課長代理の休日 1


※ご注意:過去潮江にはそれなりに彼女がいた設定です。このお話に名前変換はありません



見慣れた天井板が目に入る。ああ、この節の部分が目玉に見えて曲がりくねった木目が人の横顔に見えるんだったな。商店街の安売りで買った古臭い形の蛍光灯は腹の真上辺りの中空でポツンと釣り下がってやがる。
それにしても今朝はやけに室内が明るい。カーテンの隙間から漏れる光の強さが既に日が昇ってかなり経つことを告げていた。

何たることだ。この部屋に日が射すのはどう考えても昼以降でしかない。俺は早寝出来なくとも早起きをしない日はないのに。こんなに寝坊をしたのは一体いつ以来だろうか。久しぶりの休みを、しかもこんなに天気の良い日を半日も無駄にしてしまったのかと我ながら腹立たしく感じられた。
舌打ちしながら煎餅布団から這い出ると、俺は枕元のカーテンを勢い良く引いた。眩しい青空が目に飛び込んできて堪らず瞼をギュッと閉じる。

ここ暫くの間会長の気紛れで残業が続いていた俺は、引っ越すのが面倒で大学以来住み着いているこの安アパートへ毎日寝に帰るだけの生活をしていた。昨日はどうにか風呂に入ったものの湯槽でうとうとして沈みかけ、慌てて上がると着替えて敷きっぱなしの布団に倒れ込んだのだ。

 ───喉が乾いた。

寝ぼけ眼で薄暗い台所へ行き冷蔵庫を開けて何かないかと探してみる。当然ながら部屋の主の俺が何も買っていないのだから何か入っている筈もない。仕方なく残っていた麦茶のボトルを手にとった。一口試したが特に変な味もしないからまだ大丈夫なのだろう。残り少ないそれに口をつけ俺は一気に飲み干した。一息吐くと流しの隅に空のペットボトルを置き、積み上げられた新聞に躓きながら台所の明かりをつけた。

たちまち室内の惨状が目に入って憂鬱な気分になる。今日こそは片付けんとな。確かに古いアパートだが以前はもう少し綺麗に片付けていた。一体いつからだろう。こんなに荒んだ状態になったのは。職場では整理整頓に厳しいきれい好きの俺だ。こんなところはとてもじゃないが部下には見せられない。

惰性で顔を洗い惰性で歯を磨く。いつもと何ら変わらぬ日常が始まる。だがふとした瞬間、時の流れに埋没した俺は気付いたら独り身のまま定年間際のオッさんになってやしないかと空恐ろしい気持ちになるのだ。
大体こうも毎日遅く帰って休日も度々出勤しているようでは、女性と知り合う機会などほとんどない。例え彼女ができたとしてもすぐに別れてしまいかねない。
現に前の女には『私より仕事の方が相性いいんじゃない?!』と数ヵ月でフラれ、そいつの前は仕事に理解のある女性(ひと)だったが『これから先もずっと会えない気がする』と去っていった。不意に蘇った微かに苦い想いと共に俺は勢い良くうがいの水を吐き出した。


線路脇を歩きながら駅前の商店街へ向かう。この道は春先になると桜が見事なのだがその時期が忙しい俺は毎年見られず終いで、今は青々とした葉を繁らせていた。

 ───先に飯を食って散髪行って、買い物してからクリーニング屋に寄って帰らんとな。

昔は自分でYシャツのアイロンがけもしていたが、役職が付くにつれ日常に追われて今じゃ自分でする余裕はなくなった。
風の便りでは時折来ては俺の世話を焼いてくれたあの娘ももう結婚したらしい。今では甲斐甲斐しく家族の面倒をみているのだろうか。そう思うと、雲一つなく晴れ渡った青空が俺には何故だかとても寂しげに映った。

人通りの多い商店街を折れ脇道に入ると地元の飲食店が増えてくる。大抵が昼間は定食を、夜になると一杯飲み屋になるような、くだけた感じの店が多い。建て替えが必要なほど老朽化した建物と駅前の再開発による新旧の対比は、この飲食店の多いエリアが時代から取り残されてしまった感じをより一層強くしていた。

既に昼飯の時間帯は過ぎたが、店毎に通りに向けられた換気扇からは旨そうな臭いが道まで漂っている。手垢で薄汚れて年期の入った紺色の暖簾。いつもの店がいつも通り開いていると、店主の健在を教えてくれているようで心底ほっとする。平日はタクシーのオッさんやリーマンのオヤジで混んでいるが、今日は日曜だからいつものあの席も空いているだろう。

「いらっしゃーい」
店の奥で腰掛けて新聞を読んでいた店主の婆さんは、俺を見るなり嬉しそうに破顔した。
「久しぶりだねえ。暫く見ないから転勤したか所帯でも持ったかと思ってたよ」
「いやあ、全然ですよ」
所帯という一言で困惑する俺に、婆さんは老眼鏡を外しながらニンマリとした。
「…だろうねえ。もぅちっとマシな格好しなさいよ。だらしないじゃーじ着てさ。潮江くん、アンタいい会社の勤め人でしょ?案外出世頭なんじゃないのお?!」

 ───相変わらずだな、この婆さんも。

「そりゃ、あたしゃ長いこと客商売してんだから…潮江くんよりもね」
一瞬狼狽えた俺の様子にチラリと目を遣った婆さんは一呼吸置くと、
「ほんとはアンタが背広着てきた時、律儀に社章なんか付けてたからだよ」とカラカラ陽気に笑った。この抜け目ない婆さん、いや彼女にはれっきとした店名と同じ「さゆり」という名前があるのだが、そのさゆりさんは続けた。

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