遠出しました 1


今、私は車に乗っている、といっても営業車のバンだけど。でもテンションだだ上がりだ!なぜならありえない事態が起こっているから。全く立花先輩はよほどの冗談好きだとしか思えない。

現在私は、なんとあの……久々知さんの運転する車の「助手席」に乗っているのだぁ。……ま、二人きりじゃないんだけど。
それにあの日久々知さんに助けられたのは八神睦美さんであって、今こってり特殊メークをしている七紙奈々子さんじゃない。
だから久々知さんとは「商品開発課主任の久々知です」「総務部仮配属の七紙奈々子です」と完璧に初対面の挨拶をしましたよ。でもそれが我ながらとっても悲しかった。
駄菓子菓子!後部座席にはあの土井課長がいる。イケメンなのに独身で有名な土井課長がいる。(大事なことなので二回言いました)私は降って湧いたような幸せに舞い上がっていた。

元々この外出に付いていくのは喜八ちゃんの筈だった。確かに可愛いから社外にも受けがいいもんね。だけど、それに強硬に反対したのが土井課長。どうやら以前に喜八ちゃんを出張に連れていって痛い目に会ったらしい。どうなったのか詳細は聞いていない。けど予測不能の喜八ちゃんのことだ、問題発言に青くなったり赤くなったりする土井課長の姿が容易く目に浮かんだ。
「いやあ七紙さんは中途入社だけど、しっかりした人だって聞いてね」
一体何方がそんなことを?、と恐縮しつつ尋ねると課長は「七松君」と答えた。こんな所まで七松係長の影響があるんだ。良くも悪くも豪快な人だからなあ。平主任を見る限りじゃ、悪い方へ転ぶことが多いんだろうけど。とまあ私は愛想笑いを返しておいた。

車は高速に乗る。近距離なら電車を使う方が余程効率がいいけど、残念ながら今から向かう尾仁田化学の研究機関、オニタ・ケミカル・ラボは人里離れた郊外にあった。
「尾仁田化学って…アメリカのマルボロ大からオファーが来たあの人がいる会社ですよね?」
「そうだよ」と土井課長は答えた。ああ、斜め45°からのアングルが素敵です、課長!
「法北研究所は評判悪かったからねぇ。どうしてあの人があの会社に?!って皆で首を傾げてたよ」
私がにこやかに語る課長をじっくりと眺めていると、久々知さ…主任が不機嫌そうに「七紙さん、ナビ入力してくれる?」といってきた。えっ、今まで登録してなかったんですか?
「んあ?道知ってるし、面倒臭いから」
何だかあの夜の久々知さ…主任とは別人のような感じで戸惑う。てか私、七紙奈々子さんは久々知主任から嫌われてる?だったらかなりヘコむ。
「あぁー眠い…ふぁ…フウ」と呟くと欠伸をするので私と土井課長は顔を見合わせた。
「そうだ、久々知。七紙さんに資料を読んでもらった?」
「あ、すいません。綾部には渡してたんですが。先方の分以外の予備を持ってきませんでした」
「じゃあいい、後で私から渡すから」
土井課長が少し困ったように私を見た。
「何か、すみません。急に変更になったみたいで…」
「いや、いいよ」と土井課長は優しく微笑む。
「私が変えるよう言ったからね」
え、どういう意味?と目を見開くと、遠い目をした土井課長が何かに思いをはせているようだった。まさか、課長。喜八ちゃんと何かあったんじゃ…。別に私は何ら関係ないんだけど、淡い憧れが儚く消える切なさで、鼓動がバクバクと大きくなる。
黙ったまま見つめていると土井課長は切なそうに顔を歪めた。そんなに辛い思い出があるんだ…。私は目を伏せ視線を外すと、課長は小さく「うぅっ」と呻いた。泣いてるの?まさか、にしては苦しそうな感じ。やけに課長が引きつってみえるけど。
えっ!まさか!持病の神経性胃炎の再発?!
私が慌てていると土井課長は書類鞄に手を突っ込んで何かを探り始めた。そして「水なしで飲める」とパッケージに書かれた小箱を探し当てるとトローチタイプの胃薬を口へ放り込む。その間約5秒。
でも後部座席などないかのように久々知主任は平時と変わりない様子で前だけを見ている。冷静っていうか冷製っていうか、久々知主任ってマイペース。マイペースで済まされないような気もしたけど。

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