その傍らで 4
今度は慌てた様子の深雪が三郎と八左ヱ門のいる隙間をじっと見ている。三郎も八左ヱ門もその存在を深雪から確実に気付かれたようだった。おそらく夜目の利かない深雪には自分達が見えていない筈だと八左ヱ門は思うが、それよりも深雪は自分の抱いている童子が化物でもさして意に介していないことの方が気になった。
「見守ってくれて、ありがとう。貴方たちも早く行きなさい」
そう声を掛けられて行こうか行くまいか三郎も八左ヱ門も迷っていた。深雪とて化物を抱いた姿を他人に見せたくないだろう。だが傷の手当てをしてやらなければと八左ヱ門が三郎に向かって己の首を指さした。一つ大きな息を吐くと二人は意を決して月明かりの射す蔵の前庭へ足を進めようとした。
「三郎、八左ヱ門。後のことは私に任せて、帰りなさい」
頭上から凛とした声が響いた。蔵の上から黒い影が軽やかに跳ぶと、三郎と八左ヱ門の前に音もなく降り立ち、妖艶な笑みを向けた。
「私が生徒の動向を知らないとでも思ったの?」
「シナ先生、いつから見てらしたんですか」
「一部始終、になるかしらね。保護者から連絡があったのよ」
こちらでも六年のくノ玉に小晴を見張らせていたけどね、とシナは余裕の笑みをこぼした。保護者と聞いた三郎も八左ヱ門も瞬時にあの爺さんのニヤニヤとした顔が脳裏に浮かんだ。
「あなた方は帰りなさい。もう少し早い時間だったら、深雪さんを保健室へ連れていって貰うところなんだけど。何の関係もないのに年頃の女性と一緒にいていい時間ではないわね」
何か言おうとした八左ヱ門を制するようにシナは微笑むと、彼らに有無を言わさぬ態度で帰るよう促した。
三郎は頷き八左ヱ門もそれに従う。去り際に八左ヱ門が深雪をちらと見れば、深雪は申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ていた。そういえば午後に自分が勝手に気分を害して帰って以降、まだ一度も深雪と話していなかったことを八左ヱ門は思い出した。小晴との濃いやり取りを聞く内に、八左ヱ門もすっかり会話に加わった気分になっていたからだった。
八左ヱ門は気にすんなという気持ちを込めて、シナの手前幾分控え目に少し眉を下げながら軽く笑みを見せ深雪に返すと、三郎と共に走り去った。
生徒の後姿が闇に消えるまでじっと見ていたシナが深雪に振り返った。
「深雪さん、そのうち考えないとね」
「何を…ですか?」
深雪に抱き上げられている童子が腕の中で眠たそうにごそごそと動く。それ以上シナは何も言わない。すっかり落ち着いて元の貴人の子供に戻った童子が深雪を見上げてにんまりとした。
「さあ手当てしましょう。女の子なんだから顔に痕が残ったら大変だわ。それと、小晴の処分は私達に一任してくださいね」
「でも、くノ玉の間では、こんなことよくあるんでしょう?」と深雪がシナに尋ねれば、シナは困ったように頭を振った。
「あれでは女中に化ける任務が任せられないわね」と答えた。意地悪ならどこにでもいる。くノ玉の中でも生徒同士で揉めることはよくあるが、敵でもないのにいきなり頭や首を狙うのは、やり過ぎだと眉をひそめた。
「傷つけたいなら実習中を狙うなど、もっと上手いやり方をしなくては、ね。あの六年の忍玉二人みたいに普段から皆の前で喧嘩してるならともかく…第一、私闘は許されていないの。遺恨を残して呼び出すくらいなら闇討ちするべきだわ」
「生徒同士の喧嘩で闇討ち……ですか」
「強いていうならね。でもどの生徒も親御さんから預かっている大事な娘さんなの。そんなこと私達教師が許すと思う?」
シナは優しく笑むが話の内容はちっとも優しくない。シナは器用に罠を避けながら保健室へと歩みを進めた。深雪は生徒の喧嘩に闇討ちという語が出る辺りに忍者の世界を、ひいては乱世を感じて目眩がした。
寝息をたて始めた童子が深雪の上衣をきゅうと握りしめた。
「でも、生徒じゃない私は蚊帳の外ですね」
「そんなことないわ。少なくとも学園長先生と山田先生、木下先生、それに私は、ね」
木下の名が出たことに驚いた深雪はそのまま黙りこんでしまった。横から深雪の様子を窺うシナの気配がした。
「シナ先生は一体、何をご存知なんですか?」
シナは一つ息を飲むと深雪を見つめた。
「どうしても思い出せないなら……木下先生ご本人に伺ってごらんなさい」