会いたくないのに 4
立花先輩が昼食の残りを片付けている間に私はササッと正しくメークした八神さんに変身する。いや変身じゃなくて、元に戻るだけなんだけど。貸して貰ったシャンプーで頭を洗ってウェットティッシュで肌を拭き、富松さんから受け取った制服に着替えると少しだけスッキリとした。
ここだけの話、私は大して胸がないのだ。制服はブラウスの上にベストも着用するから、まいっか、と湿っぽいブラも取ってしまった。それを見た立花先輩はクスクス笑っていたけれども気持ち悪いものは仕方ないもん。
「用意が出来たなら行くぞ」
先頭に立つ立花先輩は軽やかな足取りも愉しげにエレベーターのボタンを押す。
「総務課に行くのは久しぶりだな…」
先輩はこちらを見ながらフフと意味有り気に笑みを漏らした。
周りの視線が痛い。色んな意味で痛い。富松さんは挙動不審だし食満係長はやけに上機嫌だ。その上やっと戻ってきた山村君とコンビニの袋を下げた福富君、この二人の間にはいいようのない微妙な緊張感が横たわっている。
傍にいる立花先輩を見やれば、前に警備員さんに追いかけられた時のような張り詰めた空気を漂わせていた。でも顔だけはいつもと変わらぬ余裕たっぷりの笑みを浮かべていて。もしかしたら空元気?みたいなものかもしれない。
「…という訳で七紙さんは今日の午後一杯私を手伝って貰うので、代わりに派遣の八神睦美さんを連れてきた」
宜しく頼む、と総務にいる人々を見渡すが、見渡した瞬間立花先輩は眉をしかめ嫌そうな顔をした。
「「立花先輩!」」
山村君と福富君が同時に手を挙げる。きらきらと目を輝かせながら挙手する彼らはまるで小学生のようだ。そして二人は立花先輩に向かって同時に質問をした。
「「僕ナとメアクイジスは食好べきまでせすんかか??」」
「いらない」、「嫌いだ」立花先輩は眉間を寄せて鋭い目付きになると一気にそう答えた。
まさかとは思うけど、この子達って立花先輩のことが?!私の呟きが聞こえたのか、いきなりこちらを向いた先輩に睨まれた。
「それ以上いうな…」
振り向いた勢いで立花先輩自慢の黒髪がふわりと広がり、毛先がピシリと私の頬を打った。地味に痛い。
どんなに冷たく答えを返されようと、山村君も福富君も立花先輩を追及する手は緩めない。
「「立花先輩は僕たちが好きですか?」」
「「どっちが先輩の好みですか?」」
立花先輩の眉間に寄せられたシワが益々深くなった。
「……ど、どちらも…す、好き…だぞ。だが、年下は好みじゃないのだ」
またまた一気に答えた。けど先輩、そこは「後輩として」ってちゃんと付け加えないと。つっかえながら『好きだ』なんていうのは余計に彼等へ誤解を与えると思いますよ。
「「最近はどこに出社してるんですか?」」
あ、それは私も知りたいかも。でも教えちゃったが最後、先輩は毎日彼らに押しかけられることだろう。
「それは教えられない」
だよね。
「「どちらとお付き合いしたいですか?」」
「だから私はどちらとも付き合いたくないと言ったろう!」
珍しく先輩は声を荒げてるから、余裕がないのだろう。
「「じゃあ、どっちか選ばないと地球滅亡ってなったら、どっちですか?」」
そんな、いきなり究極の選択をさせなくても…。
「地球滅亡を選ぶ」
そこはキッパリと言い切った。
「「そんなあー…」」
二人とも見ようによっちゃ可愛いんだろうけど、山村君は趣味がアレだし福富君は今から成人病が心配だし、それに…あーあ、また福富君は鼻水垂らしてる。慢性鼻炎だから仕方ないみたいだけど今時珍しい昭和の子だわあ。「拭いてあげなきゃ」と私はポケットを探るが、生憎制服を着替えたばかりだったのを思い出した。
「とにかく私には一切まとわりつかな「いぃひっくしょん」…って、あっ!いやあああーーーっ」
運悪く慢性鼻炎の福富君の鼻水が前に立っていた立花先輩に。
次の瞬間、何かが割れて何かを予感させるような音がして。
「仙子っ!大丈夫かっ?!」
「立花先輩!」
「きいやあああーーーっ」
「「先輩ー!!」」
福富君がくしゃみした拍子に、押された山村君が隠し持っていたナメクジ入りの壺を落として、それからそれから。
総務部中から一斉に悲鳴が上がる、けど私はその事態をまるで映画のスクリーンを観ているかのような気持ちで眺めていた。なぜなら目の前で繰り広げられている光景が到底現実のことだとは思えなかったから…。