平行線 1
舞台設定がちょっとアレな感じなのでご注意下さい。一応15禁にしています。
最近やけに訪ねてくるようになった同い年の忍たまである竹谷八左ヱ門は、正直なところかなりうっとおしい。ことある毎にくの一屋敷にやって来ては、やれ虫を探すのを手伝えだの、菜園の手入れにどうしても人が足りないだの言って私を連れ出そうとする。まあ二回に一回はそれに付き合ってやる私も私だけど。
そもそも奴と私は恋仲でもなければ親しい幼馴染みでもない。ただ単に五、六年の忍たまとの合同実習で一度だけ組んだに過ぎない。その時も五年ならせめて「い組」の忍たまのどちらかを選びたかったのに、私がくじ引きに負けたせいで売れ残っていたろ組の竹谷を泣く泣く選ぶ羽目になってしまった。というのもその実習は体術でも色の実習でもなく頭脳戦になることが前以て予測できたため、座学が、正直に言ってしまえば頭が残念な竹谷など選びたくなかったのだ。
無論その実習は私の気転で何とか切り抜けたため、及第点ギリギリだった竹谷から大いに感謝されたのは言うまでもない。だがそれ以来何を勘違いしたのか竹谷からは妙な親近感を持たれてしまい今に至るのだった。
「りくちゃん、また彼氏が来てるよ」
同室のくの玉が笑いを噛み殺しつつ、それでも隠しきれずに吹き出しながら私に告げた。そんなこと言われなくとも分かってる。だいたいあんな丸わかりな気配を、それもどんなに小さく見積もったって半径二十尺以上色濃く漂わせれば誰だって気が付く。
「だから彼氏じゃないっての」
眉間を寄せた私が友人に言い返そうとしたのと襖が開くのはほぼ当時だった。
「りく!頼みてえことあるんだが、いいか!」
「よくない。忙しい」
「いっつも悪いな」と言いながら奴は許可なく私の部屋に上がり込むと、バリバリと勢い良く頭を掻いた。どうでもいいけど私の部屋にフケを落とさないで欲しい。前は「委員会でダニにやられた」ってボリボリ身体を掻いてたし。
「今度の休みだけどな。俺、補習なんだ」
日溜まりのような笑顔をみせる竹谷は得意気に、けれど何とも自慢できない話を切り出した。
「その話なら私も聞いてる。でも竹谷、補習は胸張って主張することじゃないし」
忍たまが来たら手伝ってやるようにという指示は、竹谷の手前面倒なことになりそうなので伏せておく。でもシナ先生は「ただで手伝ったらくの一失格よ」なんて付け加えてたけど。
「でな、女連れの方が都合がいい場所だってんでりくに頼みたいんだけどよ」
「お断りします。久し振りの休日なのに、何だって竹谷の補習に付き合ってやんなきゃなんないのさ」
でも竹谷は必死の形相で、
「この通りなんだよ。りくさん、お願いします。頼めるのは、りくしかいねえんだ」なんて両手を合わせて私を拝み倒した。ついでに町で私の欲しいものを買ってくれるとまで言うから、竹谷にしては随分と太っ腹だ。この際高価な品をねだるのも手だが、なまじ竹谷に妙な気を持たせても後々面倒になる。丁度いい。なくなりかけた日用品を見繕って買わせてやろう。それならシナ先生からも合格が貰える筈だ。私は大きく溜め息を吐くと、さも仕方がないといった様子で竹谷に応えた。
「そこまで言うなら私も鬼じゃないし手伝ったげるけどさ…」
途端に竹谷は瞳を輝かせると全身から嬉しそうな気配を放った。もし奴が犬だったら千切れんばかりに尾を振っていることだろう。つくづく忍者に向いてない男だと鼻で笑いたくなってしまう。同室の友人が堪えきれずに吹き出しているけど、竹谷はそんなことなどものともしない。
「じゃ次の休み、朝飯食ったら校門前な。外出届は俺が二人分出しとくからよ」
その言葉だけ残すと竹谷は私の話は一切聞かずに部屋を飛び出していった。
「頭悪いけどイイ奴じゃん、竹谷って」
「確かにそうだけど……」
「術にもあっさり引っ掛かってくれそうで便利だしさ」
なんて彼女は腹を抱えて笑っている。冗談じゃない。私は六年の立花仙蔵や五年の久々知兵助みたいに器量良しで頭も切れる男が好みなのだ。竹谷といえばその対極にいるじゃないか。まあ、もしかしたら面はそれほど不味くはないかもしれないけど。
「アンタが竹谷のこと欲しいなら熨斗つけてあげるから」
「遠慮しとく」
間髪入れずに同室の彼女が断る声を聞きながら、私は再び溜め息を付くと文机に突っ伏した。
それにしても何だってシナ先生は奴に釘を刺さないんだろう。竹谷がくの一屋敷に入り込むのは教師に筒抜けの筈だろうに。校門前で竹谷を待つ私はそんなことを考えながら、今日はお天気で良かったと滅多に着なくなった一張羅の裾を少したくしあげた。
気合いを入れ、いい着物を着て化粧をし、髪も唐輪に結ってきたのには訳がある。決して竹谷と出掛けるのを心待にしていたからじゃない。如何に仲が悪かろうと忍たま達が仕事をしやすいように配慮するのが、くの玉の仕事であり心意気なのだ。もっともあまり目立ちすぎると変なのが寄ってくるが、その点竹谷は腕っぷしが強いから大丈夫だろう。
竹谷ははっきり言わなかったけれど、女連れの方が都合がいい場所とは、裏を返せば女が一緒じゃないと逆に不自然で目立つという意味だ。しかも私に頼んだということは、連れの女はそこら辺で引っ掛けた町娘ではなく気心が知れた手練れが必要なのだ。市をうろうろするなら巷の女性で構わないし、むしろ男一人でも問題はない。それに竹谷は人当たりがよく爽やかに見えるから、共に行動する娘を調達するくらい雑作もないだろう。
竹谷は身体能力だけを評価されることが多いものの、あれでいて良い知恵を出そうとそれなりに努力する男だ。だから毎度くの一屋敷に来るにしても下らないなりに理由を携えていた。教師からの指示でくの玉の協力が必要な実習や試験があるだの、くの一屋敷に侵入した毒虫の捕獲や駆除をしたいだの、毒蛇が脱走したから孫兵と一緒に探したいだの。ことに今名前の出た孫兵はその綺麗な面で我々くの玉から人気があって、竹谷もそれを知らない訳じゃない。だからそれも竹谷なりの少ない知恵を搾った結果なのだろう。そう考えると間抜けな竹谷が可愛らしく思えた。本当にほんの僅かだけだけど。
「悪いな、りく!待たせちまってよ」
待たされた私が苛々しそうになった頃、竹谷は忍たま長屋の方から小走りでやって来た。小松田さんが差し出す帳面に上機嫌で署名した竹谷は、私を手招きすると木戸を潜り弾む足取りで街へと歩み出した。竹谷はいつもの染みっ垂れた四幅袴とは違って今日は長袴を履いている。つまり竹谷としては少しお洒落をしているというか改まった格好をしているわけで。これなら派手目に着飾った私と釣り合いが取れると内心安堵する。でなければ粋な姐さんとお伴になってしまうから。もちろん仕事の内容によってはそれでいいけど、今回はシナ先生から学園の用事で賑やかな場所へ行くのだと意味深な目配せをされていた。
「あっ、なあ……りく。あの、な……」
「何?ハッキリ言ったら」
竹谷は視線を宙にさ迷わせながら小鼻を掻いている。心なしか竹谷の頬が赤いような気がした。
「りくはいつもそんな格好で街へ行くのか」
「んな訳ないでしょ、忍務だからに決まってんじゃないさ」
「ハハ……だよな」
たまにだからいいのであって四六時中こんな成りじゃ危険すぎる。
「いや……その、りく怒らねえよ、な?」
「内容による。言ってみ」
どすの利いた私の声音と剣幕に圧倒された竹谷は、気持ち眉を下げ引きつった笑みを浮かべるとしどろもどろで語り出した。さっさと喋ってくれないともうすぐ街に差し掛かってしまう。私は竹谷をせっついた。
「学園長の指示で今から行くのはよ」
私が怒りで青ざめるのと同時に竹谷は困惑で青ざめる。
「どうしてそれを最初に言わないのっ」
「いや、言ったらりく、引き受けてくれねえんじゃねえかと」
「そんなに狭量ならくの一になれないっつーの」
お使いで向かう先は、女を置く店が建ち並ぶ地区にある連れ込みを兼ねた宿。別に自分が遊び女に見られるのが嫌な訳じゃない。第一、私自身それを想定して近い風体で支度したのだし。それにそういった場所は事情を抱えた人間が逃げ込むには最も適した場所だといえる。この界隈に来る者は誰も氏素性を知られたくないし、店側もまた探ろうとはしないからたった。
だから先刻私が竹谷に苛立ちをぶつけたのは、くの一として失格だ。察していたとはいえ竹谷とそういった場所へ行く心づもりが出来ていなかったのだから。本音をいえばその可能性を否定したかったのかもしれない。勿論ただ単に『行って、帰る』だけだから、それ以上どうということはないのだけれど。
「いやな、こんなお使い……つうか忍務は下級生に任せられないだろ」
「当たり前じゃない」
「だからりくの役割は」
「衆人の目を惹き付けてその間に竹谷が潜り込む算段なんでしょ」
「はい、その通りです」と竹谷は小さくなって恐縮しながら答えた。