それは偶然じゃない
憧れの先生とやっとデートにこぎ着けたのは私ではなく。しかもデートだと思っているのは私の従姉妹だけで。
それに付き合わされる私は誰がどう見ても邪魔者でしかない。でも同じ学校の部活の顧問の教師と部員である生徒という関係上、従姉妹は二人きりで逢うわけにはいかなかった。そこで去年まで高校生だった私が呼び出されたというわけで。
待ち合わせ場所は郊外にある環境一体型の動物園の前だった。環境一体型といえば聞こえは良いが何のことはない、丘陵地の地形を生かして作られているだけのことだ。だがなぜここで動物園なのか。それは美術部に所属する従姉妹が上達するには先ず二本足の動物、鳥を描くことだと言われたからだった。だがその真相は言った本人も同行指導を願い出た本人もどちらも合意の上での動物園デートに近い。
行くなら部活動として皆で行けばいい話で、コソコソ従姉妹の私を誘って行くものではないからだ。全くもって面倒な話だが幼い頃より仲の良い従姉妹のために、私は一肌脱いでやることにしたのだ。しかし、蓋を開けてみれば。
「学校の外で見る私服の先生って新鮮!」
「私はジャージなんか着たことないだろーが?」
「知ってますよ!いつも見てるもん!」
「お前な、ちゃんと授業受けてんのか?」
先生らしき男は従姉妹の頭をグリグリと撫でる。痛ーい、なんてアンタね…。
「先生の時間だけは真剣に受けてるし」
「あのなあ」
「あ、不破先生もー、鉢屋先生に似てるから」
鉢屋先生といわれた男は従姉妹にデコピンをした。
何なんだよ、このいきなりのバカ二人は。誰かに見られたらどうする気だよ。そういうのは卒業してからやれってば、アンタ先生だろ。そんな私の虚しい心の声のが彼等に届く筈もなく私は彼らの後をとぼとぼと付いて歩いていた。
その十分余り前のこと。待ち合わせ場所にやって来たのは痩せ型で背の高い繊細なフレームの眼鏡をかけた面長の男性、もちろん先生なんだろうけど垢抜けた雰囲気が私の通っていた学校にはいないタイプだと思った。
「鉢屋です」
よろしくと挨拶をした彼は少し世間を斜にみるシニカルなタイプで、彼女はこの雰囲気を「大人」と感じたのかもしれない。
私も挨拶を返すけど既に何だか居心地は悪く、思いっきり邪魔者感が漂っていて居たたまれない。小さくなっている私を尻目に鉢屋さんは、
「じゃ、行こうか。確か鳥類は…」と地図を拡げようとした。私は、
「ペリカンかペンギン辺りがデカくて良いんじゃないスか。割りと近くに来るし」と半ば不貞腐れながら提案した。
「じゃ、ソレかな」なんて鉢屋さんは従姉妹に振り返ると彼女の荷物を持ってやったりしている。
───私モウ帰ッテイイデスカ
前を行く二人を異星人を見る目付きで眺めながら黄昏てみたりする。ああ、折角の休日がこんな無益なことに費やされるのかと、のっけから続く急な登り坂に既に疲れが出始めた時だった。
先を行く鉢屋さんが突如立ち止まり一点を見つめている。従姉妹も同じ方向に目を向けている。だが私が見ても何らおかしい点はない。そこは沢山の家族連れが橋の上から丘陵地の谷間に作られたライオンの展示エリアを見下ろしているだけだ。もちろん橋といってもかなり広く、ショッピングセンターのイベント広場位の空間があった。
地図を取り出した鉢屋さんは暫し眺めた後それをポケットにしまった。そして従姉妹に目配せすると意を決したように下を向きその橋を渡り始めた。このルートの他にないと判断したらしい。早足で抜けるつもりなのだろう。私は怠惰に寝そべるライオンを見ていたいのに。
半分ほど橋を渡り終え鉢屋さんと従姉妹の肩の力が多少抜けたように見えた。清潔で緑の多い園内に時おり風に乗って獣臭が漂ってくる。
「三郎じゃねえか!」
鉢屋さんの肩が大きく揺れた。もちろん従姉妹のそれも。ビクリと身体を震わせ反応したということは「三郎」が鉢屋さんの名前なのか。声をかけられ振り返るかどうか逡巡しているのだろう、鉢屋さんの歩みが遅くなる。
「おい!三郎!」
知り合いが橋の上にいたのを目敏く見付けたため、鉢屋さんは早足で通り抜けようとしたのだと合点がいった。それにしたって呼ばれても無視しているのだから、声の主も察して放っといてやればいいのに。
鉢屋さんはゆっくりと、まるでスローモーションのように振り返った。眉間を寄せ苛立ちを隠さぬまま、これ以上ないくらい不愉快そうな顔をしている。
「お前がこんなとこ来るなんて珍しいな」
真後ろに聞こえた溌剌とした声に私も振り返った。
そこには癖毛のボサボサ頭に寝癖までついた体格の良い快活そうな男の人。年の頃は鉢屋さんと同じくらいにみえる。どちらかというとスポーツ好きって感じ。格好いいかどうかは人それぞれで好みによると思うけど、私はまあ格好いい方だと思った。
「さっきから何で無視して……」
その人は鉢屋さんより少し下から視線を送る私たちと目が合うと小声で「ヤベっ」と呟いた。
「鉢屋、ワリぃ…」と背中を丸めながら両手を鼻の前で擦り合わせている。太い眉毛を申し訳なさそうに下げている様子に人の良さそうな印象を受けた。この人は格好いいけど空気読めないタイプなんだろう。そんな彼は従姉妹の顔をしげしげと見つめた。
「そういやお前、美術部の…名前なんつったっけ?!…生徒だろ?」
そして次に私をみて首を捻る。そりゃ分からないだろう。私はここの卒業生ではないのだから。だが、従姉妹を見て気付くということは、もしかして彼も同僚の先生ということか。ならば体格いいし空気も読まないし、さしづめ体育教師辺りだろう。
「……悪いな、思い出せねえ。お前名前なんつったっけ?」
「…七篠です」
「………」
「あ…えっと。私ここの卒業生じゃありませんから」
すると一瞬気まずい顔して押し黙った彼は緊張が緩み安心したようだった。
「そっか。俺は竹谷、竹谷八左ヱ門。生物教えてるんだ」
三郎は美術の先生な、と鉢屋さんを指差す。ええ、知ってます、と軽く笑みながら、恐ろしいことに彼、竹谷さんが体育会系じゃなく理系の先生だったことに内心大いに驚いた。
「俺と三郎は同期なんだ」
そう話しながら向けられた爽やかな笑顔が一瞬のうちに私の目に焼きつく。今日は一日邪魔者だと不貞腐れていた心がたちまち弾んだ。するとそれまで不快そうに顔を歪めていた鉢屋さんが久しぶりに口を開いた。
「なあ…竹谷。お前今日、デートか?」
デートという言葉に私の胸がキュッと縮こまる。そりゃそうだよ、感じのいい人だもんね。彼女いない方がおかしい。
「や…あ…、それが…その…」
鉢屋さんが半目で竹谷さんの反応を探っている。一方の竹谷さんは宙に目を泳がせた。彼は眉尻を下げながら返答に困ったふうで頭をボリボリ掻いている。鉢屋さんは底意地が悪そうに口を歪めた。
「じゃ、竹谷も一緒に来ないか?何せ俺と七篠さんだけだったら色々とマズいしな」
「えっ…それは…」
竹谷さんは再び困った顔付きになって、私と従姉妹と鉢屋さんの三人を順繰りに眺め回す。
「じゃ、決まりな」
鉢屋さんはそういって従姉妹に目配せをするとサッサと歩き始めた。
「全く三郎のヤツは…」
竹谷さんは目蓋を細めて遠ざかる鉢屋さんの後ろ姿を目で追う。
「あの…どうしましょうか…?」
竹谷さんと二人その場に取り残された私が仕方なく尋ねると、竹谷さんは改めて私の存在を思い出したように視線を落とした。
「仕方ない、俺たちも行くか。アイツ等二人だけで行かせる訳にいかねえだろ?」
鉢屋がクビになっちまうしな、とニカリと笑う。
「七篠さんは大学生か?」
そうです、と答えると竹谷さんは、
「じゃ、俺は問題ない訳だな」とさらりと凄いことをいってのける。何が問題ないんだか、と私は訝しげに竹谷さんを一瞥した。途端に竹谷さんは自分でも不味い発言をしたことに気付いて慌てて弁解を始める。
「い、いや…一緒にいても法律的に怒られないっていうか、だな…教師と生徒は…」と人差し指軽くで頬を掻いた。竹谷さんは不器用なのか単純なのか、誤魔化すことも得意ではないらしい。竹谷さんと私の間に沈黙が生じて園内のざわめきがやけに耳につく。その喧騒に迷子放送さえかき消されてしまいそうだった。私は一人足を進めると数歩先で立ち止まる。
「ペリカンの所ですよ。でなきゃ、たぶんペンギン」
不意討ちを喰らったように一瞬驚いた竹谷さんは満面の笑みと共に大きく頷いた。
「おう!行くか」
竹谷さんは軽い足取りで私に並ぶと人混みに小さくなりつつある人影を私と一緒に追いかける。でも私が追いかけているのは鉢屋さんと従姉妹じゃなくて、これから何かが始まる予感そのものかもしれなかった。