「いつも見ているだろう」
そう声をかけられて、私はそちらを見ることすらせず、答えた。
「さぁ、なんのことかしら」
とても、努力をする人だと思う。
刀を扱うその指は傷だらけのはずなのに、不破雷蔵には傷がないから、やはり彼の指先に傷跡などひとつも見えたことがない。
完璧主義な人だと思う。雨に濡れた日、きちんとヘアピースに逆毛をたてて水を吸わせ、不破雷蔵と似せるその姿に。
「誰が好きなんだ?」
「は?」
その言葉に、私は怪訝な顔で振り返る。思った通り、ふわりと柔らかい髪を揺らして、その人は笑っていた。
意地悪な笑顔、似合わないなぁ、やっぱり。
「好きって、何が」
「私達のうち、誰が好きなんだ?隣座るぞ」
双忍とはよく言ったものだ。本来の忍術用語とは意味を異にして、学園で双忍といえば、この二人を指すだろう。
なんて、厄介な人達。
視線を正面へ戻す。竹谷くんと久々知くんと木陰で本を広げる、不破雷蔵の姿へ。
「あのね、不破くん」
「残念でした!私は鉢屋三郎、」
「鉢屋くんは、勝手に隣に座ってくるよ」
隣座るぞ、なんて。そんな丁寧なことは言わない人だ。
身勝手なわけでは、ない。相手の表情をよく見て、自分が、あるいは不破雷蔵が、隣に座っていい相手か見極めて、そして勝手に行動する人だ。多分。
私の隣に、鉢屋三郎が座ったことなんてないから、予想だけれど。
「……バレてたかぁ」
「よくもまぁ、鉢屋くんの真似なんてする気になったね」
「たまにはいいかなと思って」
不破くんが、柔らかく笑う。そうだよね、あんな意地悪な笑顔、やっぱり鉢屋三郎のものだから、不破くんには似合わない。
「なまえちゃんは僕と三郎、見分けがつくの?」
「パッと見じゃ、無理。あの人、完璧でしょう」
「でも今、わかったよね」
「そりゃ、喋ればね」
鉢屋三郎が本気で不破雷蔵に化けたとき、どれだけの確率で気づけるか、わからないけど。
それでも、もともと別の人間だ。下級生ならいざ知らず、もう四年以上人を観察することを学んできた私に、見抜けないものではない。
「なまえちゃんがいっつも見てるのは、三郎かぁ」
「なんでそうなるの?」
「え、そうでしょ?」
まぁ、多分、そうなんだけど。
「好きって言っちゃえばいいのに」
「えぇ?」
不破雷蔵は、何を言っているのかしら。
忍術学園のお休み、私は身支度を整えて風呂敷を抱え、正門をくぐったわけだが。
「……何をしているの?」
「実家へ帰るんだろう。途中まで送ってやる」
私は首をかしげた。この口調、鉢屋三郎かしら。
「なぁに、その上から目線」
鉢屋三郎は、ふんと鼻を鳴らして、私の荷物に手を伸ばした。
持って、くれるの?
「私の家なんて、行ってどうするのよ」
「途中までだ。鉢屋の里へ帰るついで」
鉢屋の、里。……そう、里の出身なの。
またひとつ、鉢屋三郎に関する知識が増えたなぁ。
私が両手で抱えていた荷物を片手で持って、鉢屋三郎がゆったりと歩く。それを私は、小走りに追いかける。
「……私になにか、話でも?」
「さすがくのたま五年ともなると、カンがいいな」
「女をあまり舐めない方がいいよ」
鉢屋三郎はため息をついて空を仰いだ。なによ、その仕草。まるで、私に呆れているみたい。
「お前」
「なまえよ」
「知っているが、……なまえ」
鉢屋は諦めたように私の名前を呼ぶ。私はあなたの所有物ではないから。
「なに、鉢屋くん」
「アー、……この前雷蔵と話していたろう」
はて、いつのことか。
少し考えて、ピンとくる。不破雷蔵が珍しく何も躊躇うことなく、不思議なことを言ってきたあの日。
「話したよ」
「その話だ」
「はぁ?」
なんて厄介な2人だろう。あの意味のわからない話を、鉢屋からも聞かなきゃいけないの?
「いい加減、私もお前の視線にはうんざりだ」
「なまえよ。悪かったわね、もう見ない」
「そうじゃなくて」
今日もいいお天気だ。雲の少ない青空を見上げる視界の端で、鉢屋がちらりと私を見たのがわかる。
「……本当に気づいていないのか?お前、アホか?」
「失礼ね」
もう、お前でいいけどさぁ。なんの話なのよ。
「なんの話よ」
「試しに私と寝てみないか?」
「は?話が飛躍しすぎ。なにを言い出してるの?」
「アー、だからその」
鉢屋が立ち止まる。左手が、キュッと私の荷物を握りしめた。
私も遅れて立ち止まり、鉢屋を振り返る。
「好きなんだろう、私が」
「……」
沈黙。
心なしか少し緊張気味の鉢屋の顔へ、私はゆっくりと、
「いっ!……なんだ!雷蔵の面がズレただろう!なんなんだ!」
「なんなんだはこっちの台詞だ」
鋭い平手打ちをかましたわけで。
別に、避けてもよかったんだけど、まぁ、くらってくれた方がこちらも多少は苛立ちがおさまるというもの。
「そんな言い方はないでしょう?鉢屋くんのおうちがどのあたりなのか知らないけれど、ここまでで大丈夫。荷物、ありがとう」
「ちょ、ま、待て待て待て待て」
鉢屋と私の荷物を取り合う。やだもー、この人力が強すぎ!
「おま、いや、私はお前の実家に挨拶するつもりでここまでついてきたんだぞ!」
「どれだけ話を飛躍させれば気が済むの!?いい迷惑!」
「どうせ嫁の貰い手などつかないだろうと私なりにお前を心配してだな!」
「は!?失礼も大概にして!私のこと好きなのはそっちなんじゃないの!」
「そうだ悪いか!」
「悪かないわよ!えぇどうぞいらっしゃい!」
売り言葉に買い言葉。ハッとした時には、そうなっていた。
「……え?」
「よし、行くぞ。お前の家、どっちだ」
「……え!?」
結局、私の荷物は鉢屋が持ったまま。
え、えええ。いつの間にこんなことに!
「え、まだしばらくまっすぐ、だけど」
「まぁさっきは言い方を間違えたかもしれんが、私はなまえとうまくやっていきたいんだ」
うまくやっていきたい。それは、どういう意味で?
聞きたいけど、聞けない。私もなかなかだけど、この人、会話があっちこっちいくから難しい。
またひとつ。鉢屋三郎についての知識が増えたなぁ。