天気は雨のち微妙 2
久々知主任の冷たい一言、プラス突き刺さる視線。目が大きいから破壊力ハンパない。八神睦美さんは好かれてるかもしれないけど、私、七紙奈々子は完全に嫌われてますよね?ね?
私だって好き好んで適当にはぐらかした訳じゃないんです。久々知主任、お願いだからあの時見抜いていたなら、どうか私の立場を察してください。言えないんです、本当のことは言えないんです。それが今の私の仕事なんです。ああ、何かもう思いっきり泣きたい。
それからもう久々知主任をまともに見られなくて、私は真っ直ぐ液晶画面だけを見つめ続けた。指の動きも止みかけた雨垂れのように緩慢になる。
暫くすると「行ってくるから何かあったら携帯によろしく」と二廓君にぼそぼそ話すのが聞こえる。振り返らないように後ろの様子を伺えば、久々知主任は私からさっと目を逸らせたようだった。そしてドアの閉まる音だけが聞こえる。私には何も言わなかった。
久々知主任が出て行ってから、どれ程経ったのか分からない。突然さすさすと頭を撫でる優しい掌の感触。顔を上げれば、久々知主任と入れ替わりに会議から戻ってきた土井課長がいる。いつもの穏やかな笑みに安心したのか、張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れた。喉の奥がギュッと縮んで苦しくて、かすれ声しか出せない。
「どうした、七紙さん?」
たった一言だけなのに涙が溢れてくる。こんなところでみっともない顔を見せたくないのに。ううん、違う。「さらに」みっともない顔を見せたくないのに。ぐっと嗚咽を堪えると今にも涙が零れ落ちてしまいそうで、瞳はもう飽和状態。課長の優しい言葉であと一押しされたらあえなく決壊してしまう。だから私は深呼吸して喉を開くと、「すいませんっ!お手洗いにっ!」と早口で言って部屋から飛び出した。
「どうしたの?」
下を向いたまま飛び出した私は廊下を走って女子トイレに辿り着く直前、ぽすんと『何か』にぶつかった。その『何か』は私を捕まえると有無を言わさず非常階段へ連れていき、何も言わずに優しく背中を叩きながら私が落ち着くまで傍にいてくれた。
話せるようになるくらい少しでも早く落ち着かなきゃと思うと同時に、この聞き覚えがある声ってもしかして…と考える。ヤダ、私…またしてもヤバイ状況?
「顔上げなよ…奈々子ちゃん」
下からハンカチが差し出される。お母さんがアイロンをかけているのか、折目も角も美しい。いや、彼女かもしれないんだけど。まさか自分で?!
「…ヤ……、です…尾浜、さん」
「へぇ、声だけで俺だと分かったんだ」
明るく弾んだ声が降ってくる。
「……背、…高い、し」
「そっか、嬉しいよ」
たぶん満面の笑みを浮かべてるんだろうなと思う。ジャケットの下半分しか見えないけど。
「で、どうしたの?兵助に何かいわれた?」
「ぅ、違……」
スバリと指摘され言葉を失った。すでに尾浜さんのハンカチは涙と鼻水と涎…下を向きっぱなしだから…で、もうぐちゃぐちゃ。洗って返さないと申し訳ない。ファンデーションとか口紅とかアイラインの黒いのとか付きまくりだし。
はあっ、と肩で大きな息をつくと顔から出てるものを全部拭いた。眼鏡に落ちた涙の跡も全部。そして思い切って上を向く。
「うわぁ、酷い顔だねー」
そんなこという尾浜さんの方が酷いと思います。そんなの自分でも分かってるし。
「ゴメンゴメン。でもさ、もっとちゃんと拭かなきゃ…」
「貸して」と握り締めていたハンカチを取り上げると、尾浜さんはスッスッと私の顔を拭き始めた。そっと眼鏡を取って目元の雫を押さえる。他人に泣いた顔を拭かれるなんて…、と目を閉じれば子供の頃に戻ったような気がした。