彼らの正体


営業一課に在籍できるのもあと僅かとなった日の就業後、私は例の立花先輩の物置、否、プロジェクトの控室にいた。
「奈々子、そろそろ報告書の準備をするようにな」
立花先輩はマスカラを塗りつつ視線を鏡に向けたままいった。また今日の夜も誰かと飲みに行くらしい。私の気配を察した立花先輩はチラリと私を見ながら化粧品をしまい始めた。
「私が好きで行ってるとでも?」
はい、えっ?違うんですか?
立花先輩は軽くため息をつくと気だるそうに頬杖をついた。長い黒髪がさらりと肩から滑り落ちる。先輩は少し物憂げにそれをかき上げると、無造作に後ろへ押しやった。立花先輩の美しさってちょっと刀剣類に通じるものがある気がする。やっぱりイイ女だ、ちょっと性格がアレだけど。

「まあ、役得もあるからな」
立花先輩から緊張感が抜けると、先輩はその端正な顔を柔らかく崩した。
「もうすぐ営業一課の調査は終わりだろう?当りの社員はいたか?」
その当りとはどっちの意味ですか?
「もちろん鶴の恩返しをしたい男のことだ」
あー、と思わず私は視線を天井に泳がせた。その様子を観察していた立花先輩はニヤリとした。
「まだまだ先は長いからな。で、営業一課に疑わしいヤツはいたか?」
「セクハラという意味では微妙な社員もいますが…スパイとして怪しい人は見当たりません。ですが…」
だろうな、と立花先輩は頷いたが、私の言葉に目付きが鋭くなる。
「どうも出入りの業者さんや警備の人は微妙な気がして」
「カトウ運輸は問題ない筈だが?何せ会長が現役の時からの出入りだからな」
一応調べてみるように、と立花先輩は兵ちゃんの方へ振り向くと、彼女は了解ですと答えた。怪訝な顔をした私に兵ちゃんはにこやかに答えた。
「そこの御曹司と同級生で同期なんです」
そうでしたか。あの全国的企業の『クロ馬カトウの宅配便』の御曹司とですか。あれ?同期ってことは今年入社したってこと?何気に会長の人脈って凄いのかもしれないと鳥肌が立った。

「そういえば立花先輩!忘れてました。健診の日、人事の鉢屋さんと尾浜さんという方に会ったんです」
立花先輩が完璧な形に整えられた眉を寄せた。
「どうして奴等がそこに?」
「善法寺先生が呼んだそうです」
「伊作のヤツっ!」
相変わらず空気が読めない男だ、と先輩は舌打ちをした。でも立花先輩、私はあの大ピンチの日尾浜さんに助けられたみたいなんですけど。
「奴も営業一課を、場合によっちゃ奈々子を見張ってたからだろうな。奴等は敵ではないが、味方でもない」

もしかすると、私は取り返しのつかないことを仕出かしたんだろうか。どうしよう、どうしよう、ザッと血の気が引いて有り得ないほど鼓動が早くなる。
「あの日のうちに報告するべきでした。立花先輩、申し訳ありません」
「次回から不審者は全て報告するようにな。それが奈々子の身の安全のためだからな」
なおも青ざめている私に、立花先輩は硬い表情を崩して微笑みかけてきた。その妖しさに同性ながら胸がドキリと脈を打つ。

「なあに、あいつ等なら心配ない。尾浜は奈々子が何者か調べてただけだろう。よかったな。鉢屋だったらもっと厄介だったぞ」
ラッキーだったな、と立花先輩が藤内美ちゃんにチラリと目をやれば、藤内美ちゃんはビクリと身体を震わせた。
「いや、アレは大人が赤子の手を捻るようなものだから気にするな、藤内美」
先輩は藤内美ちゃんが気にしている過去の傷跡を、わざとほじくり返しているような気がする。いや、気のせいじゃない、これで二度目だ。笑いを噛み殺しながら立花先輩がこちらに向き直った。

「表向き奴等は人事部だが、実は会長直属の機関なんだ」
「機関?!」
「といってもアレだ。奈々子は見たことないか?あの週刊誌連載のリーマン向けエロ漫画。奴等はあの『只の人』みたいな役割だ」
あー、昔ドラマ化されてましたね。社内仕事人、いや仕置人みたいな感じでしょうか。だから敵でも味方でもないと。
「二つとも会長直属のグループでも、違う組織ってことですか」
そうだ、と立花先輩は再びサラサラの黒髪をかき上げた。
「据え膳もお残しはしない連中だからな、気を付けろ」
鉢屋さんはともかく、あの尾浜さんまで…。知らずに口に出していたらしい。伝七ちゃんが呟いた。
「警戒心を抱かせないタイプって面倒ですよね。善人面の奴なんて腹の中で何考えてんだか…」
私は尾浜さんのことがよく分からなくなった。ぼんやりしていると立花先輩の声が響いた。
「藤内美、奈々子の次の行き先は決まったか?」
「現在、調整中です」
そうか、皆他に報告はないか?ないなら解散だ、と全員の顔を見回すが誰も何も言わない。
「それでは解散」

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