逃避行 2


「伝えたかったのはだな」と鉢屋さんは急に小声になった。そして小振りなカフェのテーブル越しに私の方へ身を乗り出すと、掌を上に向けて指を動かし私にもっと傍へ寄るよう合図した。
『尾仁田の研究を欲しがっている奴等が仲間を送り込んでいるから、お前たちのチームも気を付けろよ』と囁く。耳元で吐息混じりに色気のある声を出されてゾクゾクとする。堪らず身をよじった。
「ソレは誰なんですか?」
鉢屋さんは何度か左右に首を振った。
「連中もまだ探りを入れに来ただけだろう。どこの誰の差し金かまで特定出来る段階じゃない。尾仁田化学自体が面倒がって今までどこにも出資させなかった位だからな」
それもこれも会長と尾仁田の会長が親しいから上手くいった話だ、とこちらに寄せていた顔を引いた。
代わりにいきなり私の手を自分の前まで引き寄せると、手のひらにその細い指で何かを書き始めた。
『ド・ク・タ・ケ』と『ド・ク・サ・サ・コ』となぞる。あ、聞いたことがある。
「解ったか?」私が頷くと「私たちは今この二つに注目してるんだ」と鉢屋さんは鋭い目付きになった。
「確か一つ目は先日私たちが襲われた…」
鉢屋さんは黙って首を縦に動かす。でもどうして私にそんな重要なことを?
「勘右衛門にもヤル気出して貰わないといけないからな」
「それは私が預かり知ることじゃないので…」
「許可を貰ってる」
はあ?誰に?
「立花先輩に決まってるだろうが」
私は物じゃありませんです。それより明日、いや、帰ったら先輩に電話して確かめてみないと。鉢屋さんは嘘吐いてるかもしれないし。だいたい尾浜さんにヤル気を出して貰うったって既に別のヤル気は満々だったし。
「解りました」
「あっ、お前、私の話信用してないだろ」
とりあえず微笑んでおく。
「でも…このまま勘右衛門に引き渡すのは勿体無い気がするな」
と鉢屋さんは真顔になった。
「先輩は奈々子が我々との連絡係になれば好都合だと思ってるみたいなんだが…」
だったら私でも勘右衛門でもどっちでもいいんだよな、なんて鉢屋さんは呟いた。でも私は少し前に立花先輩から、鉢屋さんたちは敵でも味方でもないと聞いていた。これは益々立花先輩に報告して確かめる必要がある。

「じゃ先輩や喜八ちゃんがやればいいじゃないですか。要は付き合ってるフリをしろってことでしょう?」と私は声を潜めた。よく分かりませんが私の自由意思はどうなってるんでしょうか??
「アイツらは面割れしてるからダメだ。人脈作りしてるだろ?それに立花先輩は……私は遠慮しておく」
ルックスだけなら喜八はいいんだが、なんていうし。でも、まさか先輩のあの『通称:合コン』が?!じゃ藤内美ちゃんは?
「アレは潔癖過ぎてご褒美にならない」
鉢屋さんはキッパリと断言する。はあ?言ってる意味が分かりません。てか理解したくありません。
「いや、ご褒美じゃなくてな……色々とまあ、仕事に差し支える訳だ」
それは言い間違えたんじゃなくて口が滑ったんですね。つまり本音ですよね。どこをどう探しても間違える要素はありませんよね。
「じゃ…じゃあ、兵ちゃんや伝七(のりな)ちゃんは?」
私にロリ趣味はない、と鉢屋さんは胸を張った。いや、彼女たち充分成人してますけど…。
鉢屋さんは一旦私から目を逸らした。
「でも本当に意外だったな。私も勘右衛門の話を信用してなかったから」
と再びこちらへ向き直った。
「私も八神さんは結構イケると思うぞ」
どういう意味?
「別人を装う…人間の価値観の双極が実は一つだったというのはな」
立花先輩もやるな、と鉢屋さんはいつもの彼らしい嫌な笑みをみせる。でもそれは人間の価値観じゃなくって、世の男共通の価値観だという気がしますね。
「無論、別の意味でもイケると思うぞ」
はあ…。何か疲れてきた。明日から私は何処の部署に行くんだろう、とぼんやり考える。

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