待ち合わせ 2
そういえば飲み会の後、七松係長を運んでくれたのは尾浜さんだったっけ。
「その節はありがとうございました。あの方全然気付いてないみたいでしたよ」
「マジで?!まあ、あの人、男はホトンド見てないらしいしね」
無事でよかったねー、なんてニコと微笑まれた。途端に顔が熱くなる。尾浜さん、その笑顔、ちょっと反則です。
「どうして私が目を付けられたんでしょうね」
「あの人、理論より野性の勘が発達してるから、心眼で見抜いたんじゃない?」と尾浜さんはおしぼりで手を拭いた。続いて顔を拭かなかったから一安心する。いやいいけどさ、拭いてたらイケメン台無しだったから。
「確かに中途採用で奈々子ちゃんが入ってきたら目立つかもね」
どういう意味で、と尋ねたら尾浜さんは笑って誤魔化した。悔しい。
「はいよっ、生中とウーロンね」
大将はカウンターにどしりとジョッキを置いた。なかなか気さくな店主のようだ。そこそこの店構えのと店主のギャップが大きい気がする。
「店の中は意外と庶民的なんですね」
「そうなんだよ、ちょっと驚くよね。あ、奈々子ちゃん何か苦手なものある?んで、名前どうする?」
「えっと、奈々子で。誰か来たら睦美でお願いします。苦手なものはないですよ」
了解、と尾浜さんは親指を立てた。あれ?そういや私一体いつから尾浜さんに名前呼びされてるんだろう?昨日今日のことじゃないような気がする。
当の尾浜さんは「ここは魚が新鮮で美味しいんだよね」と少年のような眼差しで真剣にメニューを見ている。その横顔はいつもと違い、とても引き締まっていて素敵だった。ただメニュー見てる時にコレなのが残念過ぎる。
「お魚が美味しいなら、お刺身はどうです?」
いいねー、と尾浜さんはメニューから目を離さずに答えた。店名もそんな感じだったっけ。重量感のある一枚板でできた墨文字の看板には、確か『水軍』と彫り込まれていた。
「どうぞ」と髭面の大将からは想像もつかないほど繊細で美しいお通しが出てきた。三つ並んだ各々が一口サイズのおつまみで、和食だけどフレンチみたいな盛り付けをされている。
「弟さんが水産会社経営なんだって。だからいい魚が安く手に入るらしいよ。大将も最初は船に乗る予定だったんだけど…」
小声になると私に顔を近づけてきた。
「船酔いしてダメらしい」
社長は乗らないからいいんじゃないかと思ったけど、そうもいかないんだそうで。
「大将は半分趣味でこの店を経営してるけど、フェリー会社と海運会社もやってるらしいね」
何でも海賊の末裔らしいよ、と尾浜さんは美味しそうに半分ほどビールを飲み干した。行きつけの店のリサーチも完璧なんですね。私のこともどれだけ調べられてるやら。
「あっ、注文いいですか?」
さっきの可愛い男の子がにこやかに寄ってくる。大きな目と綺麗な黒髪がチャームポイントだね。
「刺身の盛り合わせと、カニサラダと、白エビのかき揚げと…鯛の粗煮…手羽先の…」注文はまだまだ続く。よく食べるなあ、尾浜さん。
にしても男の子が尾浜さんの身体の影になってよく見えない、残念。まさかわざと?なんてことはないよね、…そう思った私が甘かった。
注文の終わった尾浜さんがこちらを向いた。その時口許だけが微かに動いて薄く笑みを見せたけど、その眼差しがほんの一瞬ゾクリとするほど冷たかった。
「尾浜さん、女の人連れてくるなんて珍しいですねー」
お皿を下げに来てくれた日焼けした癖毛の男の子。当然可愛い、ああ眼福だわ。大将以外は皆可愛かったりしてね、なんて思ってたのが顔に出ていたらしい。
「だよねーいつも同期の男としか来ないから」
鉢屋さんだな、と推測する。
「たまには彼女連れて来るのもいいかなあって」
はあっ?!
「ち…ちっ、違いますよっ!」
驚きのあまり声が上擦る。余計に怪しまれてしまうではないかっ、しっかりしろ、私!この程度のジャブでふらついてる場合じゃないだろ!
「へー尾浜さん、やっぱり彼女いるんスねー。あ、飲み物どうされます?」
バイト君、そこでキミも納得しない!
「意外だった?じゃあ、この間のボトルお湯割りで」
「はい!お湯割りでね。でも彼女連れならイタリアンとか行きそうなイメージだったから」
「それは無難にまとめる場合だよ」
ふーん、尾浜さんは相手…女によって店を変えるのか。すると私は居酒屋レベルの女、と?!慣れてるなあと思いながら、バイト君と話す尾浜さんと私の距離を遥か遠くに感じていた。