鍋でカオス 3
「ところで八神さんは総務ばっかりだが経理に来ないのか?」
不意に潮江代理がこちらを向いた。普通にしてたら、というか隈さえなくなればもう少し若々しく見えるかも。だって元々彼はわりと端整な顔立ちだと思うし。
「あ…ええ、まあ」
「八神さんは総務が貰ったんだ。それに文次郎、経理で迷子の世話させちゃ可哀想だろ」
「だったら富松はもっと可哀想じゃねーのか、留三郎」
可哀想な富松さん、私が代わるのは不可能だけど。富松さんのことを考えて表情を曇らせた私に、
「八神さんは富松と仲いいしなー」と食満係長が身体をくっつけてくる。
近い近い近いってっ!でも相変わらずイケメンだから、係長の涼しげな瞳に見つめられると照れてしまって、そんなつもりはないのに頬を赤らめてしまう。
困った顔で尾浜さんにチラと目線を送れば彼は面倒臭そうにいった。
「もう係長。八神さん嫌がってますよー」
そんなことない、いつもやってるよなー、なんて食満係長はにこやかに答えた。そんなことない、ない、私は焦った。でも流石の尾浜さんも年次が上だと弱いらしい。次からこの手は使えないと悟る。それにしても、尾浜さんにはくっつかれても赤面したことないのに、係長だと思わずときめいてしまう、この違いって何なんだろう。
はたと思い当たる。
「私って切れ長とか、つり目系に弱い?!」
何だ単純にルックスの問題か。なんだあ。尾浜さんもカッコいいとは思うけど丸目の狸系だもんなあ。でも同じ部署の黒木君はキリッとしてるのに、どうして感じ方が違うんだろう…。これは普段の行いかも。
「皆食べるのが早いな」
目を丸くする立花先輩がどんどん具材を追加するので、私も悪代官になってどんどんすくっていく。でもこうする方が生臭くなくなるから美味しいしね。
「奈々子、そっちの鶏団子を渡してくれ」
「はい」
言われてサクッと手渡した私も先輩も目が合った途端に気付いて顔がひきつる。鉢屋さんもピシリと固まっている。食満係長が眉をピクリと上げ、潮江代理がよく分からないという顔をした。尾浜さんは下を向いてモグモグ食べているだけで。
「ヤだなあ、立花先輩。いつも七紙さんをこき使ってるから癖になってるでしょー。ボケるには早過ぎますって」
今日の手伝いは八神さんですよ?!とニヤニヤしながら鉢屋さんは切り返してくれた。
「そうだった、スマンスマン」
立花先輩は必殺技、天女の微笑みを繰り出し同期の男性を悩殺して誤魔化そうとする。
「まったく、仙子が同期じゃなかったらなあ…性格よく知らんだろうから俺は惚れてたな」
「いや、仙子だと解っていてもぐっと来るよな」
なんて潮江代理と食満係長は鼻の下を伸ばしている。でもあの人達より立花先輩の「えげつなさ」をよく知る鉢屋さんと尾浜さんは微妙な笑みを浮かべていた。
「そういや伊作はどうした、鉢屋」
「先生はタバコ吸い溜めするって言ってましたけど?」
「いくらなんでも…」
その時微かに窓を叩く音が向こうの部屋から響いた。
「「「伊作!」」」
善法寺先生はこの寒空の下、今、七時前だから小一時間は経ってないけど優に三十分は外に。
「鉢屋!お前っ!」
「おっ、俺じゃないっスよーっ!」
あ、珍しい。鉢屋さんが俺っていってるし。てことは本当に鉢屋さんじゃないんだろう。そんなやり取りをする二人を尻目に、食満係長と潮江代理が慌てて善法寺先生を救出しにバルコニーへ飛んでいった。
「ロックが甘いと自然に閉まることあるよねー」
「そうだな、尾浜」
「何かが倒れちゃって偶然つっかえ棒になるとかさあ」
立花先輩が少し顎を上げながら鋭い視線でチラリと尾浜さんを見遣る。コワッ。鉢屋さんと私は瞬時に事の次第を理解する。でも尾浜さんはそんなことなど意に介さずに食べ続けていた。
「少しは伊作の分も残しておいてやれよ」
尾浜さんは口許を微かに歪めて笑ったように見えたけど、その笑みには底無しの黒さを感じさせた。
「私はそういうのも嫌いじゃないがな」
と立花先輩はニヤリとする。それを見た尾浜さんは、いつもの人の良さそうな笑顔に戻ると私に向かってニコと笑いかけてきた。それって私が原因ってこと?!