引越し先 | ナノ

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「1番手に馴染むものを選んで」
「………………褌……?」

携帯ショップでこんなに笑うことになるとは。
確かに褌事変のときも、1番気に入るものを選んで、みたいなこと言ったけれども。

「違う違う、連絡手段よ」
「よく皆さんがいじってる奴ですよね、冗談ですよ」

おっ、冗談まで言ってくれるようになったか。嬉しい嬉しい。

「俺は機能があってもおそらく使いこなせないので、安いやつでいいです。杏里さんが選んでください」
「えぇー、でも久々知くん男前だし、かっこいいのにしようよ」

あぁでもないこうでもないと私ばかりが騒ぎながら、展示品を見ていく。
うーん、スマフォかガラケーか。ガラケーの方が本体代が格段に安いんだけど、スマートにスマートフォンをスマートする久々知くんも見たい。

「ううう、私とメールするだけならこれでいいんだけど、あー」

黒い折りたたみ携帯電話を手に、流行りのスマートフォンを横目で見る。
と、反対側から久々知くんの手が私の手元の携帯電話をさらっていった。

「俺は杏里さんとだけ連絡がとれれば、十分です」
「お、……おう、そうか」

世が世なら、結構な殺し文句だぞ、それ。










2人で両手いっぱいのスーパー袋をかかえて、帰宅!
早く久々知くんの携帯電話を充電して、2人でいろいろいじくりたい。
壁紙とか、可愛いのにしてみたい。電車乗ったとき隣に立った女の子に見られてびっくりされてほしい。まぁ、電車乗せる予定ないけど。

あ、明日ちょっと遠出してもいいかも。外の世界を大冒険だ!

「杏里さん、俺これ冷蔵庫いれちゃいますね」
「やったー!お願いします!カチカチのは下にいれてね」
「……かちかち」

前から思ってたんだけどさぁ、久々知くんがよくわからない単語を聞いたとき真顔でオウムになるの、可愛くないですか。ちょっとちょっと、可愛くないですか。

「冷凍ってことー!下のゴロゴロは冷凍庫なの」
「ごろごろ……?」

台所で冷凍庫を開けて、久々知くんは理解したらしい。
振り返って一言。

「硬いとか冷たいとか、あと、ゴロゴロは引き出しって言ってくれれば伝わりますんで」

ごめんなさい……。その冷たいお顔、心に突き刺さります。

携帯電話をとりあえずコンセントに繋ぎ、キッチンを振り返る。久々知くんはまだ作業中。

久々知くんにお魚を選ばせていた間にこっそり百均にダッシュして買ってきたものを自分の鞄から取り出す。
ほら、お魚の良し悪しは彼の方がわかるから。なんだっけなぁ、ひょうごすいぐん?さんが採れたてのお魚届けてくれてたんだって。

ハサミはキッチンに行かないとないので、ライターでタグのプラスチックを焼き切る。

「換気扇まわします?灰皿は、」
「あっごめん煙草じゃない!!」

ライターのカチッて音聞き取ったの?冷蔵庫でがたがた作業しながら?どんだけ耳がいいの?こわい。この家で悪いことできない。

携帯電話と一緒に渡したいプレゼントに中身を詰める。
これは、私から精一杯の信頼の証だ。ごめん、思いついてすぐ走った先が百均だったから、安物だけど。
中身、うーん、これくらいでいいのかな。

「全部いれましたけど、あとで確認してくださいね。溶けちゃったら怖いんで」

喋りながら久々知くんが戻ってくる。あああっ、百均でラッピング用品も買ったのに!戻ってくるの早いよ!!

私まで一歩分の距離で立ち止まった彼を振り返り、むき出しのそれを正座のまま高く差し出す。

「……それ、は」
「ご、ごめん、安物なんだけど。というか、むき出しでごめん、ラッピング、あ、包装?包装!もしないままで」

おそるおそる見上げると、久々知くんは目を見開いたまま固まっていた。
私も差し出した姿勢のまま動かない。
そろそろと手を伸ばしながら、久々知くんはごくりと唾を飲み込んだ。

「これ、だって……中身、は」
「……開けてみて」

安っぽい合成の革でできた、焦げ茶の折りたたみ式の薄っぺらいそれ。
久々知くんは黒髪だし重たくなるかと思って、靴もベルトも茶色だし、これも焦げ茶にしてみた。

「こんなに」

久々知くんは中身を見てそう言ったきり、口を噤む。

私が久々知くんにプレゼントしたのは、お財布だ。100円ちょっとの安物だけど、お金をいれて持ち歩くのには、十分な機能性。

中には、諭吉が2枚。とりあえず持たせるには、これくらいでいいだろう。

「……あ!久々知くんに出ていけって言ってるわけじゃないよ!?違うの、あの、家の鍵は預けたし携帯電話も持たせるけど、その」

そこまで言って、唐突に久々知くんの顔が歪んだので、私は驚いて続きが言えなくなってしまった。何も考えずに湧き出るがままの言葉が、口の中ではぜて消える。

「もらえません」
「あ、あげるわけじゃないの!!」

ひどく顔を歪めたままの一言に、私はつい大きい声をだしてしまった。

「えーっと、預けるの!」
「は?」
「久々知くん、お金のこと気にしてたし、でも手持ちがないとひとりじゃ何もできないでしょう?」
「俺は、杏里さんの迷惑にならない範囲で杏里さんと行動しますので、ひとりでは何もしません」

んんんっ、だからさぁ!

「それが!我慢だって!言ってるの!昨日も今日も、とにかく、久々知くんは自分の時間を持つべきなの!」
「でも」
「だからあげるんじゃなくて預けるの!」

久々知くんが微妙な顔をする。あぁ、私の日本語が下手なのか。伝わってくれ!

「久々知くんが私に金銭的な負担をかけたくないのは、もうわかった。わかりました。なので、久々知くんがなんとかしてお金を稼ぐ方法を、私が見つけます」

食料品を見ながら、考えてそう決めたのだ。

「それは、」
「聞いて」

久々知くんの目を見て言う。この人の目力は相当なものだけど、負けちゃいけない。目を見て言わないと、伝わるものも伝わらない。

「お願い、聞いて。……久々知くんのこちらでの生活のサポート、つまり支えることが、私のしたいことです。それは、久々知くんが久々知くんとして生きていくための支えです」

久々知くんは私の言ったとおり、黙って聞いてくれている。

「久々知くんが金銭的に私に頼らず生きていたいのであれば、それを支えるべきだと、そう、思って。それで、だから、久々知くんがそうなれるように、私も努力したいんです」

なんで敬語になってるんだ、私。

「だから、そうできたら、返してください。その2万円も、今までのご飯も、今久々知くんが着ている服も、携帯の本体代も通信料も、稼いで、返してください」

いや、本当はそんなのどうでもいいんだけど。

久々知くんが望むのであれば、そういう取り決めにする。もし久々知くんが返す前に向こうへ帰ってしまったとしても、私は絶対に彼を責めたりしない。

私が口を閉じてからもしばらく、久々知くんは何も言わなかった。
ゆっくりと目線を財布におろして、ふうわりと、表情が溶けていく。

「それは、随分と莫大な借金だな」

ふうわり、ふうわり。
綺麗な顔が、綺麗に笑う。

うわ、やばい。今の写真撮りたい。

欲望のままに自分の携帯を引っ張り出し、ぱぱっといじって激写。

「えっなんですか今なにしました!?」
「うわわびっくりしないで笑ってて!」
「は!?なに!?」

久々知くんは財布をテーブルに置き、私に手を伸ばした。やだー忍たまめっちゃ素早いじゃないですかー!

「貸してください何したんですか!」
「やだ絶対貸さない!」
「まだやってますね!?かしゃかしゃ聞こえるぞ!」

2人で携帯を間に取っ組み合い。だから力強いんだって。でも私も負けちゃいないよ。

「あ!?もしかして」

私が携帯を手放すつもりがないことを悟った久々知くんが、充電途中の自分の携帯を見る。

「えっ」

彼はさっさと電源をいれて、難しい顔でボタンを押し出した。え……電源ボタン長押しとかなんでわかったの……。普通に押しただけじゃ電源入らないでしょ……。

「カメラ……あっこれデジカメか!?」

いや、デジカメじゃなくて携帯のカメラなんだけどね。いわゆる写メね。1度久々知くんのお勉強メモを精査する必要があるな。

とか呑気に思ってる場合じゃなかった。

「いやダメだって私今日すっぴん!ノーメイク!」
「それは俺もです!」
「あああ撮らないで!」

何故か久々知くんと写メの撮り合い合戦になってしまった。
なので、彼が本当に納得してくれたかどうかはわからない。でもシャワー浴びるときにも脱衣所に財布持ってってたし、夕飯のときも寝るときも握ってたから、気に入ってくれたのかな。

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