置手紙 3
誰もいない場所まで来ると深雪は話を切り出した。
「明日…ううん、三郎とは出掛けられない」
「どうした、急に?」
「くノ玉達に悪いし私も自分が大事だから。今は無用な揉め事は起こしたくないしね」
「また脅されたのか?」
「釘を刺されただけ。私がうろうろすると三郎のことを好きな娘が可哀想だから」
その前に俺の自由意思はどうなるんだよ、と三郎は喉まで出かかったが、それは何とか飲み込んだ。
そういや、もうそんな時期だったか。男子の忍玉は四年の終わりに始まっているが、くノ玉にも近いうちに色の授業が始まると三郎も聞いていた。
この時期はいつも以上にお誘いが増える三郎を八左ヱ門は羨ましがるが、三郎は至極面倒だと感じていた。なぜなら気ままに動ける方が性に合っていると公言してはばからない彼は、今後も特定の彼女を作るつもりがなかったからだ。
「じゃ、ほとぼりが冷めるまでってことだな。で、他には?まだ何かあるんだろ?」
見抜かれて驚く深雪の間抜け面もそれなりに可愛い気があると思いながら、三郎は深雪をじっくりと観察した。
「実はね…」
深雪が恐る恐る出してきたのは紙切れだった。三郎はそれを手に取り拡げてみると、中には女の手によると思われる字が書いてある。三郎は眉間に皺を寄せ不機嫌な声を出した。
「深雪…素手で持ってくるな。危ないって言ったろうが?相手はくノ玉だ。何が仕込まれてるか分かったもんじゃない」
「でも黒くないから大丈夫」
「訳分からんことを言うなよ」
深雪の言うことが全く理解できないといった様子で三郎は深いため息をついた。
「……で、俺にどうしろと?」
「三郎はどう思う?」
「罠に決まってるだろう。少しは考えろ」
「でもこの字面に悪意は感じないし。だから、木下先生にもまだ相談してないんだけど」
「フン、木下先生に相談な……。深雪が行きたきゃその場所へ行けばいい。だが相手が一人で来るとは限らないぞ」
三郎は顎に手を当てて片目だけ顰めながら深雪の様子を伺うと、深雪は地面に目を落とし思案している。確かに三郎の指摘通りその紙には先方も一人で来るとは書いていなかった。
「彼女、何がしたいのか、さっぱり分からないの。気配を探ったけど、三郎や八左ヱ門が好きなわけじゃないみたいでさ。それはさっきトモミちゃんにも否定されたけど。でも理由はちゃんとあるらしいんだよね」
「くノ玉は私達忍玉より閉鎖的だからな。不満も溜まるんだろう」
深雪は彼女より少し背の高い三郎を見上げた。改めて見つめられると流石に三郎も少しどきりとする。
「……ねえ、三郎は色の授業が始まると忙しいの?」
質問の内容もさることながら邪気のない瞳に三郎はたじろいだ。
「だとしたら?」
「ん…別に?モテるんだなと思って…只それだけ」
「深雪はいったいくノ玉に何を聞いてきたんだ?」
「人によっちゃ忙しいとしか聞いてないけど?」
くノ玉の連中は深雪に何を吹き込んだやら、三郎は少し焦ったがそこは三郎だ。さも何でもないといった風を装って深雪にいつもの笑みを見せた。
「あのな、忙しいのは私だけじゃないんだぞ」
「そうなの?!…確かに皆それなりに雰囲気あるもんね」
「雰囲気だけじゃない。カッコイイんだ、実際」
深雪はクッと喉を鳴らして笑いを堪えている。三郎もニヤリとした。
「ありがとう、ちょっと気が楽になったから。ということで明日の約束はなしね」
深雪は三郎を残して立ち去ろうとした。が、三郎は咄嗟に深雪の腕を掴んで引き止めた。その勢いで深雪の乾きかけた髪が大きく揺れて三郎の肩をかすめる。驚いた深雪と三郎の視線がぶつかり合う。真面目な顔の三郎は何か言いたげで深雪の鼓動が早くなった。三郎の手に力がこもる。
「どうしたの?」
「……いや…」
三郎はただ見つめるだけでそれ以上何も言わない。黙っている時間がとてつもなく長く感じられて、堪えきれなくなった深雪が口を開いた。
「三郎は気付いてる?」
「あぁ、懲りない奴等だ」
微かに口元を歪めた三郎はそっと手を離した。居並ぶ人影が一人足りない、深雪は自分でも気付かぬうちに心の内を漏らしたのだろう。「気にするな」と三郎は淡々とした声音で続けた。
「ハチは図体の割にお子様だからな。自分でもよく分かってないんだろう」
三郎が優しく目を細めた。宵の風が吹いて三郎の作り物の髪が緩やかに揺れている。そんな穏やかな表情を見せた次の瞬間、三郎は不敵な笑みをこぼした。
「だが、私には都合がいい」
「それって」と深雪が訊ね返す間もなく、気付かれたと知って逃げる一団に三郎は合流すると瞬く間にいなくなった。薄暗いながらも三郎らしき人影が居並ぶ影に次々と拳骨をお見舞いしていたように見えたのは深雪の気のせいだろうか。
小晴に指定された時刻までまだ時間があった。