平行線 3


問われるままに黙って頷く。
「女中……にしては、器量良しだな」
首は俯いたまま上目遣いで相手を観察する。私より上背のある三十半ばの男。体躯は中肉。日焼けしてそれなりの筋肉がついているから、この宿の下男だろうか。
男は私の手首を掴むといきなり脇の小部屋に引きずり込み勢いよく戸を閉めた。足払いをかけられて板の間に転がされる。もっともおおよそ予想していた範囲内のことだったから私は大して慌てもせず、表面上は恐怖のあまり声も出せない小娘を装った。高い位置にあるはめ殺しの小障子から頼りない明かりが差し込んでいる。周りには雑然と桶やたらい、膳や食器が積まれており、ここは宿の物置にされているようだった。
薄暗がりの中、男の眼が爛々と輝いた。先ずはいい気にさせて油断を誘い、相手がどの程度の手練れか見極める。大したことがなかったらサッサと昏倒させて逃げ出そう。でもその反対の場合には。くの一屋敷に戻ったら一番に熱い湯へ入ろう。

だが私がくの一の術を使うよりも先に目の前で男は床に崩れ落ちた。その背後から現れた見慣れた人影に私は息を飲んだ。

 ──竹谷!

「何やってんだよ、りく。さっきまで三郎と一緒じゃなかったのかよ」
「竹谷こそ何今までグズグズしてたのよ」
「いいから行くぞっ」
それでも通るのは先程と同じ出口だ。私はそこら辺にあった桶を脇に抱え、ちょっとそこまでお使いにという何食わぬ顔をもう一度作る。竹谷も袴を脱いで腕を捲り、裾をからげた下人姿に形を変えると、連れだって裏木戸を潜った。


「なあ…りく、怒ってんのか」

 ──空気読め。

「わ、悪かったよ、な。詳しい話をしなかったのはよ」
竹谷が叱られた犬のように眉毛を下げながらしきりと私の様子を窺うから余計に苛々とした。
「で、どうだったの」
「ん?」
「首尾は」
「はい…抜かりなく、ですね」
それならよかった。竹谷に向けた面差しはムッとさせたものの、胸の内では重荷の下りた心地がした。あれだけ不手際があって、その上補習に失敗されていた日には目も当てられない。
あの後竹谷と私は混雑に紛れて行方をくらました。追われてはいなかったから人通りの多い往来は流れに合わせて歩き、人波が途切れると街道をひた走った。そしてここまで来れば一先ず大丈夫という所まで辿り着くと、私たちは速度を落とし歩き出した。

「三郎とはどこで待ち合わせてるの」
「あ……ああ、もう少し先の一本杉のところだ」
「で、あんた達つるんでたの」
私が三郎と口にするとあからさまに竹谷の表情が曇った。眉間にはほんの微かに不快さを示す皺が寄せられた。
「あんな所だろ。りくが心配だったしよ。でも……」
「でも、何なの。竹谷」
「何でもねえよ」
その名が示す通りいつもは竹を割ったような性分の竹谷が口ごもるのは、元々優柔不断な雷蔵よりももっと苛々させられる。
「ハッキリ言ってよね」
「あのよ、りく。半刻も三郎と二人っきりで、何してたんだよ」
「何って、話をしつつ竹谷の様子を窺ってたんじゃない」
「嘘つけ。ちょっといい雰囲気で甘えてたから俺はてっきり……」
全く補習代わりの忍務だったというのに、この男は何に気を取られてるんだろう。歩きながら拗ねたようにそっぽを向くのが面倒くさいことこの上ない。

「連れ込みで普通に喋ってたら変でしょうが」
「お蔭で俺は声掛けそびれちまったじゃねえか」
「馬鹿臭い…心配するんじゃなかった。こっちはいつまでたっても竹谷の合図がないから……」
竹谷は嬉しそうにその大きな目を更に見開いた。
「りくは俺を心配してくれてたのか」
竹谷は立ち止まり懐を探って何やら取り出すと、私に手の平を出すよう促した。握り締められた竹谷の拳から体温で熱くなった小さな塊が転がり出る。それは縦にぐるりと紙のたすきを掛けられて両の殻をピタリと合わせられた小振りの蛤。つまりこれは、紅だ。
私は驚きの余り竹谷と竹谷にそぐわないこの小さな熱い塊を交互に見比べた。竹谷の頬が次第に染まってゆく。
「悪いな、あんまし大きいの買ってやれなくってよ」
竹谷の顔を穴の開きそうなほど見つめてしまう。この垢抜けない男がこんなに気の利いたことをするとは。だがいつの間に買いに行ったのやらと不思議に思った。

「それはだな、りく。先日女装して町に出る実習の時に八左ヱ門が長いこと時間をかけて選んだ代物で…」
突然背後から飛んできた厄介な男の声音に私は飛び上がった。竹谷に至っては慌てふためいている。
「三郎、てめえっ。そんなことバラすなっ」
既にいつもの見慣れた雷蔵の姿に戻っている三郎は、私の横へ来ると意味深に片方の口角を持上げてみせた。三郎お得意の挑発。その手に乗るもんかと私は真っ直ぐ前を向いた。すると三郎は顔を寄せて私にしか聞こえないよう囁いた。

「で、八左ヱ門をどうするんだ。りく」
どうもこうもない。紅をくれたのだって先日の実習で落第から救ってやったお礼だろうし。女の子に贈り物をし慣れていない竹谷のことだから、ああして分かりやすく顔を赤らめるのだ。
「お前って本当に……くの一向いてないな。ま、そんな女に惚れた八左ヱ門も哀れだが」
そうこぼすと三郎は竹谷を一瞥して、私に顎で指し示した。つられて振り返れば、なぜだか竹谷はまた不機嫌になっている。
「冗談は止めてよね。だいたい三郎がつまらない内幕を喋るからじゃん」
すると私の真横を歩いていた三郎は突然足を早めた。
「私は一足先に帰るから八左ヱ門とりくはゆっくり戻ってくればいいさ」
そう言い残すと風のように駆け出して、瞬く間に偽物の髷を付けた後ろ姿は見えなくなった。

 ──そんな女に惚れた……ってさ。まさか竹谷が。

三郎の言葉が胸を行き来する。だがさすがの私もそんなことを直接竹谷に尋ねる勇気はない。恐る恐る竹谷の様子を窺えば竹谷もこちらを探っていたようで、互いの視線がぶつかってしまった。
「あ……あの、りく」
「なっ何よ。竹谷こそ」
「紅……、使ってくれるか?」
お駄賃代わりに何か買わせてやろうと考えはしたが、紅は値の張るものだけに実物を目の前にすると、多少の罪悪感が湧いてくる。私もまだまだくの一修行が足りないと痛感した。
「えっ。あ、ありがとう。大切に使わせて貰うよ」
「実はよ……三郎が……」
照れながら何を言い出すかと思いきや。

「ちょっとずつ返して貰えばいいじゃねえかって」

痛い痛いと頭を押さえて喚く竹谷を尻目に、こっちの手も痛いのだと返しながら、三郎の野郎をどうしてくれようかと思案する。
「だってよ。意味分かんなかったらりくに直接聞けって言われたんだからなっ」
平素から男女の営みには人一倍興味がある癖に、どうしてこの男は含みを持たせた言い方をされると理解できないのだろうか。
だけどまたもや仔犬のような瞳で心配そうに私を見つめる竹谷の姿が、次第に可笑しくなってくる。堪らず頬が緩んでしまうのを押さえつつ間抜けな竹谷を横目で眺めれば、それはそれで可愛いく見えなくもないような気がした。

「竹谷だけに返すとは限らないからね」
「何でだよ」
「私の自由だし。けど、少なくとも三郎に返すことはないって伝えといて」
私は竹谷に向かって意味有り気に軽く唇をすぼめてみせた。竹谷の顔がみるみる内に赤くなる。これで私が三郎に直接手を下す必要はないだろう。
「あの野郎っ!」
そう叫んで走り出した竹谷だったが、直ぐに立ち止まると勢いよくこちらへ振り返った。そして断られても懲りずにまた誘いに来るときと同じように、陽気に笑い飛ばした。
「止めた。勿体ねえ。りくがゆっくり横を歩いてくれるなんてこと滅多にないもんな」

もしかしたら私は色々と失敗したのかもしれないと思いつつ、無邪気に喋り続ける竹谷の横を歩いていた。


-了-

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