鍋でカオス 7
「鉢屋も尾浜も、遅かったな?」
食満係長を無視した尾浜さんは「睦美ちゃん、食後にアイス買ってきたよー」とご機嫌を装う。つくづく尾浜さんは役者だと感じさせられる。でなきゃ潜入したり潜伏したり出来ないよね、本当にやってるのかどうか怪しいけど。
それにしても、どうして尾浜さんが私にこだわるのかよく解らない。まあ確かに役得もあるとは思う。でも、これは私の推測だけど、その役に成り切るためには徹底しないと端からは本物に見えないから、という気がした。
「えっと…、あ、…そ、そうだ。…睦美ちゃんはもう食べないの?」
机の下から立花先輩に足を踏まれた善法寺先生は、顔を痛みに歪めながら私に声をかけてきた。
「もう少しだけ頂こうかとー」と愛想を返す。向かいに座る尾浜さんが鬼気迫るほど満面の笑みをたたえていて逆に恐い。
「よせよ、勘右衛門」と小声でたしなめる鉢屋さんの声が耳に入る。尾浜さんはまた何か企んでいるのかと思うと気が気ではない。私はケータイを取り出すと机の下で手を動かして尾浜さんへこっそりメールした。
From:奈々子
To:たぬきうどん
Sub:余計なことしないで
『連絡役は尾浜さんじゃなくてもいいんだから』
From:たぬきうどん
To:奈々子
Sub:何もしないよー
『今はね(^^)v』
『今は、じゃダメなの』
『付き合ってくれるなら何もしないよ(^з^)-☆』
『そんなことメールじゃ言えないでしょ!』
『なら約束できないな』
くーっ、メールは字面で残ってしまうから迂闊なことが書けないのを逆手に取ってやがるっ!
「あ、八神さん、充電できたんだ」
しまった!食満係長にはケータイ電池切れっていったんだった。
「じゃあ丁度いいや」なんて食満係長は赤外の画面を呼び出している。
「ごめんなさい、私あんまりこの機能使わないから分からなくて…」
「大丈夫、俺のはソレと近い機種だから」
それは益々大丈夫じゃない!第一プロフィールは七紙奈々子で入ってるし。
「じゃ、すみませんが係長から赤外送ってくださいますか?折り返し私からメール送りますから」
そういって何とか誤魔化そうとする。何故か立花先輩や鉢屋さん、尾浜さんも緊張した顔つきで…。たぶんまた私が何かやらかすとでも思ってるんだろう。善法寺先生だけは、
「そうだっ!この間、水没させちゃったから僕もー」なんて能天気に携帯を取り出していた。先生は七紙奈々子のアドレスでいいんだから今はいいでしょ?!どこまでも緊張感のない人だなあ、まあユルキャラで許してもらえるんだろうけど。尾浜さん以外からは。
仕方なく食満係長からアドレスを受け取り八神睦美のアドレスでメールを返す。切り替えが利く機種に変えてよかった、思わず自分good job!と心の中でガッツポーズをする。程なく携帯が震えて食満係長からメールが来た。
From:食満留三郎
To:八神睦美
Sub:アドレスありがとう
『今後も宜しくお願いいたします(^-^)』
意外と普通の文面に驚く。一応八神さんとはあまり顔を合わせない、ことになっている部署の上司なんだから顔文字の使用には賛否両論はあるけど。いや、まだまだ係長は爪を隠しているだけかもしれない。
「八神さんは飲まないんだったよな」
ワインを注ごうとした潮江代理を片手で制した食満係長は、歯磨きのCMみたいな爽やかさで白い歯を見せた。その途端に憮然とした潮江代理に、私は慌てて「すみません、お酒に弱いので…」と笑みを送れば、潮江代理は既に赤い頬をまた赤らめて満更でもなさそうな顔をする。と今度は食満係長があからさまにムッとした。あー、もうっ!面倒臭いんだから、この二人は!
仕方なく「食満係長は何かお飲みになりますか?」と尋ねると係長は耳元で囁いた。
「キミが横にいれば胸が一杯で何も要らないよ」
突然、鉢屋さんが飲んでいたワインをブフッと吹き出す。恥ずかしい台詞が耳に入ったのかと思うと逆にこちらが恥ずかしい。幸い立花先輩はキッチンに立っていていなかったからよかったけど、居たら鉢屋さんも食満係長も只では済まされないだろう。私は黙って布巾を差し出した、善法寺先生に…。
斜め前を見れば尾浜さんはそ知らぬ顔でまだ何か食べていた。本当によく食べるよね、といつも一緒に食事する度に思う。んま、鍋物するときなんかは、こういう人が一人いると残り物が出なくていいんだよね。
すると携帯が震えた。斜め前の尾浜さんと目が合えば彼は冷ややかな眼差しで私を見つめている、…ってことは今の着信は尾浜さん?食べてるフリして打ってたの?
『俺にはあんなイイ顔したことない癖にさ』
『アレは営業用ですから、スマイル0円だし』
『じゃ俺もソレ一つ』
『尾浜さんはお客さまじゃないから有料です』
『客になったら注文できる?』
などという馬鹿なやり取りを机下で続けていたら肩がこってしまった。