面倒な約束 3
「優しくしてるように見えるのは三郎の程がいいからだよ?たぶん」
「要領がいいってことか?!アイツモテるもんなぁ。俺と違って」
八左ヱ門は諦めたようにガシガシと頭を掻いた。でも深雪がくノ玉から聞いた限りだと決して八左ヱ門がモテないという訳ではない。むしろその逆だ。親しみやすさとお日様のような明るさで、頼れるアニキといった風体の八左ヱ門は下級生から人気があった。まあ同学年からはガキっぽいという声もあったが上級生はかわいいと言っている。深雪が八左ヱ門にそう伝えてやると八左ヱ門の表情がぱっと明るくなった。
「そ、そうなのかっ?!」
「私が聞いた限りじゃね。だから好きな子がいるなら頑張れ!」
「おぅ!」
自信を取り戻したらしい八左ヱ門はニッと笑って力強く応えた。そう言ったもののなぜか深雪は胸の奥が曇って切なくなる。だがこれは『子供だと思っていた近所の少年が彼女連れで歩いているのを初めて見た時』の、そんな感覚だろう。八左ヱ門は深雪に対して姉のように接してくれる。だから深雪は弟を手離したくないのだと思った。
「ふうん、八左ヱ門にも好きな子いるんだ?」
「ま、まあな」
「年上?年下?同い年?」
「もう止めて下さいよぉ」
「ふーん、同い年ね」
「違いますって」
冗談めかして深雪が聞けば、八左ヱ門は耳まで赤く染めて大いに照れる。同い年?と尋ねた時に頬がぴくりとしたから図星なのか、話し方もぎこちなくなった。こんなに分かりやすくて忍者が務まるのかと心配になるが、実技の成績はいいそうだからおそらく何とかなるのだろう。
顔を赤らめる八左ヱ門を見ていると深雪はまた胸の奥に靄がかかる。卒業すればどうなるか全く分からないが、今はまだ純粋に恋ができる八左ヱ門が素直に羨ましかった。
もしこの戦国の世が、自分の生まれた現代から遡った時間に直結しているなら、深雪は誰にも恋することができない。些細なことから深雪の生まれた世界を変えてしまいかねないからだ。本当は今ここに深雪がいるだけでも影響を与えているのだ。
「どうした、深雪」
ふいに黙ってしまった深雪に、八左ヱ門は自分が何か余計なことをいったのかと慌てた。八左ヱ門の呼びかけに深雪が我に返って見上げた拍子に、高く結い上げた髪が根元から揺れ白い首筋がちらりと見える。八左ヱ門の視線は深雪のうなじに釘付けとなって、思わず喉を鳴らしてしまった。なので深雪に気付かれないよう、あさっての方向を向いて誤魔化す。
「なあ、気分でも悪いのか?急に黙りこくってさ」
「何でもないよ」
「んなことないだろ。正直にいってみろよ」
「ん、若いっていいなぁって。恋する若者なんだ、八左ヱ門は」
「何婆さんみたいなこといってんだよ。深雪は俺より精々一、二歳上にしか見えないぞ」
「んー、やっぱり口が達者だね」
八左ヱ門は軽く笑い飛ばした。こんな屈託ない表情が一番八左ヱ門らしい、そう思いながら深雪はそれを眺めていた。願わくは八左ヱ門からこんな笑顔が消える日が来ないように、と心の内で祈る。
奥から深雪を呼ぶ利兵衛の声が響いた。
「おい、明日の仕度をせんでええのか?朝早いんじゃろう」
ぎくりとした深雪は悪い方に心臓が高鳴って恐る恐る八左ヱ門を見るが、八左ヱ門は怪訝な顔をしただけだった。
「日のあるうちに出掛けんのか?珍しいな、お使いか?」
「う、うん」
「大丈夫か?何なら俺も一緒に行ってやろうか?」
八左ヱ門は爺様のお使いか何かだと思ったらしい。いつもと変わりない親切心から出た言葉だろう。深雪は焦りを見せないように必死だった。
「大丈夫。私だって昼間出かけることぐらいあるから」
「そうか。でも町へ行くなら一人じゃない方が安全だろ」
ごめん、八左ヱ門。とてもじゃないが邪な思惑のある三郎が一緒だなんて言えない。深雪は何とか話を逸らせようと躍起になった。
「それよりさ。折角の休みなんだし八左ヱ門も好きな子誘って遊びに行けば?」
不意を突かれたらしい八左ヱ門は大きく目を見開いた。
「そ…そう、だよな」
八左ヱ門は急に威勢がなくなりその瞳から輝きがなくなった。もし八左ヱ門に尻尾があれば、それは捨てられた仔犬のようにしょんぼりと垂れ下がっていただろう。深雪は自分が悪いことでもしたかのように、いたたまれない気持ちで一杯になった。
「あ…何だか…ごめんね。そのうち機会がくるから。きっとその娘と上手くいくよ」
「ああ…うん…」
「生物委員会の皆にもおみやげ買ってくるし」
「うん…」
先程までの饒舌さはどこへやら、八左ヱ門は突然気分を害したのか無口になった。微かに眉間にも皺を寄せ怒っているようにもみえる。利兵衛は八左ヱ門のいる前でわざと出掛けることをほのめかしたに違いない。だが誰かの名前を出さなかっただけまだマシだと思うしかなかった。
「邪魔したな。深雪」
八左ヱ門は立ち上がると瞬く間に視界から消えた。