最後の最後で 3
「じゃ私達も行きましょ」
えっ、北石さんどこへ?、と思ったらどうやら時間差で入るらしい。でも如何にシティホテルとはいえもうじきオーダーストップだよね。
「いいのよ、我々は指示通りロビーにいればいい。男手があるんだから私達が危険なことをする必要はないしね」
なるほど。尾浜さんは?
「私は玄関傍で不審者の助っ人が来ないか見張り」
そうですか。中の方が寒くないからラッキーかも。ていうか尾浜さんが「私」っていうのを初めて聞いた気がして、これが仕事モードの尾浜さんなのかと少しだけ見直す。
「じゃ北石さん、後はヨロシク」とばかりに目で合図を送った尾浜さんは私達に背を向けた。
北石さんと私は喋りながら玄関を通過し、怪しくないですよという雰囲気を全身で醸し出しながらロビーに置かれたソファに座る。でもいくら怪しくないとはいえ化粧バッチリで派手目なスーツ姿の北石さんと、テキトーに顔を描いた私とではあまりにもアンバランスな感じがする。そっと見回せば恐らく上層階の店にいるのだろう。先輩の姿は辺りにない。北石さんは小首を傾げて細巻のタバコに火をつけた。
「あの…北石さん」
何かしら、といわんばかりに少し見開かれた大きな目が私をじっとみつめる。オレンジ色の火がタバコを侵食してゆく。
「どういったご関係なんでしょう?」
北石さんは質問の意味が分からないと眉間を寄せながら斜め脇に煙を吐き出した。
「あの…最初からお互いご存知で、利…山田さんも尾浜さんも敢えてお互いを知らないフリしたんですか?」
「ああー、夕方の話?そうらしいわね」
私は口をつぐんだ。
「まだ尾浜君から何も聞いてなかったから態々いう必要ないし」
「北石さん達と尾浜さんは一体…」
北石さんは意味深な微笑みを浮かべると私を手招きした。彼女にしては珍しく小声になる。
「コンサルは色んな会社に行くでしょ?」
場合によっちゃシンクタンクと名乗ることもあるわよ、と濃い色の口紅が引かれた唇が艶々と動いた。なるほど、尾浜さんが言っていた外注に出す調査の調査員とは彼等のことなんだろう。確かに優秀だもの。続けて質問しようとした私を北石さんは指を立てて制した。
「振り返らないで後ろを見て」
───無理です!
「ガラスの反射で見えるでしょ?」
声が聞こえてくる。それは少し前にどこかで耳にしたような声で…。私は肩越しにそっと盗み見た。向こうには立ったまま携帯をいじっている、フリをしている尾浜さん。その向こうに見えたのは、ド派手な女性。いや、女性というか、どう贔屓目に見てもアレは…。まさかあの人が…。
「伝子さん?!」
金髪の盛りヘアに露出多めの真っ赤なロングドレス、そこから覗くやけに出来上がった筋肉質の躰。首には白いファーを巻き、一度見たら忘れたくても忘れられない濃い化粧という出で立ちの彼女は、ロビー中の注目を浴びてある意味スターだった。そして彼女の影に見え隠れしながら引き摺られるようにして歩く男性。鋭い目付きが結構格好イイ、昭和の映画スターといった雰囲気の短髪の男の人。私はあっと声を出しそうになった。
「私、あの人知ってますよ!」と北石さんへ目配せをした。
あれは確か独笹珈琲の凄腕の営業部長さん、だよね。スッゴい遣り手だからあの若さで部長だと聞いてたけど、あんな趣味があったなんて。
伝子さんは背筋をピンと伸ばした堂々たる態度で、無理矢理あの凄腕の営業部長さんと腕を組んだまま外へ外へと引き摺っていく。彼女が通り過ぎる際、尾浜さんが思いっきり嫌そうに顔を顰めたのが印象的だった。伝子さんの移動した後には誰かさんのペットみたいにキツイ香水の筋跡がいつまでも残っていた。
伝子さんがロビーから出ていくと夢から覚めるように私は現実に引き戻された。目を凝らせば向こうのエレベーターホールに山田さんと並ぶ立花先輩の姿がある。至極不愉快そうにしているから一先ず先輩は無事のようでホッとする。二人はさも喧嘩したばかりの恋人みたいに付かず離れずの距離を保ちながら外へ出ていった。
「そろそろいい頃かしらね」
ロビーのざわめきも一先ず落ち着くと北石さんの言葉に私もゆるゆる立ち上がる。何が何やら煙に包まれたみたいに全く分からないけどその内説明があるだろう。歩きながら小声で北石さんに話しかける。
「伝子さんって、最終兵器みたいな人ですね」
「そうよねえ、誰もあれが上場企業の重役だと思わないもの」
───北石さん、今何て?!
「あら知らないの?あなた達チームの統括よ?」
ウソー。あんな使用後の七紙さん以上に目立つ方は何処をどう探してもそうはいませんよ。すると北石さんの口が意味深に弧を描く。
「ねえ、奈々子ちゃん。コンサル会社社員である利吉さんの名字は?」
───山田です。
…ってまさか、えっ?!ウソっ!エエーーっ!
思わず絶叫しそうになった私の口を北石さんは慌てて押さえた。手を上げて合図をすると黒っぽい車が寄ってきて私達の側で静かに停まった。でもそれはタクシーじゃない。