油断してたら 4
『七紙さん、人間じゃないですか』なんて微妙にフォローになっているような、なってないような初島君の発言。
───やられた。
てっきり耳まで赤らめた美形に見つめられながら囁かれたもんで、流石にその発想は無かった。私ってば伊賀崎さんに担がれたんだろうかと初島君に目をやれば、彼は一切笑うことはなく真面目な顔でこちらを見ている。
「もしかしたら…ですけど…」
初島君の口の動きを見つめながら私は唾を飲み込んだ。
「あの化粧してる七紙さんはグろ……派手で濃かったから、毒生物好きの伊賀崎さんの琴線に触れたのかも…です」
優しい性格の初島君は言葉を選びつつ説明してくれた。まあ確かに七紙さんが毒を持ってそうだという評価は分からなくもない、ような気がする。だとすると何故ヘビに例えられたという疑問が。
「それは伊賀崎さんが愛して止まないからですよ」
ヘビを?、と私が不思議そうにしたのだろう、初島君は頷きながら続けた。
「伊賀崎さんはかなり人見知りするのに…。七紙さんはそうとう好意を持たれてたんですね」
初島君は微笑んだけど、なんだか大変に微妙なしこりが心に影を落とす。
しかしながら毒を持ってそうな七紙さんと比べれば、「本来の」八神さんルックスの私は地味すぎるほど地味でいたって普通だ。私は化粧品をポーチに仕舞いながら七紙さんは早退したことに出来ないだろうかとひたすら知恵を絞った。だがどう頭を捻っても、ろくなアイデアが浮かんでこない。今居るのが自力では帰れない場所というのも災いした。
「うーん、さすがに困った」
知らず知らずの内に私はそんなぼやきを溢していたらしい。
「何が困るんだ?」
背後から届いた声にびくりと身体を震わせる。それは今私が一番会いたくない人で。しかもその声音は笑いを噛み殺しつつも幾ばくかの意地悪さが滲んでいて。
「七紙さん、いや……さんかな?」
私は言葉を失った。まさかの入社以来最速の本体バレかも。ていうか空気読むのが苦手な竹谷代理が、こんなに勘が良かったとは。頼みの綱の鉢屋さんや尾浜さんだって、こんな所にまで来てくれないだろう。流石に無理がありすぎる。
「た…竹谷代理…?ずっと見てらしたんですか?」
「あー、初島と機嫌良く喋ってるもんだからよ。声をかけ辛くってな」と竹谷代理はお得意の照れ隠しの仕種でバリバリと頭を掻いた。
「初島、悪ぃな。ちょっと八が…七紙さんを借りてっていいかな?」
「はい、どうぞ」と初島君は笑顔で答えたけれど、私にはちっとも良くない。でもどうにもならなくて、私は件のタケメンスマイルを浮かべながら手招きする竹谷代理の側へと近づく。間近で見ればその朗らか過ぎる笑みに違和感を感じて、ゾクリと背筋に悪寒が走った。
「七紙さん、いや、八神さんかな?一体どういうことか説明してくれるか?」
竹谷代理は私を物陰に連れていくと、先程とは打って変わった厳しい口調で問いただした。見開かれた大きな眼とキリリと上がった太い眉に竹谷代理の意思の強さを垣間見る。
まあ、当然の結果だとは思うけど、私より数段背が高い分威圧感が半端ない。しかし何をどこまで話してよいかは私の裁量に任されていることではないから、何も答えることは出来ない。だから藤内美ちゃんに連絡できないし、人事コンビには尚更迷惑をかけられない。
「アンタも件の建設会社のスパイなのか?」
竹谷代理は詰め寄る。ある意味そうだよね、所属は毒田建設じゃないけど。そう答えられたらどんなに楽になれるだろう。
「何ならそのまま総務から保安に『八神と名乗る女が七紙さんに化けてうちの会社に潜り込んでました』と突き出してやってもいいんだぜ!」
竹谷代理がニヤと唇を歪めた。言ってることは「たぶん」正しいんだろうけど、てか普通そうするべきなんだろうけど。気のせいか竹谷代理の湿った視線が私の身体を上下して気持ちが悪い。捲り上げたYシャツの袖口から覗く竹谷代理の腕の太さに身震いをする。
───ちょっ、竹谷代理、その表情悪っ!しかもなんか、その…とっても嫌な感じ。
もしこの状況が男性向け18禁だったら今ごろ私は格好の餌食になっていて、既に『あっー!』な展開になってるよね。もっともそんな犯罪的馬鹿は普通いない。だけどそんな妄想が浮かんでしまうほど、竹谷代理の瞳の奥には暗い熱が籠っているような気がした。代理は普段陽気な人柄で知られているだけに、その落差が恐ろしい。だけど今はギャップ萌だなんて言っている場合ではなかった。
───どうしよう。
竹谷代理は猛禽類を彷彿とさせる鋭い目付きで私を見据えている。こんなとき立花先輩ならどうするんだろう。先日みたいに『山田常務に連絡して指示を仰げ』とでもいうのだろうか。でも、誰もいないならともかく竹谷代理の目の前で常務に電話する訳にはいかない。それにまだ昼間だから華麗なる伝子さんへは変身していないだろう。
その時、思い悩む私の脳裏にあの時の伝子さんの一言が突如として再現される。
『立花さんが本当に困った事態になるなら私から会長に頼むから大丈夫よん…』
───そうだ、会長!
私は頑張って瞳を潤ませると威圧的な竹谷代理を上目遣いでじっと見つめた。潤んだ瞳、震える唇。今日ほどグロスを塗っといてよかったと思ったことはない。私が何かを訴えかけるように数回瞬きをすると、ほんの一瞬、竹谷代理が怯んだような気がした。例え怯んでなくても、竹谷代理の喉が上下して唾液を飲み込んだのが見て取れた。
「……な、何だよ。今度は…」
竹谷代理が一歩後ずさった。逆に私は一歩近寄る。すると竹谷代理がピクリと眉を動かした。
「あの…実は私…」
緊張から声が震える。でも竹谷代理は違う意味にとったようだった。代理の雰囲気から刺々しさがなくなりその声音に幾ばくかの優しさが含まれるようになった。
「……訳を話してくれるか?」
私は黙って頷くと一旦目を伏せ、再び代理を見上げた。濡れた唇を半開きにしながら。すると竹谷代理はカリカリと爪先で耳の後ろを掻いている。鼻の頭に汗をかきながら照れ隠しをするとは、なかなかいい傾向かも。
「はい、実は…入社試験の続きなんです」
「入社試験?!」
「試用期間の間、変装がバレずに終われば晴れて本採用に、と…」
「デタラメ言うなよ。試用期間は……あぁ、七紙さんは新卒じゃなかったか」
竹谷代理は一人で納得すると私に尋ねた。
「でも一体どうしてこんなことになっちまったんだ?」
私は一呼吸置くとじっと竹谷代理を見つめながら口を開いた。気持ち血色のよくなった竹谷代理が視線を宙に泳がせる。
「それは面接の時でした」