鍋でカオス 19
リビングではいい感じに目元の動かない笑みを浮かべる立花先輩と、眉を寄せながら憮然としつつ猪口を傾けている潮江代理と、諦めた末の清々しさん感じさせる食満係長と、疲れ果てた顔の鉢屋さんがいた。
そんな立花先輩が皆にお茶を淹れてくれるのだが、先輩の所作はこれ以上ないというほど丁寧で心を込めて注ぎ分けているようにみえた。逆にそれが例えようもないほど恐ろしい。んま、ここに居る人達が悪い訳じゃないからまだ気が楽なんだけど。
「コーヒーが欲しいヤツはいるか?」
先輩が尋ねるとチラホラと手が挙がった。不機嫌そうな先輩は眉一つ動かさずにその手を眺めているので、
「あ、私が淹れますよ」と席を立つ。どのみちコーヒーメーカーだから手間はかからない上、何よりこの重たい空気から逃げ出したかった。
私が準備を始めると不愉快そうな先輩の声が向こうから聞こえた。
「なぜだ?私の家で何かすると毎回泊まる羽目になるヤツが出るのはどうしてだ?!」
それは私も解りません。皆さんにも分からないと思います。
「ま、睦美ちゃんが泊まってくれるっていうから良かったじゃないですか」
えっ!尾浜さん、私まだ返事してないんですが。もっとも私に拒否権はないんだろうけど。
「俺も残りましょうか?善法寺先生の目が覚めたら送っていきますから」
何てこったい!
でも異議を唱える鉢屋さんの声が一切聞こえてこないところをみると、彼はもう泊まりたくないのだろう。今日は疲れてるみたいだし。以前一緒に泊めて貰ったときなんか気を遣って朝ご飯まで作ってたもんね。
「ま、それは後で考えりゃいいさ」
食満係長はそういうと話題を変えた。泊まり役に尾浜さんが名乗りを上げたから気が楽になったのだろう。
「そういや潮江のときは誰が泊まったんだ?」
あーっ、係長!ここは空気読んでよっ!
「あの時は確か…「綺麗な田村と自由人な喜八だ」」
先輩がムッとしながら答えた。歯軋りが聞こえそうなほど真っ赤な顔をした潮江代理が無言を貫いている。田村さんって確か潮江代理の下にいる人だっけ。あまり顔を合わせないけど女子職員の間でよく名前の挙がる人だった。先輩の形容からするとまだ彼は魔の手にかかってないっぽい。
ゴボゴボと音を立ててコーヒーが抽出されていく。本当ならこだわり珈琲の店でバイト経験のある鉢屋さんが淹れたら美味しいんだけど、と思いつつカップを暖めコーヒーを注ぎ分けた。人数分をトレーに乗せて持っていく。
「ありがとう、睦美」
立花先輩のご機嫌は少し良くなったみたいだった。前の職場みたいにお局様のご機嫌指数によって理不尽なことを言わないから、その点立花先輩は一緒にいて仕事がしやすい。
「じゃ、これを飲んだら失礼するかな」
コーヒーを受け取りながら食満係長は爽やかに目を細めると、私に感謝の意を伝えた。泊まるのが自分じゃなくて心からホッとしたらしい。先生と家の方向が近いのはどうやら係長らしかったから。
「俺も帰るわ。明日出勤して少しでも進めといた方が良さそうだしな」
気の毒に潮江代理は休日出勤が当分の間続くのだろう。そういや残業続きの代理の部下だからか、美貌の持ち主である田村さんに隈が出来ないかと件の女子職員達が心配してたっけ。潮江代理も私との約束はすっかり忘れてるみたいだったから、もう寝た子はそのまま起きないで欲しいと思う。
「じゃ、勘右衛門。後はよろしくな」
鉢屋さんが嬉しそうに笑顔を見せる。立花先輩から解放されて嬉しいのだろう。どんだけ先輩がストレスになってんだか想像もつかないけど。
しかし皆、すぐに帰るとか何とか言いつつ終電近くまで喋っていた。というのは兵ちゃんが仕掛けた社内用監視カメラの話題で、ひとしきり盛り上がってしまったから。でもそのカメラの主な登場人物である私は一人、小さくなっていた。少なくともここに居る人は、カメラがあろうとなかろうと疚しいことは何もないのだろう。確かに兵ちゃんがチェックしていても名前が出てこないから。でもこんな話、男の人は興味ないのかと思ったら興味津々だったのが意外だった。