また遠出しました 2


「そうだ」と呟いた竹谷代理は何かを思い出したようだった。
「七紙さんに言い忘れてた…施設内の配置が変だけど、あんま気にしないようにな…」
そんなこと先に言われたら気にするっつーの。
「あと迷子に注意だな、実は…」
俺も迷ったことあるんだ、と代理は少し照れながらポリポリと頭を掻いた。傷んだ髪が余計にくしゃくしゃになって四方八方にとび跳ねる。照れ隠しなんだろうけどその方法はあんまりお薦めできないなあ、なんて考えながら初夏の陽気に映える竹谷代理の人の良さそうな笑顔を眺めていた。

車が内陸に向かって方向を変えるけど山並はまだまだ遥か遠くだ。天気の良さと合間って今日は絶好のハイキング日和で、日差しが射し込む車の中にいると嫌が応でも眠たくなる。私は秘かに欠伸を噛みころしたのに、そんな私をチラリと見た竹谷代理は優しげに口元を緩ませた。でもそれは何というか妹や彼女といった人間に対する眼差しではなく、他愛ない仕種をみせる動物園の生き物を見るような暖かいそれで、何だか非常にしょっぱい感じがした。

家並みが少なくなり広大な農地が視界に入る。竹谷代理は幹線道路から外れると市道に入り牧歌的な細い田舎道をひた走った。
「お疲れさん、着いたぞ」
竹谷代理こそありがとうございました、と応えながら見えてきたのはやはり既視感がある感じの研究施設っぽい白い建物。だけど前と違うのはやけに平たく横に長いということと、その両端に各々比較的立派な研究棟らしきものがそびえ建っていることか。とはいえ一体この、ほぼ平屋のどこを迷えというのか。そう思いながら車を降りた私は、長時間縮こまっていた身体を目一杯伸ばした。

「竹谷代理、おはようございます」
竹谷代理が車から荷物を降ろす作業を手伝っていると傍らから凛とした声が響く。これはもしかしてもしかしなくてもイケメンの予感!私のセンサーが激しく反応した。
「おう、伊賀崎。こちら七紙さん」
いきなり紹介されて慌てた私は、相手をよく見もしないでそのまま頭を下げて挨拶をする。オーソドックスな紺色のスーツの下半分だけが見えた。
ゆっくりと頭を上げる。そこにいたのは美少年の面影もそのままに未だ成長途中といった感じの目の眩むような美青年。そんな彼と視線がぶつかるその時だった。
互いの間に電流みたいな何かが走った。なんて表現を芸能人の婚約会見でよく耳にするけど、今のコレが正にそれ!伊賀崎さんと私は雷に打たれたように見つめ合ったまま視線を外すことが出来なかった。
「…どうした、伊賀崎、七紙さんと知り合いか?!」
「…いえ、違います」
ちょっと待て、落ち着け私。今は七紙さんだよ、一度見たら忘れられないメークだよ。
私は努めて冷静に考えようとした。だけど伊賀崎さんは微かに頬を染めながら答えるものだから、私だって誤解の一つもしたくなる。
「では中に入りましょう」
促す伊賀崎さんは私を一瞥すると、合うか合わないかというタイミングで視線を逸らした。でも後ろから見える耳の縁がほんのり色付いている。一体どういうこと?私は首を傾げつつ荷物を持つと竹谷代理に続いて建物に入った。

「七紙さん、離れずに着いてきてくれよな」
そんな大袈裟な。先を歩く竹谷代理が心配そうに振り返った。
「いえ、七紙さん。本当に注意してくださいね」
伊賀崎さんまでが真剣な顔をする。
「先日も一昨年入った新入社員が屋内で遭難して半月ぶりに発見されましたからね」
ウソぉ、迷うったって樹海じゃあるまいし。ていうか一昨年って、それ経理のあの子とか営業の彼じゃなくって?!一瞬背中がざわざわしたけどすぐに思い直す。すると伊賀崎さんは、
「……というのは冗談ですが」なんて端正な真顔を返してきた。
「それをいうなら『ジュンコに美味しく頂かれちゃった』の方が真実味があるだろ?」
ニヤと頬を持ち上げた竹谷代理の一言に、伊賀崎さんは作り物のように美しい顔を顰めた。
「いくら竹谷代理とはいえその発言は許し難いものがありますね」
「いや…あ、ハッハッハ…ハハ…」
竹谷代理は視線を宙に泳がせながら笑って誤魔化した。代理っていい人なんだけど、ここぞという時に空気読むのが苦手そうな感じ。それにしても『ジュンコ』って一体誰!それと美味しく頂くのとどういう関係があるの!
ぞわぞわと次第に肌が粟立ってくる。それにさっきからこの建物の内部は薄暗いし、似たような所をぐるぐる回っているような気がするし、様々な臭気の混ざり合った異臭が漂ってるし。まさか私が実験体ってこと?!いや、そんな話は馬鹿げてる。すぐさまそんな考えは打ち消したけれど、でも。
「こちらを使って下さい」
伊賀崎さんはピシリと指先まで伸ばしてとある一室を指し示した。すると竹谷代理が真面目な、そして幾分厳しい声色で伊賀崎さんに尋ねた。
「まさか伊賀崎、ここへペット連れで来てねえだろうな」
「公私混同はいたしません」
伊賀崎さんは冷たい眼差しで竹谷代理に答えた。だけど私にはクールビューティーっていうか、その冷ややかな怒りの態度をとる伊賀崎さんが単なる目の保養になっただけで。竹谷代理だって決して格好よくない訳じゃない。むしろその反対だ。だけど伊賀崎さんは、もう違う星の人って言われても私は信じてしまうくらい、我々とは根本的な造形が違っていた。
「ならいいが…俺は見慣れてるからともかく、七紙さんは苦手かもしれないから気を付けるようにな」
くれぐれも脱走騒ぎは起こすんじゃないぞ、なんて竹谷代理が注意を促す。だけど私は代理が口にした『脱走騒ぎ』という一言が大いに引っ掛かった。だってそれは紛れもないあの総務全員で大騒ぎした事件を想像させたから。とはいえ伊賀崎さんとあのヌメヌメはどう考えてもしっくり来ない組み合わせで、私は己の脳裏に浮かんだ恐ろしい考えを無理矢理否定した。

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