも白龍を引きとめられなかったことに落ち込んで、口を噤んでいた。どちらも共通して言っていたことは、何を言っても白龍を引き留められなかったということ、それだけだ。それ以外に何かがあったとしても、聞くのははばかられていた。もし、俺が知らなきゃいけないことなら、二人は話すだろうと思っていたから俺は聞こうとはしなかった。

「なん、のことだ? 引き留められなかったってのは聞いてる。それ以外に何かあったのか?」
「――やっぱり何も、知らないんですね。だから、あんたは俺を前にしても笑っていられたんだ」

 白龍が笑みを浮かべた。
 自虐的な笑みを。
 泣いているみたいだと、どうしてか俺は思った。

「俺も答えますよ。どうしてあんなことをしたのかって」

 白龍が一歩俺に踏み出した。気押されて僅かに身が後ろに下がった。
 本能が逃げろと警告している。けれども、身体も足も動かない。



「俺は最初に言った通りですよ。俺はあんたが欲しい。心も身体も何もかも――」

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