置手紙 1


今宵は見回りに出掛けなくてもよい。部屋にいた深雪は障子を開けたままのんびりした気持ちで風呂上がりの身体を涼ませていた。生乾きの洗い髪を宵の風が優しく吹き抜ける。深雪は物の怪じゃないがこの薄暮が闇に包まれる時間が大好きだった。
ふと縁側に目をやれば白い何かが置かれている。怪訝に思い近寄って様子を見てみると、ただ四ツ折りにしてある紙のようだった。
「手紙?」
利兵衛の部屋の前に置かれていなかったからこれは深雪宛だろう。そもそも利兵衛宛の便りはこんな普通の手紙の形では来ない。
深雪は三郎から小晴について警告を受けた際、今後は不用意に包みを開封しないよう言われていた。何か薬を仕込まれていれば危険だからだ。だが深雪が遠目で見たところその手紙は黒い悪意をまとっていない。縁側から下りて木の枝を拾ってくると用心深く折り目を広げた。

「子の刻、倉庫前」
手紙に乗る気配は小晴のものだが深雪には果し状というほどの悪意が感じられない。一体どういうことか。小晴が一所懸命に気持ちを偽って書いたところで、深雪を誤魔化すことはできないだろう。
もちろん行かないという選択肢もある。だがくノ一候補相手にどうすれば最良なのか深雪にはよく分からなかった。とはいえ一人で行くのは不安だと感じた途端に、深雪の脳裏にはとある忍玉の名前が浮かんだ。

『三郎』

しかし三郎の名を思い出したものの、それは不味いかもしれないとその考えを打ち消す。風呂場で好きな忍玉がいるかとイトから尋ねられ深雪はあっさり否定した。それは構わない。だが三郎と二人で町へ行くのはいくら考えても逢い引き以外の何物でもないだろう。現に三郎自身もそう言っていたではないか。
他に頼れる者は木下鉄丸だが、教師に言いつけたようで何となく深雪も居心地が悪いし、話も大きくなり過ぎる。それに生徒である小晴がどのように処分されるか分からなかった。最後の手段である利兵衛は供の者を連れて宵の散歩に出掛けてしまったのか、深雪が頼りたいときに限ってどこにも見当たらない。
これ以上くノ玉との間に無用な揉め事を抱えたくない深雪は、何としてでも明日の三郎との外出を避けねばならなかった。深雪は三郎に事情を伝えようと仕方なく五年長屋へ急いだ。


「八ちゃんどうしたのさ?」
勘右衛門に言われて八左ヱ門が手元をみれば、味噌汁の椀が斜になりあやうく中身をこぼしそうになっていた。
「もうすぐ皆食べ終わるよ?」
「あ、悪い。先戻っててくれるか」
「今日は暇だし待ってるよ。それに八ちゃんの様子がいつもと違うから何か面白いことありそうだしさ」
そう来たかと眉を寄せて、八左ヱ門は急いで残りの定食を食べながら、にこにこする勘右衛門の様子を伺った。楊枝をくわえた三郎が聞いていない振りをして耳をそばだてている。雷蔵が苦笑し、兵助はどうでもいいとお茶をすすっていた。
「別に何もねえよ」
「ある」
「嘘じゃねえ」
「八ちゃんが『別に』っていう時は大抵何かあった時だよ」
「やべぇ、気を付けよ」
「いいよ。他にも癖はあるから」
勘右衛門は満面の笑みを浮かべる。八左ヱ門は皿に残った最後の一切れを口に放り込むと味噌汁を飲み干した。八左ヱ門が食べ終えたのを見計らって三郎が口を開く。
「何があったのか部屋で聞こうじゃないか」

五人が揃って席を立ち食器を下げる。ぞろぞろと部屋へ戻る光景は端から見ればとても滑稽だろう。各々がそれなりに優秀な忍玉だが、この学年はいまだに連れ立って行動することも多かった。誰もが二年後を想像しない訳じゃないが、それはそれだと五人が五人ともそう思っているのを、他の学年からは不思議がられていた。

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