鍋でカオス 2
「人の家で何をしているんだ、尾浜」
「立花先輩!」
残念だと思う反面ホッとした私は立花先輩から声をかけられてビクリとしたけど、尾浜さんはとんだ邪魔が入ったとばかりにしれっとした顔で先輩を見遣った。
「『役得は役得として有難く受け取ればいい』って言ったのは立花先輩でしょ?」
「確かに言ったが人の家でやるな」
ハイハイと尾浜さんは二度返事をすると、のらりくらりとした態度で退散した。
ちょと待ってください、立花先輩。先輩まさか尾浜さんに私を売ったんですか?!
「別に売ったわけではない。ヤツのやる気が出るよう少々アドバイスしただけだ」
なんてこと言うんです、立花先輩が私に『据え膳もお残ししないヤツ等だから気を付けろ』っていった癖に。
「あれは尾浜へのリップサービスだ」
誤解を招く一言は止めてください。
「早くこちらに来い。皆待ってるぞ」
私は渋々手を止めるとリビングへ戻った。
「八神さん、こっち、こっち」とにこやかな食満係長と善法寺先生の間に手招きされる。うわあ、どうしよう。食満係長は言わずもがなだし善法寺先生は微妙にねちっこい厭らしさを感じるから苦手なのに。もっとも二人とも顔だけはイケメンってのが切ないけど。
チラと尾浜さんの方に助けてと視線を送れば、こんな時に限ってよそ見している。やっぱりアテにならない。諦めた私は仕方なく「八神睦美です」と愛想笑いを浮かべながら二人の間に座れば、
「久しぶりだねえ、八神さん」と善法寺先生はピタリと身体を寄せて然り気無く私の膝に手を置いてきた。その時、向かいに座っている尾浜さんの瞳の奥がキラリと光ったことに私は気づかなかった。
立花先輩が肉を入れるので私が穴空きお玉を手にする。すると少し酔ってる潮江代理がいった。
「経理で忘年会するとな。いっつも呼ばれてもいないのにアブラ親父が来るんだが…」
「その先大体想像がつくぞ」
一切の表情を変えずに立花先輩は具財を鍋に投入する。
「『私が鍋奉行をしますからアナタは灰汁代官やってください』っていうんだぜ」
と赤い顔でゲラゲラと笑う。
「お前も笑いの沸点低いぞ」
「うるせーっ、慣れるんだよ」と潮江代理は満更でもなさそうに立花先輩に答えた。それを無視して立花先輩はいきなり鉢屋さんをキッと睨み付けた。
「鉢屋、タバコはバルコニーに出て吸え。伊作!お前もだ」
「マジすか?寒いし換気扇の真下じゃダメすか?」
取り出そうとしたタバコを戻しながら鉢屋さんが懇願するが、立花先輩は怖い顔をすると彼を睨んだ。
「駄目だ」
ウチで吸っていいのはパパだけだ、とボソリと呟く。パパってどのパパって思ったけど、恐ろしくて誰も何も突っ込まなかった。
「行こっか…」
スゴスゴと善法寺先生と鉢屋さん達は外へ出た。ガラス戸が開けられると一瞬寒い風が部屋に吹き込んで逆に気持ちよく感じる。
「まったく、医者なんだからタバコは止めろといってるのに…」
うーん、善法寺先生はストレスが高そうだししょうがないかも。
「この間もライターの火力が最大になってて眉毛と前髪、こがしたらしいしな」
それはそれは、ドジっ子ですね。もっとも前から善法寺先生はドジっ子というか不運属性を持ってましたが。
「さ、もういいぞ」と先輩が蓋を取りながらいうので皆で一斉に箸をのばす。各々が具材を二品ずつ持ち寄ったから結構な量だった。ぐつぐつと煮える鍋からはいかにも温かそうな湯気が立ち上る。辺りには美味しそうな匂いが広がった。
「どんどん食べてくれ。まだ沢山あるからな」
鍋って性格出るなあなんて思う。尾浜さんはちゃっかり肉ばっかり取ってるし、潮江代理は意外にもヘルシーに豆腐から、食満係長は鶏団子を、立花先輩は野菜とキノコ類から。
「おっ、うまそー」
鉢屋さんは席につくと先ず白菜を摘まんだ。意外。
「八神さんも食べなよ」
立花先輩にいわれて台フキンを取りに行かされた尾浜さんが声を掛けてきた。
「えっ、食べてますよー」
「いや、全然食ってないぞ」
と食満係長が満面の笑みで私の取り鉢に取ってくれる、自分のお箸で。いえ、結構ですという訳にもいかず私は困った笑みを浮かべていた。頼みの綱の尾浜さんは約束を反故にしたのを怒っているのか、今日に限って肝心なところで助けてくれない。