それはヒドイ 2


「いいえ、いません」

私は真っ直ぐに立花先輩を見すえた。でも、これだけはどうしても先輩に伝えたいと、さっきからずっと考えていたことは。
「あの…立花先輩」
「なんだ……」
先輩のまとう空気が部屋の温度ごと下がったような気がした。
「この話、遠回しに鉢屋さんから伝えるのではなくって、先輩から直接言って欲しかったんです。それが私の本音です」
立花先輩がその切れ長の目でじっと私を観察する。そしてフッと口許を緩めると、その場の雰囲気は一気に緊張から解き放たれた。
「すまなかったな…だが私から奈々子に直で伝えたら、例えどんなに嫌でもお前は断れなかったろう?」
先輩はそういって慈愛に満ちた天女のような微笑みをこぼした。私は先輩の言葉を何度も何度も反芻する。

「そう深刻になるな。その場を楽しめ」
では宜しく頼むぞ、と立花先輩は私の肩をポンポンと軽く叩いた。加えて耳元で囁く。
「別に連絡相手は好きな方で構わないんだぞ?鉢屋でも尾浜でもな」
テクもブツも大して変わらんし、と謎の言葉を残して立花先輩は振り返ることなく部屋から出ていく。背中で揺れる先輩の黒髪からは、昨日私も使ったシャンプーの香りがした。



「お待たせしましたー」
立花先輩の話はどうにも現実味が感じられなくて、呆然としていた私の耳に鈴の音のような声が響いた。
「ご…ごめんなさい、まだ準備出来ていなくって」
私は大慌てでメーク道具を手に取った。

藤内美ちゃんを待たすこと約二十分。いつもの七紙奈々子が出来上がる。
「さ、行きましょう」
私は促されるまま藤内美ちゃんの後に従う。下降するエレベーターの浮遊感が気持ち悪い。先輩の意味深な台詞がまだ耳の中でこだまして、尚更酔ってしまいそうになる。まさか先輩は、あの二人とも、その…あんなことやこんなことを…。

でも突如、昨夜の鉢屋さんの言葉が降って来た。脳内でエコーを伴い再生される。

『奈々子、深く考えたら負けだ』

そうよねー、と私は頭を切り替えると総務部と書かれた部屋の前で深呼吸をした。



ふと藤内美ちゃんを見れば何か紐のようなものを手にしている。しかもそれらはどこかで見たことあるような気がする。
「藤内美ちゃん、それって…リード?だよね?犬の散歩に使う」
ええ、と藤内美ちゃんは首を振った。手にした紐の太さも肩を潜らせる輪っかのサイズもかなり大きい。つまり大型犬用のものに見えた。
「藤内美ちゃん家、犬飼ってるんだ」
「家は猫しかいないの」
私が訝しげな顔をしたからか藤内美ちゃんは小さく溜め息を吐いた。
「いつも行くホームセンターで見掛けたから、富松くん便利かなと思ってね。二本買ったの」
「ふーん…」
富松くんの家は大型犬が二匹もいるんだ…、そう考えたとき営業の飲み会のことが頭を過った。確か彼等の年次の男子社員って全員独身寮(仮)住まいじゃ…。
次第に私がひきつっていくのを見た藤内美ちゃんは再び溜め息を吐いた。
「ご想像通りの用途よ」
その時丁度事務室の扉が開いた。

「あっ?!おおぅ、藤内美」
「おはよう富松くん。はい、コレ」
藤内美ちゃんはその丈夫そうな散歩紐を富松くんに手渡した。
「いっつも気を使わせて悪いな、ありがとな」
偶々見つけたから、と少し頬を染めながら応える藤内美ちゃんは女の私から見ても愛らしい。見ればやっぱり富松くんも少し顔が赤い。「有り難く使わせて貰うから」といった富松くんは、左手を伸ばすとガッチリした手首につけた腕時計を横目で見た。
「じゃ、この人は俺に任せて、藤内美は食満係長が出勤しない内に早く帰れ」
どういう意味???

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