それは、社会人1年目の終わり、私が久々知くんも忍術学園も知らなかった頃の話。

「花粉やばい」
「お前の顔がやばい」
「いややばいのは花粉ね」

恒例の金曜飲み会、はっちーが私の顔面にポケットティッシュを押し付けてくる。薄いビニールに汗と油で滲んだファンデーションが汚い、やめてほしい。

「っあー、ダメだわ、鼻かんでいい?」
「どうぞ」

はっちーの許可も得たので、盛大に鼻をかむ。一瞬のスッキリ。
これがずっと続けばいいのに。

「お前、薬は?」
「鼻炎の薬ってすんごい喉渇くじゃない?苦手なのよね。のんではいるんだけど、もうきれた」
「のめよ」
「食べ終わったらね」

そんなことを言いつつアヒージョとバゲットに手を伸ばす。はっちーは男のくせして、焼き鳥とかあんまり食べないし、やたらおしゃれなお店を好むところが付き合いやすい。

「手元、気をつけろよ」
「はーい」

アヒージョってつまり油だからね。はっちーに軽く注意される。
もう、子供と保護者じゃないんだから。

「美味しい!もーほんと、もーほんと!やってらんない!」
「セクハラ野郎な」
「異動したいわ!」
「鼻水もでるしな」
「それ!花粉だし!」

ほんと、それ。花粉だし、花粉だし、花粉だし!

「しかもさぁ、山口さん結婚でしょ」
「らしいな。事務の25歳と」
「は!?それって木村さん!?」
「名前は知らん」

えぇー、事務の25歳って木村さんしかいないよ。すごく綺麗でお洒落で素敵なお姉さん。
マジかー。山口さん、もうかなりの歳だろうに。

「年下に手つけちゃったか……」

10歳以上は差があるんじゃなかろうか。もう社会人だし、別にいいとは思うけど。

「事務のお姉さん達はばかすか結婚していくなー。しかも山口さんなんてかなりの出世頭じゃん。木村さんいいなー」
「みょうじは山口さんと結婚したいのか」
「いやあの人は無理だけど」

事務のお姉さん方は、毎日とてもお洒落だ。制服があるのに、いや制服だからこそかな。毎日かわいいワンピースやなんかで出勤している。
こちとら毎日スーツにストッキングだというのに……。

「……やっぱり、理系で、男に負けたくないって意識強くて、ガツガツやってきたような女はダメかな」

鈍感で、周囲の恋愛事情にも疎いし。社内のそういった情報もだいたい男のはっちーから得ているくらいだ。

はっちーは何も言わずに、煙草に火をつけた。

「理想が高いのかな。結婚しても絶対家庭に入りたくないって意識に問題がある気がする」
「……悪いことではないだろう」
「でもふわりんは、奥さんには家庭入ってほしいって言ってた」
「雷蔵は、……まぁ、苦労させたくないんだろうな」

やっぱりねぇ。まぁ雷蔵のお母さんは専業主婦だし、お父さんの稼ぎ1本でやってる家だ。育った環境っていうのもあるよね。

「私結婚できないだろうなー……」

結婚できない理由はもっと大きくて、どうしようもなくて、暗く湿っぽいのがひとつ、他にある。
ただそれを抜きにしても、私みたいな女を求める男性が、そんなにいるとも思えない。

「……どうだろうな、雷蔵がもらってくれるんじゃないか?」
「やだ、そういうこと言い出す?それ禁句だよ」
「雷蔵とは付き合えない?」
「ずっと友達でいたい」

正直な言葉だ。あの実験地獄を一緒に生き延びた仲間としてずっと過ごしていきたい。
中学も高校もそりゃ楽しかったんだけど、やっぱり東京にでて雷蔵と出会って馬鹿みたいに悩んで騒いで遊んで学んだ4年間が1番楽しかったから。

「……雷蔵って結婚しないのかな」

お酒を飲んでからふと呟いたら、はっちーが笑い出した。

「みょうじの発想ってすごいと思う」
「なんでよ」
「まぁ、お前らが結婚できなかったら、私がもらってやるよ」

それこそ、私には笑い話だ。

「ちょっと、冗談でしょ。はっちーこそ突然サラッと結婚しそう」
「相手がいればな」
「私とはっちーが結婚?人生の墓場だわ」

2人でけらけらと笑い合う。

でも、こういう時間が好きなのも、本当だから。

「……ま、将来3人とも結婚してなかったら、3人で飲もうよ」
「そうだなぁ」
「実現しそうだけど」

雷蔵は今、仕事が忙しすぎてとてもじゃないけどそんな余裕はないって話だし。

私もはっちーも、せっかくの金曜日にこうやって毎週2人で飲んでるのが現状だ。
結婚とか、遠い話かな。

「あー、やばい鼻水」
「お前ほんと耳鼻科行けよ」
「耳鼻科行く時間をください」
「欠勤は勘弁」

とりあえず、結婚とかどうでもいいから花粉症なんとかしたいね。