今から帰社します 4
「いたいた!台車あった…よな?!」
遠目で私を見つけた竹谷代理に「は、はいっ!今すぐにっ」と慌てながら小走りで台車を押していく。静まり返った地下に車輪の音だけがガラガラとやけに大きく響いた。
バンの後ろを開けて既に荷物を降ろす準備をしていた竹谷代理は、私の姿を見て心なしかホッとしたような表情をした。腕捲りをした代理はせっせと、そして荷崩れしないよう上手く箱を積んでいく。さすが引越屋さんのバイト経験があるなあと思ったり。でも前が見えない高さまで積むのはどうかと思うけど。
「竹谷代理、鍵はお持ちですか?」
代理は小声で「いけねっ、警備に電話しねえと」と呟きながら勢いよくドアを閉める。軽快な電子音がそれに続いた。
「入口が開いてるかもしれないから…私見てきますね」
先程鉢屋さんが入っていったことを思い出す。たぶん鉢屋さんは頃合いを見て開けに来てくれたのだろう。でも荷物が一緒だしと考えていると、
「いや、俺も一緒に行くしよ。このサイズなら荷物用の出入り口じゃなくても大丈夫だろ」
竹谷代理は台車を指しながらそう応えた。竹谷代理は積み上げた箱の上部を片手で押さえつつ、もう一方の手で台車を押している。重たく鈍い音が人けのないコンクリートの半地下で静かに響いた。
然程重そうな素振りは見せないものの竹谷代理の前腕には力が入って筋肉が盛り上がっている。鉢屋さんは細身で締まった体つきだけど、竹谷代理はどんなスポーツをしているのか全体的にがっしりとした体躯だった。肌寒いにも関わらずまだ腕捲りをしている竹谷代理は筋肉量が多くて体温が高いのかもしれない。
私は自分のバッグと竹谷代理の荷物を持つと、先に小走りでガラス扉の前へと向かった。縦長のドアノブを恐る恐る押せばガチャと音をたてゆっくりと開いた。
「おほー、無用心だな。後で警備に連絡しとかないと」
私がドアロックに手をかけると、竹谷代理は積み上げた段ボール箱の端から顔を覗かせて私に鍵をかけるよう頷いた。
二人してエレベーターに乗り込む。人も乗ることが出来る貨物用のそれは内装などの装飾は一切省かれた兎に角だだっ広い箱のような空間だった。壁には台車で擦ったのか黒いかすり傷が無数にある。
「何階ですか?先に管理部へ?」
「いや、とりあえず荷物置きに行くから新規開発部でいい」
次第に心臓の拍動が早くなるのを感じつつ鉢屋さんの指示を心の内で繰り返す。私は小さく息を吐いてから唾を飲み込むと会議室のあるフロアのボタンを押した。わざとらしく「あっ間違えたっ」なんて口にしながら。
いくらなんでも今のは白々しかったよね、私ってホント演技力ないわー、とげんなりしながら竹谷代理の様子を窺う。でも竹谷代理は大して気にも留めておらず私と目が合うと、「七紙さんは仕方ないなあ」とでもいいた気な顔で少し眉を下げただけだった。
電子音声が近付く到着階を告げた。だが会議室フロアはビル内でも下層エリアにあるから間もなくドアが開いてしまう。何としてでも竹谷代理と共に一旦エレベーターを降りねばならない私は、もう恥を忍んで言うしかなかった。
「すみません、一旦降りてもいいですか?あの…トイ…、化粧室に行きたくなっちゃって…」
「じゃ、俺先に行ってるしよ」と竹谷代理はボタンへ手を伸ばした。
「もう人がいないから今の時間一人だと怖くって……」ともじもじしながら上目遣いで竹谷代理を見上げる。
「しょうがねえなあ…」
竹谷代理は目線を逸らせると人差し指で耳の後ろをポリポリと掻いた。その仕種に「ガキかよ」と言外の意味が含まれているような気がする。ちょっと、それ、もの凄く心外なんだけど。そこで指摘される前にこう付け加えた。
「いい歳してるのに、すみません」
すると竹谷代理は腹のない笑みを返してきた。
「最近、管理かどっかの部署が荒らされたらしいし、社内も物騒になったよな」
身体にグンと圧がかかり静かに停止するとゴトンという音と共にドアが開いた。
台車と共に二人で降り立った廊下は就業時間が終わったこともあり照明が半分以下に落とされている。竹谷代理と一緒じゃなければ確かにちょっと怖いかもしれない。特にお手洗いは密室になるもんね。当の竹谷代理もこの場の雰囲気には納得した様子で、
「じゃ、俺はトイレの近くで待っててやるから七紙さん行ってこいよな」
竹谷代理は私に向かって頼もしい顔をするとキリリと口を引き結んだ。だがお手洗いという状況が何とも情けない。すると突然こちらへ近付くヒールの音がカツカツと廊下にこだまし、自信に満ち溢れた艶やかな声が響き渡った。
「竹谷も奈々子もご苦労だったな」
私達の背後には腕組みをして美しいを脚を惜し気もなく晒した立花先輩が仁王立ちしていた。この上なくたおやかで美しい笑みを浮かべている様がかえって恐ろしい。
「立花先輩!」
竹谷代理と私の声が見事にハモった。まさかのまさかだよね。いや、でも今日一日でいきなり正体バレたなんて前代未聞だったし。困ったときの先輩頼みって感じで最近の立花先輩は私のトラブルシューターとなっていた。まあ、時にトラブルメーカーにもなってるけど。
「散々な出張だったな、奈々子。竹谷も遠方の往復お疲れ様」
気のせいか竹谷代理が落ち着かない様子だ。もっとも堂々たる立花先輩を前に落ち着いていられる後輩は久々知さんと尾浜さんくらいかもしれない。或いは竹谷代理に何やら後ろめたいことがあるのかもしれないけど。
「竹谷、お前の希望通りにしてやったが奈々子の働き振りは如何だったかな」
緩やかに頬を持ち上げ隙のない眼差しでじっと見据える立花先輩に、竹谷代理の目線は落ち着きをなくして先輩の顔と、なぜか脚とを往復している。
「あ…それはもう…充分に…」としどろもどろで答えてるけど、今日の私はあんまり働いてないかも、少なくとも午前中は。竹谷代理は愛想笑いを浮かべながら、
「でも、先輩。もう驚いたの何のって!てっきり私の希望は無視されたのかと…」
「今まで私が約束を守らなかったことなどあったか?」
立花先輩は飄々と受け流した。そんなやり取りがなされる中、先輩が約束を破ることがあったっけと考えを巡らせる。確かに破りはしないものの文字通り守ることも少ないような気がした。