けだるい午後 2
小会議室では午後からずっと山村君が吉野部長に怒られていた。それに途中から福富君も加わった。今日という今日は流石にブチ切れた吉野部長は新入社員二人に鉄槌を下す決断をしたようだった。確かに彼らのお蔭で優秀な立花先輩が総務から「実質」移動してしまったのだから。
ただし福富君の鼻炎は病気だから仕方がないため、必ず通院して治療を受けることを約束させられていた。診断書も要提出らしい。
でも二人して立花先輩に歪んだ形で猛アタックしていたのは事実であって。だから今回の部長の判断は妥当だろう。山村君は業務と関係ないものを持ち込んだ上、業務に支障をきたしたわけだから。
そんな山村君はかなり重い処分になると思いきや漏れ聞こえてきたのは…。
「ナメクジと仕事とどっちが大事なんですっ」
何だかどこかで聞いたことあるような台詞。配役と単語とシチュエーションが微妙に間違ってるけど。
「僕にはどっちも同じくらい大切なんです」
その途端、金切り声?のようなキイーという声にならない雄叫びが聞こえた。私と富松さんは顔を見合わせる。
「部長、キレましたね…」
「仕方ない、様子を見てくるわ」
食満係長が会議室に入っていった。
「食満君!キミがなあなあ言って野放しにしてるから!私は何度もナメクジを処分させろといったでしょ!」
怒りの矛先は食満係長に向かった。部長のイライラは最高潮に達しているらしい。
「山村君。一般常識に照らし合わせても私はナメクジをペットとは認めません」
会社にペットを連れて来るなんて…もっと家庭的な会社なら聞いたことあるけど。でもそれだって離乳前に捨てられた仔猫とか仕方ない場合だけだし。
会議室から吉野部長のこもった声が漏れてくる。
「分かりました。食満君の手前、最大限の譲歩をしましょう」
ウソぉ……。
「会社に置いていいナメクジは一匹だけとします」
ええーっ?!置かせるのーっ?!それじゃ何の解決にもならないじゃん…。てか立花先輩が納得しないだろうし。でも、そんなことなどお構いなしに話は流れて行く。
「わかりましたー!」
小学校の延長みたいな山村君の返事が聞こえた。ガックリと肩を落とす立花先輩の姿が目に浮かぶ。ふと一匹だけといっても、それが卵生んじゃったりしたらどうなるんだろうと、良からぬ想像が脳裏に拡がった。
程なく吉野部長のお説教は終わったけど。
で、何ですか、山村君。この壷は。
「八神さん初めてでしょう?」
こんな初めての経験はしたくありません。
「でもこの仔達の出社は今日で最後だし」
「いや、見たくな…」
そう言いかけたところで山村君の目尻にじんわりと雫が滲み始める。このまま突っぱねたいとこだけど、派遣さんは立場が微妙だからこんなことすら無下に出来なかったりする。
とうとう私はしつこく薦めてくる山村君を断りきれずに、例の壷の中をあまり覗かないようにしながら、しっかりと見た振りをした。でもチラと見えた壷の中に、びっしりとアレが貼り付いていて瞬間背筋がゾクッとした。
「明日からは皆とお別れなんだよね」
山村君は彼らを愛でながら寂しそうに且つ可愛らしく呟くけど、とても同情する気にはなれない。でも何かを思い付いたように顔を上げた山村君は意外なことに明るい表情だった。
「田舎の与四郎兄ちゃんから貰ったでっかい『めんめんくじら』がそろそろこっちの気候に慣れたみたいなんでそれを連れてきますー!」
まだいるのかよっ!しかもでっかい、だと?!その与四郎兄ちゃんとやら、随分余計なことをしてくれるじゃないの。その上連れて来るなんて聞き捨てならないことが聞こえたし。
部長ってば、また先輩から恨まれるだろうなあ、とデスクで血圧の薬を飲む吉野部長の姿を私は遠目から眺めていた。