帰りはコワイ 5
「さて、奈々子。何が引っ掛かるというのだ?」
立花先輩は周囲の気配を注意深く見渡し誰もいないのを確かめると口を開いた。
「あの痩せた方の警備員さん、夜の見回りの時、いつも不審だったんです」
「というと?」
「会議室でごそごそしてたり、経理や電算室のロックを弄ってたり」
私が遅くなった日に限ってですよ、と立花先輩に訴える。すると先輩は腕組みをして「道理でな」と呟いた。
「最近、各部署のロックが壊れてて気になっていた。だが侵入された痕跡やデータが抜かれた等、これといった実害がないから、てっきり小平太の仕業だと……」
藤内美ちゃんが不安そうな顔で立花先輩を見つめた。
「我々は女子だからな。あのオヤジ共は鉢屋達に任せて、二人とも今後は騙されたフリをしていたらいい」
夜の明かりに立花先輩の端正な顔が浮かぶ。その口元が妖しく歪んだ。
「このまま油断させておけ。もっとも奴等とてそう簡単に信用しないだろうがな」
藤内美ちゃんも私も緊張した面持ちで頷いた。立花先輩は頷くと街路樹の方へ振り返った。
「という訳だ。鉢屋、尾浜、後はよろしく頼んだぞ」
「………」
「どうした、鉢屋。返事ぐらいせんか。尾浜もそこにいるのだろう?」
先輩の声に微かな焦りが混じった。まさに『シーン』という効果音が似合う感じ。でも斜に構えてニヤニヤしながら夜の静寂を乱すあの人達の気配はない。
「おい……尾浜、鉢…屋?」
辺りは静まり返っていて立花先輩の凛とした声だけがビルの谷間に虚しく響く。その場にいる私達全員に緊張が走った。
その時、唐突に耳慣れた間抜け声が。
「立花先パーイ!」
「喜八っ」「喜八ちゃん」
「今まで何してたんだ」
喜八ちゃんは立花先輩の質問をまるっと無視して、勝手に話し始めた。流石二つ名は、ミス・フリーダム。
「尾浜さんと鉢屋さんなら七松係長に連れてかれましたー」
眉間にシワが寄り、立花先輩の端正な顔が不愉快そうに歪んだ。
「それにこんなものが道のど真ん中にー」
喜八ちゃんは道路工事をするとき通行止めにする黄色と黒のアレを、ぬっと差し出した。これって結構重いんじゃ…。
にしてもあのオヤジ!前もって通行止めにしてやがったのか。道理で人通りがない訳だよ。間抜けな顔の割りには用意周到なオヤジ共だ。そう考えると背筋を寒いものが走った。
「喜八、これがあった場所に誰か隠れていたか」
「いいえー」と喜八ちゃんは首を横に振った。
「気配もなーんにもありませんでした」
立花先輩は思案顔で腕を組んだ。
「ま、油断するなということだな」
これから先のことを考えた私と藤内美ちゃんは、大きなため息をついた。立花先輩はというと不敵な笑みを浮かべていて、うっかり目が合った私はゾッとした。
これ以降は何事もなく、いつもと変わらない日々が続いた。でもバタバタと残りの日々は過ぎてしまい、とうとう私が一課を去る日が来た。クールな次屋さんや格好つけの平主任、可愛い時友くんやキリリとした皆本くん。そしてそして強烈な七松係長。その他の皆様も、皆ありがとうございました。
「課の女子と合同ですが」と、時友くん、皆本くんが小さな花束を渡してくれた。
「そうはいっても、七紙さんはずっと社内に居るわけだしな」
七松係長はとびきりイイ顔で私の両肩に手を置いた。そこはかとなく嫌な感じ…次の瞬間!良からぬことを予期した皆の悲鳴が上がった。
私はあり得ない力でハグされる。いやもう、コレ何ていう格闘技の技ですかという位の力で抱き潰されて、ぐぇっと変な声を出すと意識を失った。遠くの方で平主任の焦った声が聞こえていた。
これはセクハラに入るんだろうか、いや私は嫌じゃないから違うか。でも一般的にはセクハラだよなあ。なんて霞む意識でぼんやり考える。この課でスパイ行為をしていそうな不審な人物もいなかったし。ていうかむしろ私が一番不審だったし。立花先輩の最終報告書には該当者なしと記入しよう。
段々頭もハッキリとしてくる。私はてっきり椅子に座らされているものだと思ったら、七松係長にしっかりと抱きかかえられていた。珍しく責任を感じたのか、係長はその太い眉を下げて申し訳なそうにしている。そんな七松主任の姿は飼い主に叱られた、たぶんその役は平主任だろうけど、大型犬に似ている気がした。
「また四半期ごとの繁忙期には補助に入ると思いますから」
「そうだな、私からも人事に頼んでおくぞ」
私を抱えたままで七松係長は微笑んだ。至近距離でその笑顔は眩しすぎて、私は再び意識を失うかと思うほど目の前がくらくらとする。素直に七松係長は素敵だと認めよう。当分この課に出勤できないのが残念すぎる。心からそう思った。
私の営業第一課の内部調査は終了した。