気分転換に 2


お茶を持ってきてくれたタカ丸さんが話しかけてきた。これも美容師さんの仕事のうちだもんね、大変だと思う。
「七紙さんは何方かの紹介でこちらに?」
「はい、会社の先輩から…」
「……立花さん?」
恐ろしい名前がポンと出る。いや、確かにそうなんだけど。
「立花さんはよく来てくれてね。あの髪を維持するのにすごーく努力してるんだよ」
それだけですか?先輩の口ぶりは随分親しげだったんですが。
「いやあ、実は同期じゃないけど同い年なんだ」
うはー、世間狭すぎ。じゃあ一度就職した会社ってシノビ?
「そうなんだよー」タカ丸さんはクニュと顔を崩した。いいことを聞いた。これは迂闊なことを喋れない。
「へえ、どこに配属だったんですか?」
「商品開発課だよ」
ヤバッ、いきなりかよ。これは開発課を知らない振りをしなくては。
「久々知…さん、でしたっけ?商品開発課って…」
「うん、僕の方が年上だったからやりにくそうだったねえ。僕から見てても気の毒だったよ。ところであの女運のない土井係長は元気?」
「ええ、今は課長です」
そっかー、月日が経つのは早いもんだねぇ、とタカ丸さんは遠い目をした。土井課長ってばあんなにいい人なのに昔っから女性と縁が遠かったのね、と同情する。もしかしなくてもいい人過ぎてダメなのかもしれないけど。

ピピピッとタイマーが鳴るとタカ丸さんは髪をチェックしたが、もう少し置いてから頭を流すらしい。座っているのも少し疲れてきた頃、やっと移動して薬剤を流す。タカ丸さんの手の動きは滑らかで気持ちが良いから、頭を洗ってもらいながら堪らず寝てしまいそうになる。うとうとしかけた頃に「お疲れ様でしたー、お席に移動しまーす」と明るい声が頭上から降ってきた。

「久々知君は元気?」
「えっ?ええ、元気そうですよ」
鋏をカチャカチャいわせながらタカ丸さんは話しかけてきた。タカ丸さんはどうして私が商品開発課にいるという前提で話をするんだろう。
「ん?だって、僕が居たときから女の子に人気あったからねえ…たぶん知ってるかな?って」
そうでしたか。モテるんですね、久々知さ…主任は。
「今、主任ですよ。もうすぐ役職が上がるみたいだけど」と答えた。上がるというのは人事部方面から伝わってる噂だけど。
「久々知君は彼女出来たのかなあ」なんてタカ丸さんはボソリと呟いた。鏡に映る私が怪訝な顔をする。
「いやさあ。久々知君、微妙に鈍いから。仕事は出来るんだけど恋愛偏差値は低かったからねえ、昔から」
ああー、分かる気がします。
「よく相談されたよー」
でもタカ丸さんのアドバイスはハードル高そうな気がする。タカ丸さん本人はモテそうだし、何かあっても上手く切り抜けるタイプだろう。軽いけど。
お喋りするタカ丸さんは手を止めることなくカットを続ける。その動きは滑らかだった。
「立花さんはまだ狙ってるの?」
何を?と問えば「ヤだなあ」と答える。タカ丸さんはふにゃと顔を崩して、その手をヒラヒラと振った。
「久々知君を」
ああー、先輩そんなことチラといってましたっけ。つか、久々知さん、なかなか落ちないんだ。落ちないというよりヒいてたんだろうけど。

タカ丸さんは一旦カバーリングを外して私の毛を払うと再びそれを着せてからドライヤーを手に取った。
みるみる内に髪が乾いてゆく。美容師の技術でユルくふんわりした、いわば喜八ちゃんみたいなウェーブを作り出す。次々にクリップを外せば私は八神さんとはほとんど別人になった。

鏡で後ろ姿を見せてくれて終了。タカ丸さんと話してばかりで気づかなかったけれど、お父上のカリスマもすぐ傍らでカットをしていた。ふーんこの人が?と思う。流石にアカ抜けた感じで雰囲気のいいオジ様だった。
「お疲れ様でしたー。またヨロシクお願いしますねー」
会計を済ませタカ丸さんに見送られながら外へ出ると、辺りはもう真っ暗だった。大通り沿いにある店のショーウィンドウが暖かい光を放っている。私は駅へ向かって帰り道を急いだ。

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