最後の最後で 1


家に着くや否や私はお風呂の支度をした。もちろんちゃんとお湯が出ているか確かめて、というのも今日は不運な一日だったから。空腹も覚えていたけれど、さっき甘いもの食べたから少しはマシだった。浴槽にお湯が溜まり次第飛び込んで身体より何より真っ先に頭を洗う。乾いた埃の臭いに洗剤とワックスの混じった臭気が、いつまでも鼻に残っている気がして必要以上に何度も洗ってしまった。

私の部屋の風呂場はそれほど広くないから湯船もしかり。だからあまり手足が伸ばせないけど、それでも久し振りにバスソルトなんてものを入れてみる。リラックス用ではなく疲労回復用のもの。それがオヤジっぽくて何とな情けない気分になった。
気の済むまでお風呂に入ってようやく出た私はドライヤーで髪を乾かす。電話が鳴っているような気がしてケータイを手に取ってみたけど、既に回線が切れているのかウンともスンともいわない。なので着信履歴を見た私はザザザと音を立てて血の気が引いていくのが分かった。

 ───しまった!

この台詞に限れば今日はもう何度目だろう。妙に冷めたもう一人の私がツッコミを入れる。尾浜さんに無事に着いたと連絡するのを忘れていたのだ!だが迷ったものの連絡するより他はない。私は震える手でリダイヤルを押した。

『…ハイ、もしもし?奈々子ちゃん?』
「ハイ…すみません。連絡遅くなりましたが、無事戻りました」
『そっか。あまりにも遅いから連絡してみたんだけどさ。メール見なかった?』

 ───見てません…!

『…だろうね。だから電話したんだ』
「も…申し訳ありません」
『どうせ先に風呂入っちゃったのかなって』

 ───大当りです!

いつもながら私の行動が分かり易いのか尾浜さんが超能力者なのか、なんで行動が筒抜けなんだろう。まさか盗聴されてる?!んなワケないか。
『いいよ。分かってたから』
「あの…まだ仕事中ですか?」
『まあね、次に会ったとき説明するから』
「はい、お願いいたします」
『じゃね』
「では失礼します」と通話を終える。
とうとう緊張の糸が切れどっと疲れの出た私は、そこら辺にケータイを放り投げるとベッドへ倒れこむ。もぞもぞと虫のように布団の間へもぐり込めば、そのままいつしか眠ってしまった。

かなりぐっすり寝たみたいだけど、あれからどれくらい経ったのだろう…。しつこく鳴り続ける電話に根負けした私は、ぼんやりした頭で電話に出た。相手が誰だか確かめもせずに。

『奈々子かっ!』

その声……、立花先輩?!
耳にした途端、一気にアドレナリンが噴き出し脳が覚醒を始め眠気がどこかへ飛んでゆく。しかも先輩の声は微妙に切羽詰まったものを感じさせたから余計に。
「はい、どうかされたんですか?」
ちらりと時計を見遣れば、まだ日を跨ぐには幾ばくかの時間があった。あれ程寝たにもかかわらず不運な一日は終わっていなかったのだ。
『実は……』
口元を覆っているかのような先輩の篭った声に若干の不安を覚えつつ面倒なことじゃなければいいけど、なんて考えた。

『……囲まれた』

にわかには先輩の話が理解できなかった。
 ───一体どこで、誰に、何故!
咄嗟に尾浜さんが夕方話していた相手の名前が浮かんだ。
「相手はウドンさんですか?」
『いや、それはとうの昔に撒いた』
ちょっ、撒いたって…。ともかくそれじゃないんだと別の可能性を探るべく頭を働かせようとした。赤髭のオッサンじゃないとしたら。
「じゃ、独笹珈琲の若手社員?」
『それもいたな、だが…』
「潜んでられるならじっとしててください、直ぐに行きますから!場所はどこです」
あたふたしながら尋ねると、本社から数駅離れたこの地区の中心街にあるホテルのラウンジだと先輩は答えた。まだ人目のあるところにいるだけ時間が稼げる。閉店までだけど。
『前に渡した緊急連絡先に連絡しろ。スマンが電池が持たない』
「了解です」と急いで通話を落とす。立花先輩がミスったってこと?訝しく感じながらこの会社へ来た頃に教えて貰った連絡先を慌てて探した。『登録するな、覚えろ』と言われていたけど私はタカを括っていて覚えてなかったから。

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