引越し先 | ナノ

 8


そういえば、久々知くんが来てから1週間が経ったのか。

ベッドのシーツと、久々知くんが寝ている床のカーペットを洗い、布団を干してから2人で話し合った。
主に私からこの世界の説明と、2人で暮らしていくにあたっての約束事の取り決めだ。
久々知くんには家事全般をお願いすることになった。
なので、これ以上家探しされてもたまらないし、電子レンジの取扱説明書もだしてやる。ホームドラマは結構見ているようだけど、レンちんを知らなかったらしい久々知くんは昨夜若干興奮気味でした。

それから大事なこと。
ついに私は、自分のパソコンのパスコードを久々知くんに教えました。見られてやばいものは、昨夜久々知くんがシャワー浴びてるあいだに削除済です。
一日中テレビを見て過ごすのは、1週間でもう飽きただろう。ゲーム機なんてない家なので、新しい勉強ツール、あるいは、これは私の希望なんだけど、娯楽になってくれたらいい。
それから棚の本も読んでいいと言うと、久々知くんは真顔で「あ、もう見ました、すみません」とおっしゃられた。

「え、……待って、見たらまずいものを今から説明したいんだけど」
「まずいものがあったんですか」

それは困ったな、と呟く久々知くん。

「まさか、1番端のノートも見ましたか……」
「日記帳のことですか?」

これは……死にたい。いやまぁ、下着の洗濯までされてしまった仲なんだけどさぁ。










それから2人で近所のファミレスで昼食を。
彼はうどんを選択していた。故郷が恋しいのかなぁ、忍術学園で外食っていったらだいたいうどんだって、きり丸くんが言ってたし。

お腹も膨れたところで、ちょっと確認。

「久々知くん、疲れてない?」
「今日まだ何もしてないですよ」

軽く笑う久々知くん。よし、元気そうでよかった。

「今日は2回買い物したいと思ってます」
「そうなんですか?」
「食料品も買わなきゃやばいんだけど、その前にもっと必要なもの」
「はぁ」
「それは久々知くん、君のお布団です」

忍者のたまごだし、床で転がしといて平気かなーという安易な考えでカーペットに寝かせておいたけど、さすがに1週間も続けば久々知くんも限界だろう。
寒い季節でないとはいえ、与えたのは薄手の毛布1枚だけだ。掛け布団も買ってあげたい。

しかし久々知くんは、首をかしげた。

「必要ないです」
「え」
「床、不思議に柔らかいし、敷布もあるんで」

いやいやいや、そんなわけないでしょう。
忍術学園の寝床環境は現代に比べれば最悪も最悪だった覚えがあるので、丁寧にマットレスまで買うつもりはない。ほら、こっちに慣れきった久々知くんが向こう帰ったとき、寝付けなかったからかわいそうじゃん?
でもさすがにね、敷布団くらいはね。

「身体痛いでしょう」
「平気です」
「あのね久々知くん、無理しないでって今日言ったでしょ。しんどいことはしんどいって言うって、さっきそう約束したばっかでしょ」
「平気です」

なんなんだこいつは!頑固か!
真顔のまま首を傾げる彼に、私はもうお手上げだ。

「それに、その約束はお互いですよね」
「え、うん。だから私も言うよ」
「俺が来てから、杏里さん、不必要な出費が増えたはずです」

そ、そうくるか。
確かにその件を黙っていたのは私だ。実は、出費の問題はかなり大きい。
食費がまず2倍だし、ひとひとり増えた瞬間に服や必需品も買った。今日はこれから久々知くんに与える携帯電話も契約するつもりでいるし。
大卒社会人でばりばり稼いでいるとはいえ、まだ若い私に貯蓄は少ない。それを切り崩す形で久々知くんを養っている。

確かに、確かに、しんどい。それを私は久々知くんに見せないようにしていた。そうやってストレスをためるくらいなら、久々知くんに打ち明けるべきだとも今は思っている。

しかしだな。

「それはそうなんだけど、わかった、わかった、帰ったらその話もしようか。だけど久々知くん、言い方がおかしい」
「何がですか」
「不必要な出費では、ないよ」

久々知くんが眉を寄せる。

「杏里さんの生活に、俺は必要ないはず」

これは、しばらくファミレスに居座ることになりそうだ。

「そんなことを言うのであれば、忍術学園だって私を放り出すべきだった」
「それは……先生方の判断なので俺の考えになりますが、杏里さんを外に出す方が学園は危険だったんです。でも俺と杏里さんの場合はそうじゃない」
「いいえ、私も同じこと」
「他人のふりをすれば良かったんです。俺は警察に捕まって、保護されて、いつか帰れる」
「私の家より留置所の方がよかったってこと!?」

うっかり大声をだしてしまった。忍術学園関係の話を外でするときは、小声を心がけていたのに。

久々知くんが黙って灰皿を私に寄せた。な、なんだこいつ、わかってやがる……。

煙草を取り出して火をつけて、心を落ち着ける。感情的になっちゃ駄目だ。

「あのね、私は感謝してるの」
「……あの場所に?閉じ込められて?」
「保護されたんだよ」

これは私の考えだ。久々知くんいわくの「先生方の判断」というものの真実を、私は知らないから。
それを想像しようとしたとき、私より久々知くんの方が、きっと真実に近い。

「あれは保護なんかじゃ、」
「保護だよ。私がそう思ってるの。だから感謝してる」

久々知くんが眉を寄せたまま黙り込む。うーん、どうも保護ではなかったらしい。
学園内での自由は与えられていたし、真実がどうあれ、私が学園に感謝していることが大事だと思うんだけどな。

「だから久々知くんがきたとき、変な感じだった」
「変な感じ」
「そう。混乱したし、どうしようって思ったけど、これで恩返しができるかもって」

ドリンクバーにしておけばよかったなぁ。お昼食べるだけだしと思って、手元にはお冷しかない。

「久々知くんがどれくらいいることになるかは、わからない。多分、誰にも」
「それは、そうです」
「きっと不安でいっぱいだと思う。あのときの私以上に。その不安を取り除いてあげることはできないよ」

短くなった煙草を揉み消す。それからお水を飲んで、しっかりと久々知くんの目を見て。

「でも、支えてあげたいんだよ。そのためには、金銭的な問題は、些細なことなの」

最悪、ダブルワークで水商売まで私は想定している。
そう、久々知くんを守るためなら、金銭的な問題は些細なこと。

「……こちらは、すべてが合理的に整理整頓されていて、異物は生きにくい世界です。きり丸のようには、いかない」

久々知くんがぽつりぽつりと言う。
合理的に整理整頓、かぁ。彼が昼間にどんなテレビ番組を見ているかは知らないけれど、そう思ったのならそうなのかもしれない。

「人ひとり消えただけで大騒ぎです。人を守っているのだろうが、がむしゃらに生きようとする者は悪とされる」

ちょっと待て。まさかとは思うが久々知くん、殺人や強盗で金を稼ごうとしたんじゃなかろうな……?

有り得そうで怖い。忍たま五年生だし。
最初は家から出さないようにしておいて本当によかった。

「俺は働けない。そうなんでしょう。整理整頓から、外れているから」
「うん、まぁ、そうなんだけど、でもね」

これだけは言わせてほしい。

「私にとっては異物じゃない。さっきから言ってるけど、私にとって久々知くんは守りたい存在なんだって」

守るべき存在では、ない。守りたい。これは私の意思だ。

久々知くんは、ふっと笑った。

「なんだか恥ずかしいな」
「そう?」

私は自分の意思をしっかりと伝えた。
久々知くんが考えを変えてくれたかはわからない。多分、1度話したくらいじゃ認識は変わらない。久々知くん、結構頑固だから。

それなら何度も説明していけばいい。私の意思だって変わらない。
昨日の夜から思っていたことだけれど、久々知くんと私は違う人間だ。生きてきた世界から別の人間だ。
ぶつかることも多い。大変な事も多い。だから、何度もぶつかっていけばいい。

きっと、きっと、そういうこと。

それから店を出て、食料品の前に携帯ショップへ。
結局布団は買わないことになりました。どうも無理しているのではなく、本当に平気みたい。

「あと、さっきの話ですけど」
「うん?どの話?」
「拘置所よりは、杏里さんの家の方がいいです」

控えめに、だけれどぶすくれた顔で言う久々知くん。

「俺だって、感謝はしてるんです」

それは、その、よかった。なんか、私、照れるけど。

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