置手紙 2
部屋に着くなり八左ヱ門の渋い顔とは対照的に雷蔵が好奇心の塊となって目を輝かせた。
「で、何があったの?」
「お前ら…何で俺の部屋に集まるんだよ。兵助、勝手に人の布団出すな。勘右衛門も寝るな。布団温まって気持ち悪いんだよ」
うつ伏せに寝転がったままの勘右衛門が首だけ上に向ける。
「じゃあ、女の子が温めてたらいい訳?」
「う、まあ…許す、かな?」
「むしろ嬉しいんじゃないのか?」と横から兵助が突っ込む。
「よし。じゃ、私が女装してきてやるぞ」
「いらねえよ」
三郎と八左ヱ門がの掛け合いに、再び布団に突っ伏していた勘右衛門が鼻をヒクつかせた。
「何かこの布団けもの臭いよねー」
それを受けた三郎が「だから女に縁がないんだ」と意地悪く頬を上げる。「これ以上成績下がると困るからいいんじゃない?」なんて兵助が真顔で言ってのける。本題から逸れそうになった所で区切りをつけるように雷蔵がにっこりと微笑んだ。
「そろそろ始めようか」
四組の瞳が一斉に一ヶ所へ注がれ、八左ヱ門はこれ以上どうにも避けられなくなった。特に八左ヱ門はこの中でも嘘をつくのが苦手な質だから余計にどうしようもない。
口をぱくぱくさせて答えあぐねていると、向こうから一つの気配が近付いて八左ヱ門達のいる隣の部屋の前で立ち止まった。皆引き締まった表情で互いに目で合図を送りながら頷くと、入口に一番近い八左ヱ門が勢いよく引戸を開けた。
「……何の用だよ」
深雪は驚いて言葉を失っている。八左ヱ門の後ろから次々と馴染みの顔が覗くものだからさらに絶望の面持ちになった。隣の三郎と雷蔵の部屋に気配がないことくらい深雪なら判りそうなものなのに、と八左ヱ門は思うと同時に、自分を訪ねてきたんじゃないことが何となく口惜しかった。
「珍しいな、深雪。私に会いたくなったのか?」
いつも通り片眉を上げる三郎の軽口で呆然としていた深雪は我に返ったようだった。半ば本気とも取れる三郎の冗談など聞き慣れている筈の八左ヱ門だが、今日はやけに胸が波立つ。八左ヱ門の瞳の奥に得体の知れない熱がこもりギラギラと鈍く光った。
「またー、そんなこと言ってるから気持ち悪がられるんだってば」
深雪は呆れ顔で三郎をなじるが、八左ヱ門とは視線を合わそうともしない。それに気付いた八左ヱ門はさらに苛立って汗ばんだ装束の内に熱気がこもった。
「あのね…今、言うのはすっごく不本意なんだけど」
深雪は目を伏せた。そして一呼吸置くと意を決したように顔を上げた。
「三郎に話があるの」
深雪がそういうと誰かが冷やかすようにひゅうと口笛を鳴らした。
名前を呼ばれた三郎は面倒臭そうな振りをして前へ出てきた。そしてするりと深雪の横に降り立つと、皆から見えないよう後ろから腕を回して深雪を身体ごと引き寄せた。でも、ごく僅かだったが深雪がぴくりと嫌そうに身体を震わせた瞬間を八左ヱ門は見逃さなかった。いつものように口より先に体が動いた。八左ヱ門は一瞬で三郎の横に飛び移ると、その腕を掴んで冷たい声で言い放った。
「止めてやれ」
「八ちゃん。マジになんなよ」
手首を掴んでぎりりと締め上げる八左ヱ門に、「止めろ!馬鹿力、冗談だろ」と三郎は痛みに顔を歪めながら笑い飛ばす。でも八左ヱ門の胸の内はまだまだ収まらない。鋭い視線を三郎へと向けた。
この二人をどうしたものかと深雪が慌てたその時だった。間違いなく今の状況を面白がっている場違いなほど明るい声が部屋の奥から聞こえてきた。
「深雪ちゃん、袴って珍しいね。結構似合ってるじゃん」
「か…勘ちゃん…」
奥から顔を出した勘右衛門を見るや深雪が困ったような顔をする。勘右衛門の追及が苦手だと知る三郎は横目で深雪の様子をこっそりと窺った。
「いつもの装束はどうしたの?」
「藪で引っ掻けて破いた……」
「上下共に?」
「……そうよ」
「襲われたの?」
「そうじゃないけど……」
昨日のことを思い出しながら喋っているのだろうが、どうしてそんなに言い訳するのが下手なのか。三郎は顔には出さないが心の内で頭を抱えた。
質問はもういいだろう、と三郎は深雪の手を取ると、残りの四人にニヤと笑いかけ深雪に向き直って小首を傾げた。
「ではいきましょうか?」
握りしめた拳が苛立ちで微かに震えている八左ヱ門を尻目に、三郎は深雪の手を引き庵に向かってさっさと歩き出した。結い上げられた深雪の髪が大きく左右に揺れている。八左ヱ門はその後ろ姿へ聞こえるように大きく舌打ちをした。そのやり取りを眺めていた勘右衛門が雷蔵と兵助に向かって振り向いた。
「俺、そろそろ風呂に行こうかな」
「そうだね」
「だな」
「大体の事情が分かったよねぇ」
勘右衛門は立ち上がると小声で皆を促し足音を忍ばせて部屋から出てゆく。雷蔵だけが庭に降りると、そっと八左ヱ門の肩を叩いた。
「先に行ってるからね、八ちゃん」
「あぁ…俺もすぐ行く」
八左ヱ門は雷蔵を振り返ることなく抑揚のない声で呟いた。