また遠出しました 3
「では私は上席研究員を呼んできますから」
さっきから私と目が合う度に僅かだけど頬を染める伊賀崎さんは、またもや赤くなりながらそっとドアを閉めた。
それを見ていた竹谷代理はにこにこしながら、私に向かってまたもやとんでもない発言をする。
「七紙さん、妙に孫平に気に入られてるよな」
もうっ、爽やかな笑顔でそんなこと言わないで下さい、と竹谷代理を軽く睨んだ。代理は両手を胸の前で振りながら慌てて否定した。
「いや、なっ、その、違うんだ!」
何がです?!
「珍しいこともあるもんだな、と思ってよ」
そりゃ余計に失礼です。言いたいことは解るけど。
「違っ、そうじゃなくって。孫平でも人間の女に興味を持つことがあったのかって、それに驚いたんだ」
どう捉えたらいいやらさっぱり解りません。やっぱり失礼発言してるし。
「七紙さんはまだ知らないんだろうけど孫平はな。ああ見えて…」
肝心なところで当の伊賀崎さんが部屋に入ってきてしまう。しかも後に白衣を着た大柄な人影があって、急いで竹谷代理が立ち上がったから私も合わせて立ち上がった。
「大木先生、お久しぶりです」
「竹谷さんも久し振りだな。今回はもう東棟に行ったのか?」
「いえ、まだですが…」
少々困惑の色を見せながら竹谷代理が答えるとその白衣の男性、大木先生は上機嫌で破顔した。
「そうか…ワシのが先か」と呟きながら不敵な笑いをこぼした。そして代理の横にいた私に興味深げな視線が向けられる。でも大木先生は初対面の私を見ても大して驚かないから、割と物事にこだわらない質なのかもしれない。
「その、竹谷さんの横の生き……お嬢さんは?」
「ああ、彼女は今回の聞き取り調査を手伝ってくれる七紙奈々子さんです」
「ほう…」と大木先生は親指と人差し指で顎先を摘まみながら、頭を下げる私を改めてまじまじと見つめた。
「そうか…今は色んな人材を採用するんかのう」
それだけいうと大木先生は一介の研究員とは思えないほど逞しい前腕を伸ばし、私の肩をバシバシと叩いた。たぶんこの人は励ますつもりで軽くやってるんだろうけど、その馬鹿力に堪らず咳き込んでしまう。にしてもさっきからこの大木先生は私に対して微妙な言い回しが多い。にもかかわらず、
「七紙さん、新人の意識調査宜しく頼むな」とニコリと笑ったその頼もしげな雰囲気に「まあ、いっか」と許してしまいたくなる。彼は本社にはいないタイプだった。いや、いなくもないかな?竹谷代理が大物になった感じ、とはちょっと違うか。落ち着いて話を聞いてくれる七松係長の方が近いかも。
そんな大木先生は最後にもう一度、
「七紙さん、ド根性ー!」と言い残しガハハと豪快に笑うと颯爽と去っていった。滞在時間ものの五分くらいかもしれない。ま、面通しなんだろうけど。
「竹谷代理、ヒアリングの相手の資料があれば…」
「いけねっ、忘れてた!」
引きつった表情で鞄をごそごそ探り始めた竹谷代理に、伊賀崎さんが冷ややかな視線を浴びせかける。美しい造形の顔立ちに大理石のような白い肌が映える伊賀崎さんは、日に焼けて素朴な人の善さを醸し出している竹谷代理と対を成しているようにみえた。
「悪ぃ、七紙さん。朝会ったときに渡すつもりだったんだが…吃驚して忘れてた」
『何にビックリしたんですか』とまで敢えて聞かないけどさ、代理。
「大丈夫です。急いで目を通しますから」
「竹谷代理、七紙さんが気の毒ですよ」
「本当にすまんな…ぉ、あった、あった」
竹谷代理は通称タケメンスマイルとおぼしき爽やか笑顔で誤魔化しながら私に書類を手渡した。けど、私だってそんなことじゃ誤魔化されませんから、…ま、一瞬クラッときたけど。
「面談は代理と一緒にここでするんですか?」
「いや、七紙さんは別室で俺の後から聞き取りよろしく。細かい指示を浦風さんから聞いてないかな?」
藤内美ちゃんの名前が出て気になったけど、竹谷代理に直接尋ねるわけにもいかない。後から藤内美ちゃんに要連絡ってことだろう。
「何時から始めるんですか」
「午前中は大して時間が残ってないから先に書類に目を通してくれ。伊賀崎、別室の準備は?」
「出来ています」
「じゃあ、俺達は一人目の面談に入るから七紙さんを部屋へ案内したら面談の子連れてきて」
竹谷代理はこちらに振り向く。
「七紙さん、俺達が終わったら直ぐ一人目の子が行くから、そのつもりで」
伊賀崎さんが先に立って廊下に出る。窓ガラスに並んで映る私たちの姿が目に入れば、これがどうして同じヒト科の生き物なのかと大いなる疑問を生じさせた。まったくもって造物神の手による作品は本当に不公平だとつくづく感じさせられる。
「こちらです」
伊賀崎さんが指し示した角を曲がった所にある部屋へ通されたけど、見たところ明るい小部屋で異臭もないからほっとする。
でも視線を感じて振り向けば、何か言いたいことでもあるのか伊賀崎さんは頬を紅潮させつつ口をぱくぱくさせていた。だがとうとう決心したのか伊賀崎さんは恥じらいながらも言葉を発した。
「あの…七紙さんって…」
───何でしょう?そんな瞳に見つめられたらお姉さん思いっきり誤解しちゃいますよ?!
「僕の知ってる子に似てるんです」
「へえ?そうなの?」と返しながこの世にこんなメークの人がもう一人いたのかと内心大いに驚いた。
「キミコかな…、いや、ジュンの方が似てるかなあ…」
目を伏せ耳の縁を染めながら俯き加減で呟く伊賀崎さん。しかも名前を呼び捨てにしてるってことはかなり親しい間柄だよね。でも彼をこんなにさせるとはどれ程罪な女なんだろう。それにしても古風な名前、きっと歳上の質の悪い女なのかも。こんな純粋そうな青年を捕まえてさ。
なんてことを考えながら私は伊賀崎さんに笑顔を返した。伊賀崎さんは「ではまた」と軽く頭を下げるとドアを閉める。
私ってば今さらモテてる?しかも一目惚れされた相手があり得ない程綺麗な年下美青年だなんて、まさか夢じゃないのって展開。
暫しぼんやりと伊賀崎さんの余韻に浸っていたものの、震える携帯の振動でいきなり現実へ引き戻された。慌てて画面を見れば相手は『浦風藤内美』と表示されている。
「はい!七紙です」
『奈々子さん、もう面談始まりましたか?』
「はい、竹谷代理逹のは。ですが私の順番はまだです」
『ああ、良かったー!間に合って。では先輩からの指示を伝えますね』
私は矢継ぎ早に出される藤内美ちゃんの伝言をメモに取りながら、燦々と日射しが降り注ぐ窓の外へと目を遣った。
本当に今日は良い天気で気持ちも明るくなる。だけど流石に田舎だなと思うのは窓の外にトカゲが張り付いていること。トカゲなんか見かけるのは子供の頃以来で本当に久し振りかも。ていうかやけに派手な色合いが毒々しくて日本的じゃない感じがする。もうこんな田舎にまで外来の帰化生物が進出してきてるんだ、としみじみ現代の自然環境に思いを馳せた。