困ったさん 1


小松田さんが部長に呼ばれて小一時間経った頃、何故か私も会議室へ呼ばれた。「七紙さん、部長が呼んでるから小会議室へ行ってくれる?」
相変わらず目を合わせたら石になるとでもいうかのように、食満係長は微妙に視線を合わせないようにしている。
私は憮然としながら、でも声だけは快く返事する。今朝の様子だと小松田さんはかなりの大目玉を食らっているに違いない。そんな場に入るのは気が重いが呼ばれた以上仕方がないのが会社だ。
私はパーテーションで仕切られたドアを開けた。すると私の目に飛び込んできた光景は…。


「そんなこといってるのはこの口ですかっ!この口ですかっ!」

うわあ…、吉野部長キちゃってるよ…。出来ることならこの場は空気になってやり過ごしたい、そう思った矢先だった。小松田さんの口を両手で目一杯左右に引っ張っていた部長がくるりとこちらへ振り向いた。思わず心臓が口から飛び出そうになる。

「ああ、七紙さん。来てくれましたか。早速尋ねたいことがありましてね」
打って変わってにこやかになった吉野部長が、私に側へ来るようにいった。この変わり身が怖い。まるで『だまし絵』の上下を入れ換えたときのような変貌ぶりだ。
「見てください、コレ」と指差す先にはずらずらと長い数字の羅列、それより大きな文字で書いてあるのは請求書という文字、そして請求者の欄には『新野クリニック』。
「書いてあるんですよ、七紙さんの名前が」
ウソっ!まさか?!私は何も…。
「あの日健診に行きましたか?」
あの日とは?…ええ、はい、確かに私が行った日はクリニックで騒ぎがありましたが。
そうそう、ソレです、と吉野部長は小松田さんから手を離すことなく答えた。あらら、小松田さん涙目になってるし。
「本当に小松田君が原因なんですか?」
と目蓋を細めて私の発言を吟味しつつ書類を見せる。うーん、何とも微妙なところだと思う。直接の原因ではないけど多大な遠因にはなってるから。だって小松田さんが狭くて人通りの多い場所に段ボール箱を置いたからこそ、荷物を運んでいて前が見えなかった猪名寺君がすっ転んだんだし。
「そうですか、ならいいんです。私はまた小松田君が直接、機械に液体をかけたのかと…小松田君なら何かの拍子にやりかねない話ですからね」
そして吉野部長は「あのタヌキは…余計なものまで請求してきてっ」とこめかみに青筋を立てた。
ともあれ小松田さんの疑いは晴れたのかしら?だったら私の来た甲斐もあるけど。
「いや、まだまだですよ」
「あれほど『あのコピー機は複合機だから帰るとき電源を落とすな』って言ったでしょ!」と再び小松田さんの口を引っ張った。
「社用FAXは会長しか使わないのに、こんなときに限ってご友人の多田さんから連絡が入るんです」
あーあ、小松田さんてばとことん間が悪かったんだ。流石に吉野部長は怒られないだろうけど文句は言われるよね。小松田さんは部長に向かって「ふふぃふぁふぇん」なんていってるけど、たぶん「すみません」といいたかったんだろう。

「他にもあります」と部長はきっぱりした口調で眉を寄せた。
「いつも未決と既決の書類は一緒にするなといってるでしょ」
ああ、まだまだありそう、ただこの場に立ち尽くすだけの私はいたたまれない。
「この間も『なかなか什器購入の許可が降りないけど、一体どうなってるんですか』って、私はあの脂オヤ…安藤部長にイヤミを言われたんです。慌てて探したら私の机の引出しの中に、購入届が何故か切手付の封筒に入って残ってたんですよ」
「出す筈だった封書をどこやったんですっ!」と言い終わると部長は急に興味をなくしたかのように小松田さんから手を離した。
「まあ、小松田君に聞いても知ってる訳ないですしね…」
吉野部長はぐったりした様子で肩を落とすと疲れた顔で会議室の椅子にへなへなと座りこんだ。吉野部長、私が前にいた会社なら訴えられてるかクビになってます、部長も小松田さんも…。
吉野部長と目が合う。私がまだ居ることに気付くと、何とも気まずい雰囲気になった。
「……いえ、いつものことなんですよ。ちょっとした失敗の積み重ねなんです…ちょっとしたね」
そのちょっとした何かが雪ダルマ式に膨れ上がるんですね、わかります。
「小松田君は訳あって庶務で引き取ることになったんですがね…それがこの様ですよっ!」
再び目が据わりかけた吉野部長は自らそれを制した。
「クリニックの件は解決したから、七紙さんは小松田君を連れていって下さい。後は私が直接、新野先生と話します」
涙目の小松田さんを無理矢理立たせると、私は彼の腕を引きずるようにして、ほうほうの呈で小会議室の外へ出た。

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