《桜、咲く》
#06_桜、咲く:02




 助手席の鈴は、一言も喋らなかった。

 和紀の家の前に車を停める頃には、落ち着いたのか、涙は止まっていた。



「…あ、俺」


 アイドリングしたまま、鈴の横で和紀に電話をする。

 俯いたまま、じっと握り締めた携帯を見つめる鈴は今、何を思うのだろうか。


「うん、そう、今――」


 外にいる、と言おうとしたところで、玄関の扉が勢いよく開いた。

 室内からの逆光でよく見えないけれど、驚きと嬉しさと困惑がないまぜになった和紀が、茫然と突っ立っている。


「…鈴、」


 携帯を閉じて、助手席の鈴に向き直る。

 ああ、そんな泣きそうな顔してたのか。もうなにも心配することなんかないのに。


「叔母さんには、うまく言っておくから」


 今日は帰ってこなくてもいいよ、と暗に含めて、鈴を車から降ろす。


「千裕くん…」

「心配すんな。鈴は男を見る目あるよ」

「…ありがと」


 まだ半ベソで微笑む鈴が、あまりにも綺麗で。


(あの野郎…。覚えてろ)


 俺は二十二歳にして、すでに娘を嫁に出す父親の気分、を味わっていた。








 こんな時間に、鈴がいる。

 電話もメールも無反応だった鈴がいきなり俺の前に現れた。


「あ、と…りあえず入って?」


 間違いなく泣き続けていたであろうその顔は、声をかけても俯いたまま。


「ウチ、今、誰もいないから気にしないで。…あ、いないと余計、マズいのか。えーっと…」


 ダメだ、テンパってる。

 ひとり慌てふためく俺に、微かに鈴の笑い声が聞こえた。


「いきなり来て、ごめんね」

「いや、ごめん、て、俺の台詞だし」


 家の前の道を、自転車が通り過ぎる。

 そいつが訝し気にこちらを伺い見ているのに鈴も気付いたようで、戸惑いがちに、ようやく玄関に足を踏み入れた。




- 53 -



[*]prev | next[#]
bookmark



book_top
page total: 68


Copyright(c)2007-2014 Yu Usui
All Rights Reserved.